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序話 「アリーナ」 2
暗闇の中、ベッドに横になっていたジェンティーレ・カウジオのシナモンブラウンの双眸がふっと開く。とても自然に起きたせいか、寝起きとは思えないほどに頭は冴えていた。
深い息を吐きながら半身を起こせば、目と同色の髪が顔にかかる。中途半端な長さに切ってあるそれを指で梳くと、ジェンティーレからは自然と笑みがこぼれた。「シルエットが犬のよう」とからかわれる髪型だが、大好きな彼女(、、、、、、)と揃いになれるお気に入りの髪型である。
つい先ほどまで見ていた夢を思い起こし、ジェンティーレは暗闇に包まれた部屋を見回した。今はカーテンの隙間から僅かに漏れる満月の月明かりが唯一の光源であるため、細工などは把握出来ない。だが、昼間に見た室内には質の良い調度品が並べられていた。ジェンティーレが寝ていたこのベッドも同様だ。
本当は〝彼女〟と同室で眠りたかったのだが、この部屋を用意してくれた人物に「立場を明確にしなさい」と窘められてしまったため実現には至っていない。
周囲の静けさと、漏れ入る光から、ジェンティーレはまだ深夜だと判断した。明日には実家に帰るのだから、本当はもう一度寝なくてはならないだろう。しかし、あの夢を見た後というのは中々寝付けないのだ。
水でも貰ってこようか。そう思ってベッドを抜け出た、その時だ。室内のドアの向こうからノックの音が聞こえる。その扉の向こうは使用人用の小部屋。ジェンティーレはノックの主を思い浮かべ返事をした。
「いいよ、アリーナ」
声をかけると静かに扉が開かれる。現れたのはジェンティーレよりも年かさで、しかしまだ若い女性。今は暗闇の中のため判別は出来ないが、脇にシャギーが入り後ろが外はねの髪も、少し垂れ気味の双眸も、その色は青寄りの灰色だ。寝巻き兼用の白いドレスに包まれた肢体はふくよかで女性らしく、背ばか高くどこもかしこも薄く膨らみに欠けるジェンティーレとは真逆のものである。
「お嬢様、どうかなさいましたか? お加減でも?」
心配そうに問いかけてくる女性――世話役のアリーナにジェンティーレはへらりと笑ってその心配を否定した。
「んーん、大丈夫。いつもの夢を見たから目が覚めちゃって。水でも飲んで来ようかなって」
いつもの夢、と言われ、アリーナはよくジェンティーレから聞く該当の内容を思い出す。
「大きな狼が出て来て喋りかけてくる夢ですか? 一体何なのでしょう……さすがにこの現象に十五年も悩むことになるとは思っておりませんでしたわ」
心底不思議そうにアリーナは首を傾げた。そんな彼女に、ジェンティーレも「そうだよねぇ」と相槌を打つ。ジェンティーレ自身はいつから言い出したのか覚えていないのだが、少なくともこの夢はジェンティーレが五歳の時からずっと続いていた。
「狼、っていうのはアリーナが原因な気もしなくないんだけどねぇ」
「そっ、それはそうなんですが、私と出会ったのが理由なら何故オスの巨狼なのかという疑問が……」
軽口を叩くジェンティーレとは逆にアリーナは本気で困った様子を見せる。もはや「いつものこと」と受け入れているジェンティーレと違い、彼女は本気で原因を探ろうと思っているらしい。曰く、大切なお嬢様の睡眠時間が削られるのはよくない、だそうだ。
よくは見えないがアリーナが手を持ち上げた気配がする。きっと首輪(、、)についているエンブレムをいじっているのだろう。思考する時の彼女の癖だ。予想したジェンティーレは、同じく思考している振りをして笑みが浮かんでしまった口元を隠す。ジェンティーレには見えないが、彼女にはこの光量でも主の姿がよく見えている。笑みの理由を問われたら上手く説明出来る自信がない。何せ、アリーナには申し訳ない理由だ。
もういいよ、と言ってやるのは簡単だ。しかし、彼女が自分のために頑張ってくれているのが嬉しいジェンティーレは、意地悪だと思っていても中々その一言が出せないでいる。
「そういえばお嬢様、今回は聞こえる部分増えたのですか?」
問われ、ジェンティーレは本当に考えて「えーとー」と声をこぼした。ジェンティーレの夢は子供の頃から続いている。だが、実は昔はかの狼の言葉はほとんど聞こえていなかった。少しずつ少しずつ、夢を見るたびに聞こえる言葉が増えてきているのだ。
「あ、今回はね、名前がちょっと聞こえた。前に聞こえるようになった分と合わせると、何とか〝ロウの〟何とか、〝ド〟何とかって言ってたよ」
自信満々に言うが、まだまだ聞こえない部分の方が多い。アリーナはまだ手がかりが足らないことに肩を落としてしまった。ジェンティーレはそんな彼女の手を取る。
「まぁまぁ、その内分かるよ。特に悪いこともないし、気にしない気にしない。それよりほら、お水飲みに行こう」
「は、はい。……あっ、お嬢様。お水でしたら隣にご用意してございますよ?」
このような事態のために用意しておいたことを思い出して、アリーナは歩き出したジェンティーレとつながっている手を軽く引いた。そうなの? とジェンティーレは肩越しに振り返る。そして、またへらりと笑った。
「んー、じゃあ、お散歩がてら。駄目?」
ただ喉を潤すだけなら、用意された水でもよかっただろう。今こうして会話している相手が違う相手でもきっとそれをもらった。しかし、こちらの家に来てから近くにいながら遠巻きにしなくてはならなかったアリーナと一緒にいられる。その機会をジェンティーレは無駄にしたくなかった。明日からはまたいつも通り。分かってはいるが、今、アリーナと一緒にいたかったのだ。
成人して近く一年が経つというのに、子供のような甘えをしてくるジェンティーレ。世話役としてアリーナはここで叱るべきだろう。しかし、この屋敷の現在の主である男に「甘やかしすぎだ」と注意されるほど、アリーナはジェンティーレが可愛くて仕方ない。そして、「いつも通りの距離」でいられなかった寂しさはアリーナも同じだった。
「ふふ、そうですね。お供しますお嬢様」
頬を緩ませたアリーナに嬉しそうな顔をすると、ジェンティーレはつないだ手を握りなおす。そして、ベッドの横に置いていたランプをアリーナに任せて部屋の外へと出た。
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