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序話 「アリーナ」 4
呟く言下、背後から、またアリーナたちを挟んだ向こうから騒がしい音が聞こえてきた。はっとしたジェンティーレの意識は一瞬で明瞭になる。気がつけば廊下の照明が点けられていた。アリーナの遠吠えを聞いて見回りの警備員たちだけでなく屋敷中の人間が起き出したのだろう。
安堵を覚えた。しかし、次の瞬間ジェンティーレは息を飲む。暗闇の中では見ないで済んだ攻防の跡が、目の前に広がっていた。周囲は血だらけで、ジェンティーレの寝巻きにも血が飛んでいる。アリーナも豹の人獣もお互いに動かない。アリーナの牙は豹の人獣の首に、豹の人獣の爪はアリーナの体に突き立ったままだ。
ぎりぎりで生きていることを、ジェンティーレは聞こえてくる小さな呼吸音から判断する。しかし、それがどちらのものかは分からない。分からないが、ジェンティーレはそちらに近付こうとした。すると、後ろから来た警備員の内のひとりに無理やり止められる。
「お嬢様危ないです! まだ生きているかもしれませんのでお下がりください」
「でもアリーナ――」
「我々がまず確認します。お待ちください」
ジェンティーレを押さえる警備員が彼女を説得している間に、他の警備員たちはアリーナたちに近付いた。室内用の短めの剣を構えながら、警備員たちはその状態を確認し、すぐに豹の人獣の手を爪のぎりぎりの位置で剣を使い切断する。隣の警備員が体で視界を塞いでくれたのでその瞬間は見えなかったが、悲鳴がないということは豹の人獣はすでに息を引き取っていたのだろう。
「アリーナ!」
警備員三人に担がれてアリーナが連れてこられ、床に寝かされる。ジェンティーレはすぐに彼女のすぐ脇に膝をつき彼女の体――爪が刺さったままの部分から遠い位置――に触れた。
「アリーナ、アリーナ。お願い頑張って。ねぇ、早くアリーナをお医者さんに診せて!」
必死に懇願するジェンティーレに、警備員たちは痛ましげな顔で首を振る。
「……お嬢様、残念ですが、この傷では長くは持ちません」
「今が最期の時です。どうぞ、お別れを――」
促されたジェンティーレは涙を浮かべ、絶望に表情を歪めて頭を振った。信じられない。信じたくない。警備員たちの言葉を、目の前の状況を、これから訪れるであろう最大の痛みを、ジェンティーレは受け入れられずに混乱する。
そんな彼女の膝に、弱々しく何かが触れた。弾かれるようにそちらを見たジェンティーレは、膝に軽く手を触れ、力なく見上げてくるアリーナと目が合い彼女に顔を寄せる。
「アリーナ、アリーナしっかりして。大丈夫だよ、きっと大丈夫だから。だから――」
「……嬢、さ……ま。わた、し……生まれ、て、きて、よかった……で、す」
途切れ途切れにアリーナが言葉を紡ぎ始めた。それが別れの挨拶のつもりだと察したジェンティーレはやめてと言いたくなったが、その言葉は涙となってこぼれる。認めたくなかった未来を、アリーナが受け入れてしまっているショックで言葉には出来なかった。
「出会え……て、しあ、わせで、した……。ど……か、あな、た、の……みら、いに、こうふ……く、を――」
声が徐々に小さくなり、ついに消える。
「……アリーナ?」
返事はない。
「アリーナ」
返事はない。
「アリーナってばぁ……っ」
体を揺らしても、アリーナは何の反応も示さない。それが最悪の結末の、永遠の別れの訪れだと分かってしまったジェンティーレは悲鳴を上げて泣き出した。
「やだ、やだっ、やだぁっ! アリーナ起きてよぉ、死なないで! ひとりにしないでよぉ。お父さんも死んじゃったのに、アリーナまで死んじゃったら私本当にひとりぼっちだよぉ。お願いだから起きてぇ、まだ一緒にいてよぉっ」
取り乱し、泣き叫ぶジェンティーレから、警備員たちややって来た従業員、この屋敷の現在の主は揃って目をそらす。あまりの痛ましさに、彼女にどのように寄り添ってやればいいのか彼らには分からなかった。
少しして、もう一度アリーナの名を大声で叫んだジェンティーレは糸が切れたように倒れてしまう。
ジェンティーレの悪夢の夜は、こうして騒々しく過ぎていった。
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