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【サンプル】フェンリルの揺り籠 作者:若槻風亜
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序話 「アリーナ」 1

序 「アリーナ」


 上下左右の別などない。それだけでも十分。それなのに、さらにその中をこの肉の身が漂うのであれば、それは夢に他ならないだろう。しかし、不思議なほどにこの〝夢〟は実感を伴う。特にそう――眼前にいる巨大な狼は。

 赤みの強い紫色の体毛に身を包んだそれは、牙を剥くでもなく理性に輝く金の双眸を向けてくる。

『全く、こちらの大陸の人間は本当に我々の言葉が分からんのだな。そなたも聞こえてはいるようだが俺と会話出来んようだし』

 ため息をつき、巨狼はゆったりとした動作で首をめぐらせた。この何もない世界でも、それには何かが見えているらしい。

『あちらの大陸に行ってもいいのだが、あちらには色々といて騒がしいからな。そう、俺は騒がしいのは好きではないのだ。断じてあちらの連中に勝てぬからではない』

 全身に負っているのと同じ裂傷がついた足を慰めるように舐めて、巨狼は何故か言い訳を始める。仔細は知れないが、どうやら「あちらの大陸」という所にいる「あの連中」に負けたようだ。

 頭の中で考えていると、金の双眸が再び向けられる。ビクリと体が跳ねるが、巨狼は何事もないように穏やかな雰囲気を崩さない。

『それに、そなたの魂は随分と寝心地が良さそうだ。この傷を癒すためにも、そなたと契約を交わすとしよう。何、聞き取れてはいるのだ。その内会話も出来るようになろう。覚えておくが良い、我が名は○狼の○ ド××××。もしも我が力が必要となれば、その時はこの言葉を唱えよ。――――』

 巨狼が何かを伝えようとするが、それが届いたのは一部のみ。音が、色が、感覚が、迫り来た白に飲み込まれてしまったために――。


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