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株式会社魔法少女 ~Magic Girl Company~ 【無料サンプル】

作者:埴輪
※無料サンプルは本編の10%程度を公開しております。
 真っ黒な空から雨粒が落ちてくるのも構わず、少女はぼんやりと目を開いていた。身体の自由を奪う、ずっしりとした重み。誰かが圧し掛かっているのだ。少女は誰かの背中に手を伸ばしたが、宙を掴むばかりだった。もはや、そこに背中はなかった。鉤爪に抉られたのだと気付くと、少女の目からとめどなく涙が溢れた。少女は泣いた。嬉しくて、悲しくて、涙が雨と溶け合い、流れ落ちる。誰かの名前を呼ぶ声が、遠くから聞こえていた。

プロローグ

AM 07:08

「見つけた」
 希美は壁際から顔を出すと、額に上げていた透明なゴーグルを目の前に下ろした。
 ターゲットはブロック塀の上でまどろんでいた。一見するとただの三毛猫だが、遠近感を狂わせる程に大きい。第一段階は超えていることを、その異様な体躯が物語っている。
一旦顔を引き、ピストルクロスボウを胸元に引き上げる。ピンクメタリックのボディが、夏の日差しを照り返す。早朝だというのに、暑さは申し分ない。蝉の声も煩い。
 Tシャツに半袖のジャケット。指抜きグローブにカーゴパンツ。ボーイッシュな出で立ちだが、頭の左右で揺れる尻尾のような黒髪と、それらを根本で結ぶリボンが女の子らしい。愛用の赤いランドセルは、駅前の貸しロッカーで希美の帰りを待っているところだ。
「……アル、暑くないの?」
額にじっと汗を浮かべながら、足下の黒猫に話しかける。毛皮が見るからに暑苦しいが、当のアルは涼しい顔で希美を見上げた。右の瞳はルビーのように赤く、左の瞳はサファイヤのように青い。ぴんと張った髭が、黒いキャンパスに白線を描いている。
希美は腰の矢筒に右腕を伸ばし、指先でつまんだ矢をクロスボウのレールに乗せた。後方に伸びたレバーを掴み、ぐいっと押し下げるようにして弦を引く。ねずみ色のブロック塀から半身を乗り出し、クロスボウを手にした左腕をターゲットに伸ばす。
距離にして十メートル。大欠伸をしている三毛猫に照準を合わせる。一撃で仕留めるためには、頭部を狙うのが鉄則。希美は黒い瞳を細め、トリガーに指をかけた。
その時、風が吹いた。乾いた風が汗をさらい、希美の火照った身体を冷やす。
「くしゅんっ!」
 反射的に顔を背けた希美は、慌ててターゲットに顔を戻した。三毛猫は深紅の瞳を爛々と輝かせ、希美を見返していた。見つめ合う希美と三毛猫。ふと、蝉の声が途切れる。
「……ごめん」
 希美は小声で呟くと、トリガーを引いた。

 優子は目を開けると、しばし天井の模様を眺めた。すっと上体を起こし、目覚まし時計を一瞥する。ベッドから降り、目覚まし時計のベルを鳴らしてから、スイッチを切る。
 裸足で窓際に歩み寄り、カーテンを開いて窓を開ける。青空に目を細め、長い黒髪を風になびかせる。部屋のこもった空気を入れ換えると、窓とカーテンを閉めた。
 着替えと包帯を持って部屋を出た優子は、床の上に脱ぎ捨てられたスーツ、ストッキングを目で追った。それらは点々と龍子の部屋に続いている。優子は開いた扉の前で足を止め、暗い室内をひょいと覗き込んだが、立ち入ることなく風呂場へと足を向けた。
 洗面所で顔を洗い、歯を磨く。脱衣所で服を脱ぎ、左腕の包帯を解いて、シャワーを浴びて軽く汗を流す。タオルで濡れた体を拭いて下着を身につけると、包帯の先を咥え、左腕にくるくると包帯を巻きつける。鏡の前に立ってドライヤーで髪を乾かし、髪を三つ編みにまとめる。半袖のセーラー服に着替えると、優子は台所へ向かった。その途中に、床に脱ぎ捨てられた龍子の服を拾い上げ、手早く畳んでリビングのソファーに重ねて置く。
 朝食はご飯に納豆、味付け海苔、お新香、味噌汁、千切りキャベツを添えたハムエッグ。優子は花柄のエプロンを外すと、冷蔵庫から牛乳を取り出してグラスに注いだ。
「いただきます」
 手を合わせ、黙々と食事を口に運ぶ。テーブルから見やすい位置にあるテレビは黒い画面のまま、沈黙を守っている。食器が奏でる微かな音だけが、食卓に響いていた。
「ごちそうさまでした」
 再び手を合わせると、ポケットの中で携帯電話が震えた。優子は気にした様子もなく食器を流しに運び、スポンジで洗い始める。すると、「ピン・ポン・パン・ポーン」というお決まりのチャイムに続いて、市内放送が鳴り響いた。
「……まほろ市役所からの、お知らせです。只今、魔物注意報が、発令されました。この付近に、お住まいの方は、外出しないようにしてください。万が一、魔物に遭遇した場合は、速やかに逃げましょう。詳しくは、まほろ市役所の、ホームページをご覧ください……」
 食器を洗い終わると、優子は冷ましておいたハムエッグを皿ごとラップで包み、冷蔵庫にしまった。洗面所で改めて歯を磨くと、部屋に戻ってケースから取り出した眼鏡をかける。卓上の鏡に目をやり、銀色のフレームを指先で調節。鞄を手にして玄関へと向かう。
「……この付近に、お住まいの方は、外出しないようにしてください……」
 放送が繰り返される。優子は革靴を履き、とんとんと爪先で地面を蹴ると、扉を開けた。
「いってきます」

