寡黙な「鉄仮面」もやることは豪快だった…加藤初氏を悼む
誰よりも激しい闘争心を持ちながら、それを内に秘め…。まさに「男は黙って」を地でいく人だった。入団したのは黒い霧事件で主力がいなくなった西鉄。負けん気が強い性格を知っていた河村英文投手コーチは、先に入団していた東尾修さんと競わせるため、こんな言葉で加藤さんの負けじ魂に針を刺し続けた。「トンビ(東尾さんの愛称)の方がはるかに(力が)上だわ。お前はどうやってもあいつにかなわんよ」。加藤さんはライバルとの差を埋めるために猛練習をし、新人王を取った。
寡黙なことで定評があり、巨人に移籍直後は「鉄仮面」と呼ばれていた。巨人担当1年目、近づきづらかった人を、遠征先で昼食に誘った。すると、その日の試合で完投勝利。「縁起がいいやつだ」と感じたのか、それからよく声を掛けてくれるようになった。
物静かな外見とは裏腹に、やることは豪快。多摩川グラウンドで練習中にぎっくり腰を起こした加藤さん。だが、病院が3時間後でないと診察できないという。「仕方がないな…」と苦笑しながら、トレーナーと私を自宅に誘うと「時間つぶしだ」と3人で麻雀を始めた。「イテテ!」と何度も悲鳴をあげながら、診察時間が来るのを待っていた。
太平洋時代にも東尾さんとの傑作な話がある。2人とも翌日先発する予定なのに、徹夜でトランプ。一睡もせずに球場入りし、そこでジャンケンをした。負けた方が第1試合に先発、勝った方が「少しだけ寝られる」第2試合を取った。結果は? 2人とも完投勝利。とんでもない豪傑である。
西武のコーチを退任した後は、台湾、韓国にも渡ってコーチを経験した苦労人。韓国時代には、たびたび電話で加藤さんから韓国野球の情報をもらっていた。体調がよくないことは、人づてに聞いていたのだが…。現役時代と同じスタイルを貫いて、加藤さんは静かに逝ってしまった。(洞山 和哉)
訃報・おくやみ