多くの卓球エリートがそうであるように、私も小さい頃から卓球のスパルタ教育を受けた。
物心ついた時にはラケットを握っていたし、家には卓球台があったし、元旦も休まず練習した。
スパルタ教育を受けても、誰もが愛ちゃんみたいになれる訳じゃない。
小学生になると全日本の年代別カテゴリーで上位に入るようになった。
全国でもそこそこ名前が知られるようになり、中学校から親元を離れて練習に明け暮れた。
小学校と中学校の卒業文集には「卓球選手になって五輪でメダルを取る」と書いた。
大きな怪我もしてないし、成績が下がったとかでもなかった。
私は気付いたのだ。その年代でトップ10に入るような実力でも、五輪や世界選手権には出れない。
五輪に出るのが夢だった。五輪に出れるのは、限られた一部の天才だけだ。
その試合映像が全国ニュースで流れ、対戦相手の女の子が「天才卓球少女」として取り上げられた。
あの天才卓球少女は、今も頑張って卓球を続けているが、彼女はリオ五輪には出れなかったし、東京五輪も出れないだろう。
例えば、石川佳純さんと私は何が違うのだろうか。
、
圧倒的に違うのは、卓球のセンスだ。技術があってもセンスがない人は沢山いる。
その才能に、努力と運がプラスされてやっとトップアスリートになれるのだ。
改めて思うけど、卓球が好きだった。すごく好きだった。
「好きなら五輪に出れなくても続ければいいじゃん」と思うかもしれないが
中途半端に実績のあった私は、そのプライドを引きづって、大学の途中で卓球を辞めた。
でも卓球の国際大会は見ない。見るとめちゃめちゃ悔しくなるのだ。卓球とはかけ離れた生活をして、かつてのライバルとは比較すらできない。