天皇誕生日に考える「生前退位」 特別立法の何が問題なのか
- 神奈川新聞|
- 公開:2016/12/23 14:50 更新:2016/12/23 21:43
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皇室典範改正こそ唯一の策
皇室研究家、高森明勅皇室研究家で天皇の歴史や制度に詳しい高森明勅さんは、「特別措置法による一代限りの退位を認める」という対応に強い懸念を抱いている。「天皇の地位、その尊厳に関わる問題。到底許されない」。皇室の歴史とその現代的意味を見定めれば選択肢は、特別立法でも改憲でもない。「皇室典範の改正こそがあり得べき唯一の策」と断じる。
前近代においては、生前退位が標準的な皇位継承の形で、むしろ天皇が終身在位する方が異例だった。つまり皇室の伝統は生前退位ということになる。
ところが、明治22(1889)年2月17日に皇室典範を定めたとき制度上、退位の可能性が排除された。それを昭和の皇室典範でも踏襲した。
いずれも政治的に特殊な状況があったことで、そうなっている。
明治の際は、生前退位を認めるべきだ、という有力意見があったものの、当時の指導者である伊藤博文は、天皇の政治的権力が大きくなり過ぎるのではないか、ということを恐れ、生前退位を排除した。
ただ、政治的権力を抑えたい一方で、弱肉強食の帝国主義時代に日本が国際社会の荒波に引きずり出されたとき、より求心力の高い国家を作らなければいけなくなった。そのためには国家の統合の中心である天皇の権威を極力高める必要があった。そのために終身在位という制度が堅持された。
一方、戦後、昭和の皇室典範では、日本は占領下にあり、憲法も変わった。その中で、昭和天皇の戦争責任を追及するという声があり天皇は退位すべきだ、という議論さえあった。
そうした状況下で連合国軍総司令部(GHQ)は「占領行政を行う上で天皇の退位は無用な波乱要因になる」と考え、退位を避けた。
政府も同様の理由で、天皇が引責辞任のような形で退位するのはよくない、という判断があった。
明治の皇室典範に退位の制度がないのに、ことさら昭和の皇室典範で退位の制度を入れるということは、「昭和天皇は辞めろ」ということを意味してしまうため、これを避けたということ。
本来の「伝統」
こうしてみると、明治の皇室典範も、昭和の皇室典範も政治的な特殊背景があって生前退位を排除したという事情があったのであって、つまり終身在位は、皇室の伝統ではないということが言える。
41代持統天皇のとき本格的な譲位(生前退位)が始まった。それ以来、一貫して譲位がノーマルな形となった。
今上天皇が生前退位を望まれているというのは、伝統の形に立ち返ろうとされておられるのであって、何か新しいことを始めようとしているわけではない。
明治以降の天皇を巡る制度とは、求心力を高めようとするためにスタートしたわけだが、戦後は象徴天皇制を採用した。
このときに、生前退位の制度を導入する方が論理的には整合性があったはずだ。だが政治的事情で積み残しになっていたわけで、今上天皇が象徴天皇制にふさわしい形の提案をしたということになる。
ただ、「国政に関する権能を有しない」という憲法上の立場があるために8月8日の「お言葉」では「皇室典範を改正する」ことをまでは言及しなかった。
また「退位したい」ということをあらわにしたわけではない。とはいえ、退位の意向を強くにじませた。
それはおのずと皇室典範の改正につながる、ということになる。
曲解から導く解決策
お言葉の中には「象徴天皇の務めが安定的に受け継がれていくように」とある。自分が辞めたい、ということではなく、象徴天皇制というものを今後も機能させていくのであれば、象徴としての公的行為をできる人に世代交代していくという制度を採用しなければ、制度が完結しない。
この考えからすれば「一代限り」という方策は出てこない。
しかも「一代限り」という解決策では20年後、30年後にまた同じことが起きることはいまから分かっていること。
さらに、特別立法という解決法では、国会が恣意(しい)的に天皇を首にできるという前例になりかねない。
一方、皇室典範の改正であれば、恒久的な要件と手続きを定めることができる。
有識者会議の委員の中には「時代によって社会状況が変わり、国民の意識も変わるから特例法(特別立法)で対応するしかない、恒久的な制度は無理」と言っている方がいるが、これはあまりにも知識がない。
天皇本人の意思を無視して、強制的に退位させればいい、という制度が妥当性を持つはずがない。
本人の意思を踏まえ、チェックする。チェック機関としては皇室会議がある。その議決によって退位できるようにすれば、今後どんな社会状況になっても対応できる。このほか成年に達している跡継ぎがいること、という条件を付せばいい。
皇室典範を改正し、客観的で普遍的な妥当性のある要件を定めることは、不可能でも難しいことでもない。
「知識不足」
そもそも生前退位自体を認めないとする方々が有識者会議ヒアリング対象者の中おられたが、それは彼らにとっては、明治以降のルールこそが「絶対」になっているからだ。だからそれと異なる対応に拒絶反応がある。
明治以降のルールの中であり得るのは「摂政」で、これは今の現行憲法にも定めがある。だが、これで対応できるという主張は、理解が足りていない。
摂政というルールは、天皇に当事者能力が失われたときに初めて立てる制度。摂政を立てるかどうかは天皇の意思がまったく配慮されない制度になっている。
つまり天皇が意思の表示ができない状態になって初めて摂政の問題になる。
「摂政で解決」と言っている方々がそのことをどれだけの自覚して発言しているのか疑問だ。
責任感にあふれ、これだけ公務に取り組んでいる今上天皇を前にして、摂政を立てればいいというのは、とんでもない話だ。
いずれにしても「生前退位」制度の導入と、「摂政」は全く異なった局面を想定していて、双方は同時に制度化でき、それは皇室典範の改正で実現できるということ。
巧妙な演出
「退位そのものを認めない」という極論と、「一代限りで認める」という二項対立になっていた。そうすると「一代限りで認める」という解決策が比較的まともに見えてしまう。
非常に巧妙な演出が行われた。
特別立法による「一代限り」で退位を認めるという策は、憲法に抵触するばかりか、今上天皇のお言葉の趣旨にも反し、さらに国民の受け止めとも異なる。
むちゃくちゃ無理筋をやろうとしている。
昭和天皇が亡くなり、今上天皇は1989年1月7日に即位され、9日にお言葉を述べられた。
そのとき「日本国憲法と皇室典範の定めるところにより、皇位を継承しました」とはっきり述べられた。これは公的なルールにのっとって即位したということの宣言だった。皇室の伝統に即したもので、とても重要なことだった。
では今回、特別立法で退位と即位が行われたらどうなるか。憲法にも皇室典範にものっとらずに即位するなどということは、おおよそ「国民統合の象徴」たるにふさわしくない異例な形であって、政府はそれを強制しようとしていることになる。そうした自覚はあるのだろうか。
しかも、今回のお言葉を多くの国民は「譲位を望んでおられて、一代限りではなく制度の恒久化を求めている」と理解している。世論調査でもそうした結果が出ていた。
それはつまり、今上天皇が国民の前で恒久的制度を望まれたにもかかわらず、政府によってつぶされるということを意味する。
天皇という地位の権威、尊厳に関わる問題であって、到底許されてはならない。
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