 AM 08:11

 真琴はむっと頬を膨らませると、目の前に立ち塞がる警官を見上げた。若くはない。顔中に刻まれた深い皺が、頑固さを物語っている。唇を固く結び、ぴくりとも動かない。
 気が焦る。こんな所で立ち止まっているわけにはいかないのだ。真琴は見せつけるように携帯電話を開き、表示された時刻を指先でなぞる。……やば、あと19分しかない。
「この先は近道なんです。ここを通れば、遅刻しなくて済むんです。山本先生に『おやぁ、ガッキ―、今日も遅刻かぁ?けしからんなぁ、ウヒヒ』……なんて、セクハラされることもないんです。ここさえ通して貰えれば、私はハッピーなんです。ルンルンなんです」
警官は熱弁に感銘を受けた様子もなく、黙って真琴を見下ろしている。
「お・ね・が・い(はーと)」
 真琴は頬に人差し指を当て、上目遣いでくにゃっと体を曲げて見せたが、警官はにこりともしない。真琴は焼き過ぎた餅のように頬を膨らませた。……こぅのぉ、分からず屋ぁ!
「遅刻しないことと自分の命、君はどっちが大切なんだ?」
 警官の低い声に、真琴は頬をすぼめてきょとんとする。
「それは……でもでも、注意報だし、封鎖されてないし、立ち入ったからって、捕まるわけじゃないですよね? ……嫌だなぁ、そんな、大げさなこと言っちゃって」
「そうだな」
おりょ? 警官が思わぬ同意を示したので、これはいけるかと期待する真琴。
「だが、これとは話が別だ。見つけた以上、黙って見逃すわけにはいかない。運が悪かったと思って、迂回しなさい。何だったら、本官が学校まで同行して、先生に事情を……」
 それじゃ逆効果だよ……肩を落とす真琴の瞳が、見慣れたセーラー服を捉えた。
「あーっ! ほらっ、あれっ! あの人! あの人も注意しないと!」
 警官は怪訝そうに眉を曲げたが、必死に指差す真琴を見て振り返った。真琴と同じ、まほろ高校の制服を着た女子生徒が、本を読みながら歩いていた。交通事故にでもあったのか、左腕には白い包帯が巻きつけてある。警官は拡声器を口の前に取り上げた。
『君っ! そっちは危ないぞ! こっちに戻ってきなさい!』
 警官の呼びかけに振り向くことなく、女の子は一定の速度で歩き続ける。
「……ごめんなさいっ!」
 はっとする警官の脇をすり抜ける真琴。走りながら振り返り、両手を合わせて何度も頭を下げる。警官は遠ざかる少女の背中を見送ると、深い溜息をついた。大げさだということは分かっている。お父さんは心配性だと、娘から常日頃言われているのだから。警官は苦笑して拡声器を下ろすと、踵を返して通常のパトロールに戻った。

