2016-12-22

卓球五輪に出たかった。

私の親は、元卓球選手だ。

多くの卓球エリートがそうであるように、私も小さい頃から卓球スパルタ教育を受けた。

物心ついた時にはラケットを握っていたし、家には卓球台があったし、元旦も休まず練習した。

スパルタ教育を受けても、誰もが愛ちゃんみたいになれる訳じゃない。

小学生になると全日本年代カテゴリーで上位に入るようになった。

全国でもそこそこ名前が知られるようになり、中学校から親元を離れて練習に明け暮れた。

小学校中学校卒業文集には「卓球選手になって五輪メダルを取る」と書いた。

高校卒業文集には書けなかった。

大きな怪我もしてないし、成績が下がったとかでもなかった。

私は気付いたのだ。その年代トップ10に入るような実力でも、五輪世界選手権には出れない。

五輪に出るのが夢だった。五輪に出れるのは、限られた一部の天才だけだ。

4年に1度の大会で、日本から3人しかその舞台には立てない。

今の日本卓球界は、女子男子もめちゃめちゃ層が厚いのだ。

昔、全日本に出た時に、同い年の子に負けて泣いたことがある。

その試合映像が全国ニュースで流れ、対戦相手女の子が「天才卓球少女」として取り上げられた。

あの天才卓球少女は、今も頑張って卓球を続けているが、彼女リオ五輪には出れなかったし、東京五輪も出れないだろう。

例えば、石川佳純さんと私は何が違うのだろうか。

彼女が優勝した試合ベスト4に入ったことがあった。

順位は少ししか違わなくても、明らかな天と地の差があった。

圧倒的に違うのは、卓球センスだ。技術があってもセンスがない人は沢山いる。

誰かに教えられたり、必死練習して身につくものではない。

その才能に、努力と運がプラスされてやっとトップアスリートになれるのだ。

改めて思うけど、卓球が好きだった。すごく好きだった。

親に強制されてとかじゃなくて、自分意志でやっていた。

「好きなら五輪に出れなくても続ければいいじゃん」と思うかもしれないが

中途半端に実績のあった私は、そのプライドを引きづって、大学の途中で卓球を辞めた。

今は白衣を着て働いている。患者さんと卓球をすることもある。

でも卓球国際大会は見ない。見るとめちゃめちゃ悔しくなるのだ。卓球とはかけ離れた生活をして、かつてのライバルとは比較すらできない。

悔しがるのすらおこがましい話だが、それでも「五輪に出たかったな。」と思ってしまう。

トラックバック - http://anond.hatelabo.jp/20161222213108

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん