異議あり。
巡回ブログで、展覧会レビューの好きな方がいて、そこで気になる言葉を見た。
パルコミュージアムで開催中の「大ラジカセ展」で監修者の松崎順一氏が、ラジカセの定義を挙げていて
- ラジオとカセットが付いている。
- 把手が必ずある。
- 電池で使える。
であるというのである。ただし、これは自分が上記ブログを見て解釈した言葉であり、監修者自身の言葉を直接引用するのであれば
僕が考えるラジカセの定義は1.ラジオとカセットが付いている。2.把手が必ずある。3.電池で使える。
この3点がラジカセの定義と思っている。
あえてもう一つ付け加えるならばワンピースこそ最高なのである。
ラジカセ考 - デザインアンダーグラウンド ラジカセ・カセットテープ・オーディオの販売
となっていて、日本語としておかしな表現、微妙な文章である。「定義」とは、或る物を明確に限定するものであり、「考える」という曖昧な表現と一緒にされるのはおかしな話だ。言い切ってこその「定義」であろう。
ここは仮に「定義」であるとして話を進めるが、自分は上記定義に当てはまらない例が多数あると知っていて、これを「定義」とするのは問題だと思う。
- ラジオとカセットが付いている。
- 把手が必ずある。
- 電池で使える。
1と3については、まあ異論がない。問題は
2.把手が必ずある。
である。つまり横長の持ち手が必ずラジカセには付いているというのだ。
この写真は自分の持っている「ヘッドホンステレオ ラジオカセットレコーダー」である。取扱説明書にそう明記されている。
「ヘッドホンステレオ」であると同時に「ラジオカセットレコーダー」でもあるのだ。
ラジオカセットレコーダー=ラジカセ
ではないのか?
手のひらサイズであるがゆえに、把手の様なものは付いていない。監修者の松崎順一氏にとっては、これはラジカセではないらしい。
ヘッドホンを使わなくても聞くことのできるスピーカーが付いていて、AM/FMラジオが付いているので、単なるヘッドホンステレオではなく、ラジカセであると自分は思うし、メーカー自身がラジオカセットレコーダーと明記している以上ラジカセであるのは間違いないのだが。
まあ、いいだろう。自分の所有物はヘッドホンステレオでもあり、携帯プレーヤーだと言われれば、仕方がない所だ。
だが以下の例はどうなんだ?
http://www.video-koubou-topaz.jp/SONY-BOOMBOX-1975.html
SONY CF-1150(pro 1150)という機種である。
やや小型ではあるが、携帯プレーヤーというには大きく堂々としたスタイリングが魅力的な機種だ。ただし、把手となる可動式の横長のハンドルはなく、革製のキャリングベルトで代用されている。持ち手にはなるが、ベルトを普通把手とは言わないだろう。
この堂々としたスタイリングの機種を、監修者の松崎順一氏はラジカセと認めないのだろうか?
同じSONYの機種では、もっと有名なものがある。
http://radiokobo.sakura.ne.jp/Geocity/SONY/FX-300.html
FX-300 JACKALである。
ラジオカセットレコーダーであると同時に白黒テレビが搭載されていることで有名な機種だ。ミリタリー調のメカニックな外観が、オタク心をくすぐりコレクターに人気の機種だ。これも把手ではなく、キャリングベルトである。これもラジカセではないのだろうか。
ラジカセではなくラテカセだからか?それともカセット操作ボタンの下の防護バーが把手だというのだろうかw
把手のないラジオカセットレコーダーは枚挙にいとまがないのだが、締めに真打を登場させよう。
モノラルラジカセ最後の名機といっても過言ではない、東芝のアクタス・パラボラ RT-2800だ。
http://www.geocities.jp/yumesawanachi/radio/toshiba-rt2800.html
改良型のアクタス・パラボラ マーク2 RT-2880と共に大ヒットを記録したので覚えているオールドファンは多いだろう。
イメージキャラクターとして水島新司の「野球狂の詩」のヒロイン、水原勇気が使われたことでも印象深い。
巨大なパラボラ集音器を標準装備することで知られる本機だが、それを本体に取り付けると、一般的な横長可動式バータイプの把手では干渉してしまうため、キャリングベルトだった。本機のベルトを肩に掛けて、屋外の生録に出かけるのが、当時のメカオタク少年の憧れだったのである。
ああ、何という事だろう。この堂々としたスタイルのラジオカセットレコーダーさえも、
ラジカセではない
というのであろうか?
まあ、言いたいことは分かる。「定義」などと大仰な事をいっているが、単に把手のあるタイプが好きなだけの話である。日本初のラジカセである「AIWA TPR-101」は大きなアルミ製のバーハンドルが印象的なデザインである。その印象が強すぎるのであろう。
それなら、それでいいが、展覧会の監修者だったり、ラジカセコレクターの第一人者を自称するのであれば、言葉には正確であるべきだ。
たとえ立派なコレクションはなくとも、思い出とともに豊富な知識を持った隠れた愛好家は、自分を含めごまんといるのである。
いい加減な事をいえば、当時を知らない若者はごまかせても、鼻で笑われるというものだ。