天皇誕生日に考える「生前退位」 特別立法の何が問題なのか

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2016/12/23 14:50 更新:2016/12/23 21:43
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問われる主権者の自覚

戦史・紛争史研究家、山崎雅弘

 戦史・紛争史研究家で日本の右派動向にも詳しい山崎雅弘さんは、天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議とヒアリング対象者(専門家)の在りように眉をひそめる。「議論のスタートがおかしい。まるで出来レースだ。結論ありきで進めるような問題ではない」と批判する。専門家の偏った構成、「お言葉」を軽んじる姿勢。そこから政権が力を誇示しようとする姿が透けて見える。「これは皇室だけの問題ではない。私たち、主権者としての自覚が問われている」

 8月8日にお言葉があり、その後有識者会議が立ち上がった。

 だが、本格的議論が始まる前の9月30日の段階で「生前退位の時期明記、政府・一代限りの特別立法」という見出しが報道されていた。

 10月30日には、下村博文元文科相の発言として「現在の陛下に限った特別立法での対応を政府が検討している」と報道があった。

 12月8日には「恒久的な制度化には踏み込まず」と政府関係者が明らかにしたと報じられた。

 政府は「特別立法」に向けて定期的に情報をリークしている。これは有識者会議のメンバーにも伝わる。当然、無視できないだろう。

 全体を通してみると、「有識者会議の意見を尊重する」とか「静かな環境での議論」などと菅義偉官房長官は言っていたが、明らかに静かな環境などではない。政府の意向を繰り返し流し「分かっているね」と伝えている。

 有識者会議の人選も恣意(しい)的であって民主的に行われたわけではない。

 特に、ヒアリング対象者は完全に安倍晋三首相の意向で選ばれたと指摘されていたが、実際のリストを見ると、16人中8人が、(国内最大の右派組織とされる)日本会議の活動に関わったことのある人だった。

 一般的な報道で賛否の人数が伝えられ、あたかもで議論が建設的に進んだかのような形式を取っているが、実際には大きな流れを決めた上で有識者会議を作り、話を進めてきた。

 端から見ていると本当に人をばかにした話だ。

 民主主義のプロセスを無視し、実質的には「密室」で決めていると言っても過言ではない。

「地位は国民の総意」


 本来であれば、天皇の象徴としての地位を決めるのは主権者である国民である、と憲法に書いてある。

 退位に関しても国民の意思、総意がまず前提になければいけない。政府が決めて、それに従いますというのでは総意とは言い難い。

 世論調査の結果を見ても「恒久的制度で対応する」が多数派だった。それを踏まえずして「国民の総意に基づく」とどうして言えるだろうか。

 有識者会議による本格的議論が始まる前に、「一代限り」という報道が出てくること自体が間違っているし、さらに言えば、そのまま報じるメディアも問題だ。

 今の安倍政権のやり方を象徴しているとも言える。それは同時に、天皇に対し極めて失礼なことだ。一体何のために天皇があのメッセージを出したのか、意味がなくなってしまう。

 お言葉の趣旨を踏まえれば、まさに象徴天皇の安定的継承、つまり恒久的制度によって実現すべきで、それが憲法の趣旨に合致する。

 今上天皇は2009年4月のお言葉で、戦後の天皇の在り方のほうが、明治・大正・昭和初期より、日本の伝統に合っている、とお話された。

 つまり、戦後の日本国憲法下で象徴としての務めをするというのは、天皇の歴史とも合うのだと、明確な認識に基づいて発言されていた。「これこそが、私の考える日本の伝統なのだ」という確信があってのことだと思う。だからこそ継続していくための恒久的な制度が必要となる。

透ける思惑


 皇室典範の改正ではなく、一代限りの特措法で対応すべしとする方々の思惑は、二つあると思う。

 一つ目は、明治時代の価値観や制度に戻そうとしているという思惑だ。

 皇室典範も基本的に明治に作られたものがベースになっているため、手を突っ込まれたくない。これだけは避けたい。戦後日本的な価値観に変えられてしまうとしたら、彼らにとって一つの大きな後退になってしまいかねないからだ。

 二つ目は、皇室典範に手を付けると女性天皇、さらには女系天皇を可能とする改正に話が拡大しかねないという恐れを抱いているということ。過去の天皇の歴史においては、女性天皇はいた。だが女系天皇については認められない、という方々がいる。皇室典範に手を付けると、こうした問題が議論されかねず、そこを恐れている。

 だが、本質的問題は、そうしたことにこだわっていては天皇制自体の存続が危ぶまれる、ということではないだろうか。

 今上天皇の意向とは異なる特別立法による解決を許せば、天皇の権威を政府が後ろ盾として付けることになりかねない。それはまさに戦前に起きたことであり、戦前・戦中の政府はそうしてさまざまな異論を封殺してきた歴史がある。

向けられた意図


 今回のメッセージは過去のしきたりに従ったというようなものではない。今上天皇が自らの新しいスタイルとして行ったことだ。憲法上のもろもろの制約を十分に配慮してのことだった。

 そして、その宛先は明らかに国民に対して語りかけていた。

 最後には頭を下げて「国民の理解が得られることを切に願っています」とおっしゃっていた。天皇の地位や制度を変えられるのは現行憲法上、国民だということ。それを尊重した上での行動だった。

 今上天皇は主権者である国民を信じている。そうした形で呼び掛ければ考えてもらえるのではないか、と感じている。

 政治家に任せるのではなく、主権者は国民であるから、国民向けにメッセージを発した、というのは今の憲法上極めて正しい手順だった。

 これに対し国民は応えているだろうか。もっと議論や意見表明がなされなければいけない。

 いまの天皇を取り巻く状況というのは、見方によっては極めて非人道的であるともいえる。

 10月に100歳で亡くなられた三笠宮崇仁が戦後間もない1946年11月に皇室典範が改正されるとき、枢密院に意見書を出した。その中で、天皇に死以外に譲位の道を開かないというのは、憲法18条にある「奴隷的拘束の禁止」に反するのではないか、と投げかけた。

 自発的な意思に基づく譲位を認めないのであれば、天皇は鉄鎖につながれた内閣の奴隷と化す、ということをはっきり書かれていた。

 いま安倍政権のやりようとみると、この言葉が現実的に響く。これは天皇制への賛否や関心の有無の問題ではない。お言葉は、天皇から国民に向けて発せられたSOSなのではないか。安倍政権の思惑通りに一代限りの特別立法で解決することを放置した上で、「護憲」などと言ってみても説得力を失うだろう。

 この鎖をだれが外せるのか。憲法上、それは国民に他ならない。いま、問われているのは私たちの「主権者としての自覚」だろう。

 (やまざき・まさひろ) 1967年大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。著書に「日本会議 戦前回帰への情念」(集英社新書)、「新版・中東戦争全史」(朝日文庫)、「戦前回帰」(学研)など。

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