「神崎先輩……ですよね?」
 真琴は前を行く女子生徒に追いつくと、その隣に並んだ。眼鏡越しの眼差しが、右手の参考書に向けられている。桜色の唇をきゅっと引き結んだ、精悍な横顔。身長は真琴の方が僅かに高い。話しかけるのは初めてだが、左腕を覆う白い包帯は紛れもなかった。
「助かりましたよ〜! まさにグッドタイミング! 天の助け! おかげで今日は遅刻せずに済みそうです! あっ、私は一年生の新垣真琴です! お気軽に『マコちゃん』とお呼びください! ……それにしても暑いですね〜! 地球の温暖化が二酸化炭素で異常気象がどうとか、もぅ、嫌になっちゃいますよ〜!」
 真琴は左手でセーラー服の胸元を引っ張り、右手を振って谷間に風を送り込む。優子はうんともすんとも言わず、歩き続ける。真琴はポニーテールを軽く揺らし、ひょいと身を乗り出すと、参考書を覗き込んだ。その表情が一瞬にして歪む。
「うわっ、物理だぁ……先輩って、理数系なんですか?」
 優子は口を閉ざしたまま、親指でページをめくる。その額に薄っすらと汗が滲んでいるのを見て、先輩も暑いんだなぁと、真琴は今更のように頷いた。
 住宅街を抜ける小道は人気がなく、がらんとしている。生垣は青々と茂り、ブロック塀は太陽に焼かれている。動物避けのネットがないゴミ置き場では、破れたビニール袋の中身が散乱していた。蝉の声に紛れ、思い出したかのように市内放送が繰り返されている。
「あっ、猫ちゃん!」
 真琴は高い声を出した。前方の曲がり角から、それは急に飛び出してきた。まだら模様の毛皮。丸味を帯びた身体。アスファルトの上を横滑りしながら向きを変えると、真琴達に向かって猛然と向かってくる。デブ猫では説明のつかない巨大な体躯と、ギラギラと燃え立つ深紅の瞳。真琴は「可愛い」という言葉を直前で飲み込み、足を止めた。反射的にスカートのポケットから携帯電話を取り出し、カメラモードで起動。あれは、多分、きっと。
「先輩っ! 魔物っ!」
参考書を見ながら歩き続ける優子に、魔物が走る勢いそのままに飛びかかった。

 ティロリーン♪

 空から巨大な猫が降ってきた。身体をくるりと反転させることもなく、背中からアスファルトに落ちる。不自然に曲がった手足をぴくぴくと痙攣させながら、亀のようにぐっと首を伸ばし、尻尾で身体を支えて身を起こすと、三日月のように裂けた口で笑った。その途端、首がぐっと縮まった。眉間にはクロスボウの矢。口、目、鼻、耳、全身の穴と言う穴、隙間という隙間から、蒸気が音を立てて噴き出し、見る見るうちにその身体が萎んでいく。蒸気が止んだ後には、一匹の痩せこけた三毛猫が残されていた。飛び出さんばかりに見開かれた瞳からは、赤い光が失われ、黒く濁り果てていた。

希美はアルを従え、三毛猫に駆け寄った。アルが三毛猫にくんくんと鼻を近づけ、その周りを確かめるように歩いている間、希美はクロスボウの照準を三毛猫に合わせていた。一周したアルがちょこんと座り、希美を見上げて「にゃあ」と鳴いた。
 希美はほっと息を吐くと、その場にしゃがんだ。クロスボウを地面に置き、ゴーグルを額に上げる。右手で三毛猫の身体を押さえ、左手で矢を掴んで引っ張る。顔を赤くするほど力を込めて、ようやく矢は引き抜かれた。赤黒く濡れた矢尻。眉間に空いた黒い穴からは、ほとんど血は零れなかった。矢尻の先をハンカチで拭い、使用済の矢筒へ収める。次に鞄から取り出した白いカバーを広げ、三毛猫の上に被せる。風で飛ばされないようにと、四隅には希美が海岸で拾って来た小石をタコ糸で結びつけてある。三毛猫が白く覆われると、希美は目を閉じて両手を合わせた。アルも目を閉じて頭を垂れている。
しばらくして希美は目を開き、両手を膝に乗せて立ち上がった。ポケットから携帯電話を取り出し、アドレス帳から電話をかけて耳に当てる。
「あっ、希美です。今、終わりました。回収をお願いします。はい、お疲れ様です」
 短い通話を終えた希美は、クロスボウを拾い上げて振り返った途端、びくっと後退った。ポニーテールの女子高生が、口をあんぐりと開け、道の真ん中で立ち尽くしている。
「あの、大丈夫ですか?」
 希美が駆け寄って見上げると、女子高生は携帯電話を差し出した。
 ピンボケした写真。セーラー服の後ろ姿。白い左腕が高々と天を突き、その先には巨大な三毛猫が、逆光を受けて空に舞い上がっていた。

