他人の機嫌をいつも気にするようになり、相手が少しでも怒っていると落ち着かなくなり、自分が悪くないのにもかかわらず「ごめんなさい」という気持ちになり、「自分が間違っていたんだ、悪いんだ」という誤った心理が働いてしまうから。
争いごとが嫌いだ。
揉め事は嫌だから、自分だけが我慢をすればすべて穏便に収まる。
確かに誰もが争いごとなんかしたくはない。
しかし「自分の意見」をしっかりと伝えることをしなくては、いつしか自分の気持ちを抑えてばかりの人間になり、他人に同調するばかりのYESマンになってしまい、他人の意見を鵜呑みにしてしまい、他人に依存ばかりしてしまうなんともつまらない人生になってしまう。
いやいやそれがいいんだよ。
誰にでも良く思われたいんだよ。
そうであれば、それでいいと思う。
だって別に僕の人生ではない、あなたの人生。
何かあっても僕が困るわけではないから。
ただ現状に不満があるのなら、生き方に疲れているのなら、陰で他人の悪口をたくさん言っているの暇があるのなら、他人の顔をうかがって生きることをやめ、自分軸で生きていくほうがはるかに楽しい。
居ても居なくても別に構わない存在
いつも相手に合わせていれば揉め事にならなくて済む。
いつも相手の意見を「そうだね」と聞いていれば、反論されなくて済む。
いつも相手の顔色をうかがっていれば怒られなくて済む。
確かに、このように日々生活をしていれば「揉め事」は少なくなるだろう。
しかしそれではまるで空気のような存在になってしまい、誰からも頼られることなく、「居ても居なくても別に構わない存在」になってしまう。
本当はこう思っているけど、反論されるのが恐くて言えない。
本当はこう思っているけど、馬鹿にされたらどうしよう。
自分だけが我慢をすればいい。
自分だけが大人しくしていれば、この場が丸く収まるだろう。
いやいや、だからそんなことでは「居ても居なくても別に構わない存在」になっちゃうかもしれないよってことね。
勘違いしてもらいたくはないので書いておくが、僕は別に他人の意見のすべてに反対しろとは言わない。
むしろ賛成するところは大いに賛成し、シェアをしたりして他の人にもお知らせしたほうがよい。
だけど自分の意思や意見を抑えてまで、何から何まで「はいはい」と従っていたのでは、最後は自分が疲れてしまう。
過去の僕がそうだった
僕は10代後半まで、自分軸ではなく他人軸でずっと生きてきた。
いつも他人の意見を素直に聞き、反論したら関係が壊れてしまうのを恐れ、本当はしたくないことも我慢してやり、場のなかにいても空気を読んですごし、当り障りのない時間をすごしていた。
楽だと思う。
他人軸で生きるのって。
他人にだけ嫌われないようにしていればいいから。
だけど、言いたいことが言えない、やれない分ストレスはたまっていく。
それで一時期体調を壊したこともあった。
誰にでも良く思われたい
嫌われて生きるより、好かれて生きていたほうが楽しいに決まっている。
だけど、自分の意思や意見をちゃんと伝えることができない人生なんてつまらない。
僕は自分の過去を振り返ってみて、あらためてそう感じている。
確かに現状を変えていくことは行動することになるから、不安になる。
相手の言動、もっと細かくいえば口調、態度、目のかたち、それが目に見えてわかるから恐怖になる。
だけど現状をぶち壊すには、一度勇気をもって踏み込むしか解決策はない。
他人は何もしてくれない。過度な期待をしてはいけない。
いざとなれば、人間は自分のことだけを考えて行動するようになる。
だからこそ、最後に頼りになるのは自分自身でしかない。
2016年もあと少しで終わる。
そろそろ現状を変えたい。
楽しく生きたい。
そう少しでも感じているのなら、2017年はほんの少しだけ勇気を出し、殻をぶち破る行動を取ってみようじゃないの。
・2017年、札幌でのステージ決定。
2017年、北海道以外でも公演を承ります。
その他、映像制作もお気軽にお問合せください。
▼森マサミチ Facebook ページ
*https://www.facebook.com/syuduki.morisita
(基本、友達承認いたします)
▼ サンドアート北海道 Facebookページ
* https://www.facebook.com/sandarthokkaido/
・森マサミチ Twitter
* https://twitter.com/Hokkaido_naru
森マサミチ公式サイト