12月19日は、なんという日だっただろう! 夜8時の全国ニュースが、駐トルコロシア大使暗殺のニュースを伝えていたちょうどその時、首都ベルリンでは、クリスマス市に集う人々の真ん中にトラックが突っ込んでいた。
旧西ベルリンの一番の繁華街に、カイザー・ヴィルヘルム記念教会がある。1895年に建てられた鐘楼の美しい教会だったが、第二次世界大戦の空襲で尖塔はすべて破壊された。戦後、教会はそのままの姿で残され、平和を祈る象徴となった。
クリスマス前、ヨーロッパではあちこちにクリスマスの市が立つが、このカイザー・ヴィルヘルム記念教会の周りで開かれるそれは、ベルリンで一番規模が大きい。実は、テロの起こる9日前の夜、私は日本から来た友人たちとともに、ちょうどこの場所にいた。
美しいイルミネーションの下に、食べ物やその他のものを売る屋台が所狭しと並び、大勢の人が温かいワインを飲んだり、ソーセージを食べたりしながら歓談していた。
ベルリンという土地柄、地元の人と観光客が渾然としている。屋台を冷やかして歩く人々。砂糖がけのアーモンドを炒る甘い匂い。今や商業化したクリスマスだが、それでもヨーロッパのクリスマスには、まだ宗教的行事としての残り香のようなものもある。
19日の夜も、間違いなくそこは、和やかなクリスマスのムードに包まれていたはずだ。8時2分、そこに40トントラックが突っ込んだのである。死者12人、負傷者48人、うち14人がまだ生死の境をさまよっている。
トラックはポーランドの運送会社のもので、運転していたのは事業主の従兄弟だった。イタリアから鉄骨を運んできて、19日の午前中にベルリンに到着。ただし、荷下ろしの作業が遅れ、午後3時、まだベルリンにいたことはわかっている。運転手と妻が電話で話をしているからだ。
3時44分、トラックにエンジンがかかったが、トラックは出発していない(GPSによる情報)。それが2度続いた。後の調べで、このときすでにトラックはジャックされており、犯人がトラックを試しに動かしたのだろうと推測されている。4時に運転手の妻が電話をした時、すでに連絡が取れなかったという。
トラックが発車したのは7時45分。犯人はクリスマス市の周りを一周した後、凶行に及んだ。犯行後、運転席には頭をピストルで撃ち抜かれたポーランド人の遺体が残されていた。解剖の結果、彼は犯行時にはまだ生きており、運転席には、二人が激しく戦った形跡が残されていたという。なお、武器は市販のものではなく、自家製だと推測されている。
その1時間後、1キロほど離れたところで、パキスタン難民(23歳)が拘束された。彼がトラックから飛び降りて逃走したのを追いかけたという目撃者の通報があったらしいが、証言は曖昧で、翌日の昼には、容疑は消え、釈放となった。トラックの運転席には血だらけの洋服が残されていたが、そのパキスタン難民からは、血痕も、火薬反応も何も出なかったばかりか、アリバイまであったという。
つまり、犯人はまだ逃走中で、自家製の武器を持っている可能性が高い。クリスマス市にはビデオカメラが設置されていないため、犯人の性別も、人数も、また協力者がいるかどうかもわからないと言われた。