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がん研究所忘年会

一昨日午後は、がん研究所の研究発表会と忘年会に参加してきた。プレシジョン医療研究センターの特任顧問としての参加だ。1989-1994年の5年間生化学部長として在任していたので懐かしい。私の知っている人たちはかなりの年齢となっているが、顔を見ると当時のことが脳裏に浮かぶ。

 

当時、元旦以外は働き続けるという密度の濃い生活をしていた。今で言えば、完全なブラックだが、この姿勢が日本の戦後を立て直してきたのだし、私たちは世界と競ってきた。その当時は、猪突猛進で走ることのできる若さがあった。周辺には、今でもそうだという声があるが、昔の馬力は猪だったが、今の馬力は、せいぜいミニピッグ程度だ。

 

がん研究所時代に辛苦を共にした(自らはそれを望んでいなかった人もいるだろうが、私の研究室で生き残った人は、辛苦を共にしたと思っていると信じたい)研究者の多くが、今は教授や研究室のトップとなり、全国で頑張ってくれている。年齢や敬称を省くと、堀井明(東北大学)、江見充(ハワイ大学)、稲澤譲治・三木義男・田中敏博(東京医科歯科大学)、時野隆至(札幌医科大学)、永瀬浩喜(千葉県がんセンター)、古川洋一(東京大学)、戸田達史(神戸大学)、片桐豊雅(徳島大学)、池川志郎・玉利真由美・山川和弘(理化学研究所)、今井高志(放射線医学総合研究所)、塚元和弘・吉浦孝一郎(長崎大学)、三好康雄(兵庫医科大学)、坂本崇(東京海洋大学)、藤原義之(鳥取大学)、森隆弘(東北大学)となる。このように並べると、こんなに多くの優秀な研究者に囲まれるという恵まれた環境にいたと改めて実感する。私が偉そうなことを言っている力の根源は、これら研究者の血と汗と涙の結晶だ。

 

ストレスで胃潰瘍になった者、不整脈が出た者など、今の世では、自己責任という言葉は、いつの間にか消え失せ、問題が起こると、すべて組織や社会の責任とされるので、私は確実にパワハラと非難されていただろう。しかし、部下に負けないように働き続けた私の体もきつかった。そもそも、医学は世のため、人のためにあるのだ。これをわかって欲しい。私の部下には、「自分の背中を見てそれを感じ取って欲しい」との想いは伝わったと信じたい。

 

今、25年前と同じ環境に置かれたら、同じようなことができるかどうか考える時があるが、絶対にできないと思う。私に体力・気力があっても、甘やかされて育っている今の若者には、私の指導法は通用しないだろう。平等主義は大事だが、必死で頑張っても、適当にさぼっても、結果も平等だと勘違いしている人が多すぎるのだ。努力が報われる評価制度がなければ、適当な輩が増殖する。

 

64年の東京オリンピック・バレーボールで金メダルを取った「東洋の魔女」を率いた大松監督は、スパルタ主義で有名だったが、今の定義なら、間違いなくパワハラだ。人を育てるには指導者の信念が重要だが、今の環境では、強い信念を維持するのは難しい。シンクロの井村コーチも、一部の人たちからは強い批難を受けた。結局、彼女を失った日本は弱体化し、井村コーチが指導した中国は強くなった。日本全体が甘ったれた慣れあい主義に陥って機能不全状態なのに、それを言い出せないような雰囲気がある。

 

医学は世のため、人のためにある。自分を犠牲にしても、患者さんのために、社会のために尽くす若者が増えて欲しいと願うばかりだ。がん研究所の懐かしいメンバーの顔を眺めながら、そう感じた。

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