 AM 08:32

 真琴は遅刻した。
「おやぁ、ガッキ―、今日も遅刻かぁ?」

第一話「魔法少女のいる風景」

AM 10:03

まほろ市役所。五階建ての最上階にある日当たりの良い市長室で、市長の工藤博之は革張りのソファーに腰を沈め、テーブルを挟んで向かいに座る、二人の少女を見比べていた。
黒いレースの手袋に包まれた指先が、ティーカップの取っ手を掴み、赤い唇に運ぶ。音を立てることなく紅茶をすする姿は、優雅の一言に尽きた。黒を基調としたフリル付きのドレスを、僅かに覗く白い肌が際立たせている。中世ヨーロッパの姫君のような出で立ちが、それが当然であるかのように、嫌味を感じさせない。完璧に整った顔立ち。まだ幼い、小学生ぐらいの女の子に見合った小柄な体で、ちょこんとソファーに座る様は、まるで職人の手で精巧に作られたビスクドールのようであり、無機な美しさを放っていた。
その隣では、お茶を嗜む少女よりは年長の……ただし、少女という枠を出ることはない、女の子があぐらをかいて座り、苺のショートケーキを手掴みで頬張っている。その出で立ちはタイトで、露出度の高いレザースーツが全身を締め上げている。耳には金のピアス。ベリーショートの髪形と相成って、膨らみを抑えつけられた身体のラインは少年的だが、指先の生クリームを丹念に舐め取る仕草は、少女的な官能を覗かせていた。
「ドロシー、それ、食わないのか?」
物欲しそうな眼差しが、隣の皿に乗ったケーキに向けられている。ドロシーが細い顎を動かした途端、金色の爪がスポンジ生地を貫き、皿の上からケーキを奪い去っていた。
「もう、トトったら」
潰れかけたケーキを口に詰め込むトトを窘めると、ドロシーはティーカップをテーブルに下ろした。赤い瞳が工藤に向けられる。ねぇ、おかしいでしょう? 同意を求めるかのような微笑みに、工藤は素早く笑顔を取り繕う。壁に貼られたポスターそっくりな、笑顔。三十七歳という若さでまほろ市長となった男の、トレードマーク。年齢と共に積み重なった脂肪の量が、その柔和さに拍車をかけている。父親のような眼差しを、ドロシーは見返した。
「我々の力は必要ない……工藤様は、そうお考えなのですね」
「それが、市民の声です」
 ドロシーの言葉を、工藤はやんわりと訂正する。
「御社の力を疑っているわけではありません。評判も色々と聞いています。単なる需要と供給の問題です。わざわざ東京からご足労頂いたのに、良い返事ができないのが残念です」
 笑顔。ドロシーはすっと視線をポスターに向け、そのキャッチフレーズを読み上げた。
「魔物のいない町」
「まほろ市は日本屈指の、魔物被害が少ない町です。魔物のいない昔の平和な生活を求めて移住を希望する人も、年々増加しています。大手企業も続々と拠点をこちらに……」
「嘘つき」
 空耳のような呟きに、工藤の笑顔が固まる。ドロシーは脇に置いていたバッグを膝の上に乗せ、ファスナーを開いた。その隣では、トトが皿を振り回しておかわりを要求。その食べっぷりに目を丸くしていた女性秘書は、工藤が頷くのを見て、そそくさと退室した。
「姉ちゃん、早くね〜!」
 トトはその背中に呼びかけると、唾液で濡れた指先を肘掛けで拭った。工藤は硬直した顔の筋肉を指先で揉み解していたが、ドロシーがテーブルの上に広げた新聞記事を一瞥し、苦虫を噛み潰したかのような、歪んだ笑顔を披露した。
魔物のいる町……そんな見出しから始まった記事には、魔物注意報・警報の発令頻度の推移が線グラフにまとめられていた。一日に数回。全国的に見ても、ワーストから数えた方が早い頻度。不安を訴える市民達の投書が紙面を埋めている。
「需要と供給」
ドロシーは小首を傾げる。
「魔物も移住希望なのかしら?」
 くっくっと笑い声を漏らすトト。工藤は線グラフを人差し指で叩いた。
「……たかだが数週間のデータですよ、これは。それに、危険度が全く異なる注意報と警報を一緒くたにして取り上げるなんて、三流以下ですよ。注意報の発令が増えていることは事実ですが、警報とは危険度が違いますからね。政府のガイドラインと照らし合わせても、まほろ市にBランク以上の魔物が出現した記録はありません。Cランク以下の魔物なんて、危険度は野生動物とそう大差はない。せいぜい、『野犬に注意』程度ですから」
