旧知の竹田圭吾さんが亡くなってしばらく経つんですけど、秋口に竹田さんとお仕事ご一緒した皆さんと宴席を設ける機会があって、故人を偲びながらも思い出話で議論百出し、あまり湿っぽくならないのが印象的だったわけです。
先日、竹田さんの未亡人となられた竹田裕子女史と対談させていただく機会を頂戴しました。
ちょうど竹田裕子女史が竹田圭吾さんの思い出話をまとめた本を上梓されるにあたっての内容だったのですが、黄色いランドセル話から馴れ初めまで、私たちにはついぞ見せてこなかった竹田圭吾さんの家庭での姿と、私どもが良く知る知識人であり面倒くさい人である竹田圭吾さんの存在感が交わる感じがしまして。
竹田圭吾と彼が生きた最後の数年間について(山本一郎) - Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20160111-00053314/
竹田裕子女史の本でもありますし、私にも彼の語ったところで言う「国際ジャーナリストとして、竹田圭吾でしかできないという実績を」という願いこそ成就しなかったものの、難解な国際政治を分かりやすく語れるおじさんとしての商品価値以上のものを追い求めてきた彼の姿勢には共感はしないまでも理解はできるわけであります。かなり硬骨漢でしたし、見た目や話しっぷりの穏やかさとは別に、感情豊かで言い出したら聞かない人だったあたりは、やはり家の中でも外でも「竹田圭吾は竹田圭吾であった」のであります。
一方で、病気の再発にあたっては繰り返し仰っていた「人は一人で死ぬものだ」「キーボードが打てない。どうしようもなく孤独を感じる」ような内容を奥様には伝えていなかったのが意外でした。当方としては、あの竹田さんが弱気になっているという感じはなく、むしろ「思い通り仕事ができない焦燥感」みたいな感じなのかなと思ってはいたのですが、寄り添うように、献身的に看病をされてきた竹田裕子女史からするとやはり憤慨しておられたのでしょうか。
実のところ、私も近しい親戚が全く同じ病気で一時期大変な闘病生活を送っていたのですが、仕事や家庭が充実していればいるほど「いま死んではいけない」という強いプレッシャーに苛まれるものなのかなあとぼんやり見ておったわけです。実父も似たような病気ですし、壊れていく自分、昔のようには動けなくなる自分、思い通りにならない自分といったものへの向き合い方は壮絶なものがあります。
それでも、ゆっくりと坂を下りるように、家族との残された時間を大事にする姿勢、仕事仲間には遠慮しつつも分担は無理だときちんと仁義を切ってくるあり方が、竹田圭吾流なのだなあと改めて思った次第であります。
国際ジャーナリストとして不動の何かを遺したわけではないけれど、この竹田圭吾流のモノの見方、考え方というのは生き様も含めて思うことがたくさんあります。「自分は常に少数の見方を解く」とか「世にある情報が感じ取れるエアコンであれ」などといった竹田流の話は、いろんな意味で何にでも通じる哲学のようなものなのでしょう。
大きい存在が突然ドーンと亡くなったというよりは、飄々と生きた気になる人がスーッといなくなったという雰囲気でありまして、仕事人として、父として、短いながらも彼らしく全うしたんだな、と改めて感じることしきりです。
「この衰退を始めた時代の日本に、彼のような人がいたのだ」と思い返すのには最適な本だと思いますので、ご関心があればぜひ手に取ってみてあげていただければと存じます。
竹田圭吾さんもチャーミングなおじさんでしたが、裕子女史も力の抜けた、なるほど圭吾さんが選び取りそうな黄色いランドセルであります。うん。
一〇〇万回言っても、言い足りないけど [ 竹田 裕子 ] |
先日、竹田さんの未亡人となられた竹田裕子女史と対談させていただく機会を頂戴しました。
ちょうど竹田裕子女史が竹田圭吾さんの思い出話をまとめた本を上梓されるにあたっての内容だったのですが、黄色いランドセル話から馴れ初めまで、私たちにはついぞ見せてこなかった竹田圭吾さんの家庭での姿と、私どもが良く知る知識人であり面倒くさい人である竹田圭吾さんの存在感が交わる感じがしまして。
竹田圭吾と彼が生きた最後の数年間について(山本一郎) - Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20160111-00053314/
竹田裕子女史の本でもありますし、私にも彼の語ったところで言う「国際ジャーナリストとして、竹田圭吾でしかできないという実績を」という願いこそ成就しなかったものの、難解な国際政治を分かりやすく語れるおじさんとしての商品価値以上のものを追い求めてきた彼の姿勢には共感はしないまでも理解はできるわけであります。かなり硬骨漢でしたし、見た目や話しっぷりの穏やかさとは別に、感情豊かで言い出したら聞かない人だったあたりは、やはり家の中でも外でも「竹田圭吾は竹田圭吾であった」のであります。
一方で、病気の再発にあたっては繰り返し仰っていた「人は一人で死ぬものだ」「キーボードが打てない。どうしようもなく孤独を感じる」ような内容を奥様には伝えていなかったのが意外でした。当方としては、あの竹田さんが弱気になっているという感じはなく、むしろ「思い通り仕事ができない焦燥感」みたいな感じなのかなと思ってはいたのですが、寄り添うように、献身的に看病をされてきた竹田裕子女史からするとやはり憤慨しておられたのでしょうか。
実のところ、私も近しい親戚が全く同じ病気で一時期大変な闘病生活を送っていたのですが、仕事や家庭が充実していればいるほど「いま死んではいけない」という強いプレッシャーに苛まれるものなのかなあとぼんやり見ておったわけです。実父も似たような病気ですし、壊れていく自分、昔のようには動けなくなる自分、思い通りにならない自分といったものへの向き合い方は壮絶なものがあります。
それでも、ゆっくりと坂を下りるように、家族との残された時間を大事にする姿勢、仕事仲間には遠慮しつつも分担は無理だときちんと仁義を切ってくるあり方が、竹田圭吾流なのだなあと改めて思った次第であります。
国際ジャーナリストとして不動の何かを遺したわけではないけれど、この竹田圭吾流のモノの見方、考え方というのは生き様も含めて思うことがたくさんあります。「自分は常に少数の見方を解く」とか「世にある情報が感じ取れるエアコンであれ」などといった竹田流の話は、いろんな意味で何にでも通じる哲学のようなものなのでしょう。
大きい存在が突然ドーンと亡くなったというよりは、飄々と生きた気になる人がスーッといなくなったという雰囲気でありまして、仕事人として、父として、短いながらも彼らしく全うしたんだな、と改めて感じることしきりです。
「この衰退を始めた時代の日本に、彼のような人がいたのだ」と思い返すのには最適な本だと思いますので、ご関心があればぜひ手に取ってみてあげていただければと存じます。
竹田圭吾さんもチャーミングなおじさんでしたが、裕子女史も力の抜けた、なるほど圭吾さんが選び取りそうな黄色いランドセルであります。うん。
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