「でも、出るんだろ?魔物のいない町なのにさ」
 にやにやと笑いながらトトが突っ込む。
「それは理想であり、目標です。魔物がいないと公言したことは一度もありませんよ」
「へぇ、じゃあさ、どうやって魔物が出てこないようにする気なんだ?」
「それは……その、まほろ市では、年々魔物の発生件数が減少しているのが事実で……」
「だぁ、かぁ、らぁ、どうやってって、聞いてんだよ。えっ、おっさんよぉ?」
 言い淀む工藤に、トトは容赦なく噛みついた。テーブルに身を乗り出し、睨みつける。
「トト、止めなさい。工藤様がお困りでしょ?」
「だってよぉ」
「工藤様はこのまま魔物がいなくなって欲しいと、期待していらっしゃるのよ。別に具体的な対策を講じておられるわけではなくて、過去のデータから楽観視なさっているだけ」
 ねぇ、そうでしょう? 見透かすような眼差し。工藤はぐうの音もでなかった。ドロシーは笑顔で頷くと、鞄から一枚の用紙を取り出した。逆さまにして、工藤に差し出す。
「我々と契約してください。そうすれば……」
「生憎ですが、まほろ市にはすでに契約済みの会社と、魔法少女がおりましてね」
「存じております。この町をたった一人で……」
ドロシーはティーカップを持ち上げると、一口だけ傾けた。唇を離し、首を振る。
「可哀そう」
「市政は、彼女を全面的にサポートしています」
「ならばこそ、我々のようなプロに任せて頂くことが最善の策だとは思いませんか?」
「……月に数万以上の増税を、市民が納得すると思いますか?」
「それを納得させるのが、おっさんの仕事だろ? 命と比べりゃ、安いもんさ」
 工藤はぐっと言葉を詰まらせると、わざとらしい咳払いを一つ。
「……御社は、支払能力のない人間は守らないと聞きますが、それは事実なのですか?」
「ええ。ボランティアではありませんから」
にっこり。無垢な笑顔。工藤はドロシーに微笑み返すことはなかった。
「……やはり、御社と契約するわけにはいきませんな」
「次の選挙に響きますものね」
 ぎくりと肩を強張らせる工藤。ドロシーは困ったように眉根を寄せた。
「とはいえ、人死にが出てからでは手遅れですわよ?」
「脅迫、ですか?」
「いいえ、ただの事実ですわ」
「ここは、東京ではありませんよ」
「そういえば、東京にも魔物がいない時代がありましたわね」
工藤は目を伏せて首を振ると、契約書をドロシーに押し戻した。交渉決裂。
「それでは、失礼させて頂きます」
 ドロシーはティーカップをテーブルに置くと、契約書をバッグに戻して立ち上がった。
「ちょっ、まだケーキが……あっ、きたきた!」
 トトは秘書に駆け寄ると、ホールケーキの雄姿に瞳をキラキラと輝かせ、今までの食べ方が上品に思えるほど、猛然と貪り始めた。秘書が目を白黒させている間に全て平らげ、満足そうにげっぷをする。市長御用達、ワンホール1万円の高級ケーキが、一瞬で胃袋の中へ。
「ごっそーさん!」
「トト」
 ドロシーの呼びかけに、両手を差し出すトト。指先をハンカチで拭って貰うと、膝を曲げて顔を伸ばす。ドロシーはその口元を拭い、汚れたハンカチをバッグにしまうと、秘書の顔を見上げた。素朴な瞳を見詰め返し、軽い会釈。
「ありがとう」
 真っ赤になって首を振る秘書。ドロシーは微笑むと、工藤を振り返った。
「私達はしばらくこの地に留まります。いつでもご連絡を」
「じゃあな」
 ドロシーが扉を開けて退室し、トトが手を振りながらその後に続く。工藤は手を振り返している秘書にソファーの清掃を命じると、テーブルの上に残された名刺を取り上げた。
 名前はドロシー・ゲイル。社名はOZオズ
「……小娘どもが」
 工藤は名刺を握り潰すと、空の灰皿へと投げ捨てた。
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