先日、職場で、ベジタリアンなのに隠れベーコン愛食家であるインド人N君と、結婚式についての話をしました。きっかけはついこの間、式をあげた親友の話題です。
ベーコンと同じくらい日本にも関心があるN君は、ジャパニーズ ウエディング セレモニーに並々ならぬ興味を示し、やけに具体的な質問を矢継ぎ早に投げかけてきました。
「日本人と結婚をする」という未来を見据えてか、かなり前のめり気味な姿勢になったN君の力になってあげたかったのですが、いかんせん自分には彼の疑問に答える知識を持っていません。ですので、仕事中でしたがグーグルさん家の玄関を叩き、日印共同で日本の一般的な結婚式スタイルの勉強をさせてもらいました。
思ったよりも時間は掛かってしまいましたが、あらかた式の流れを理解してグーグルさん家を後にすると、ため息をついたN君は太い眉毛を下げて「日本の結婚式は頭痛が少なそうだね」と言いました。
頭痛が少なそう……。
自分にとっては、調べて出てきたもの殆どが頭痛の種になりそうでしたが、インド人の彼にとっては、その全てがパラダイス銀河に見えたみたいです。
「ヨシさん(N君はいつもそう呼びます)、ボクはやっぱり日本人と結婚して、日本で式を挙げるよ」
眼鏡の奥の目をキラッキラさせてN君がそう言った理由は、インドの結婚式スタイルにあります。
インドの結婚式、冗談抜きで、半端ないんです。
自分がインディアン ウエディングの詳細を知ったのは、N君の前任として部署にいたS君(もちろん、インド人)からで、その内容は聞いた自分の耳を疑うほどの衝撃がありました。
まず参加人数。S君によると300人から400人は当たり前の数字らしく、S君のお兄さんが結婚した時は、なんと1100人ほどのゲストが集まったらしいです。一応、S君の周りだけがぶっ飛んでいる可能性もあるので、N君にも裏を取りましたが、彼らの答えは概ね一致していました。
しかし、1100人て……。
そこそこ埋まっている後楽園ホールじゃないですか。
ボリウッドのスーパースターでもなく、マイコーや、はたまたマリックでもないS君のお兄さん(建設会社勤務)の式にそこまで人が集まる理由は、「招待者の一族、総呼び出し制」にあるみたいです。
例えば、あなたが式を挙げるとして、友人のAさんを招待するとします。そうしますと日本ではAさんのみが式に参加することになりますが、インドではAさんの家族(両親、兄弟、祖父、祖母)、それに親戚(伯父、伯母、従兄弟、再従兄弟など)がこぞってやってくるらしいのです。
なんだか、「俺の友達の友達が雑誌のモデルやってるんだ」の法則とあまり変わらない気がします……。だって、Aさんの従兄弟って、言ってしまえば他人じゃないですか。
説明されてもイマイチ納得できない感情をS君に伝えましたが、「そういうものだから」と諭されました。
S君、大人です。
色々と考え、今からうなだれているN君は見たままですが、S君も「人が集まりすぎるのが問題だ」と憂いていました。
「じゃあ、人数を減らせば?」と簡単に考えてしまいますが、物事はそう単純ではないらしく、そんなことをしたら、親が悲しむし、この先ずっとそれを親戚や周りから言われるから無理だ、というのがS君の答えでした。
家族や親戚関係をとても大切にするインド。周囲からのプレッシャーが凄まじそうで、聞いただけで気持ちが折れます。
因みに、二人が共通して「避けたい」と言っていたのが写真撮影です。
何でも新郎新婦は、ほぼ全員の参加者と記念写真を撮らなければならないらしく、ポーズ決めっぱなしの撮影会は、体の負担がひどいそうです。
着慣れない民族衣装を着て、明星スマイルでパシャり、パシャり、1100人とパシャり、「はじめまして」なAさんの従兄弟(他人)とパシャり、パシャり……。
ホラーです。イメージすると、気がどうにかなりそうです。
S君曰く、彼のお兄さんの明星撮影会は、約8時間かかったそうです。
カー君もびっくり、グラビア6ヶ月分の撮り溜めです。
自分、きっと泣きます。
トイレの個室に入り、無意味にグルグルとその場を回り、何とか自我を保ちます。
そんなインドのセレモニー、1日そこらじゃ終わりません。平均的な式は、なんと、5日。1日分の参加で残り4日が付いてくる、夢のジャパネットたかた。
そして、何とその間の宿泊費、食事代は全てジャパネット(新郎新婦)が負担しま……するそうです。
そんなことなので、その総費用は、もちろんスカイハイ。 新婚早々、生活に負担がかかる結婚式。うーん、何かが違うような。
自分、きっと吐きます。
飲み過ぎとかが理由ではなく、迫り来る翌月のお財布事情を考えて、2日目の個室トイレで、吐きます。
インド人のメンタルの強さ、本気でリスペクトです。
「ところでヨシさんの時は、どんな式をしたの?」
ジャパニーズ ウエディング セレモニーに散々思いを馳せたN君は、真っ白な前歯を見せて尋ねてきました。
「自分たちは式を挙げてないんだ。でも、友達がそのかわりをやってくれたよ」
「それはグッドだね。それで、何人くらい参加したの?」
「だいたい13人くらい」
「ん? サーティー?」
「いや、サーティーン。ワンスリーだよ」
「13人? ヨシさん……それは、結婚式じゃないヨ。その人数は、式の予定を決める家族会議だよ」
「家族会議……N君、シャラップ」
文化的背景が違うので、こういった会話が多くありますが、N君に悪気はありません。少し子供っぽいところはありますが、真面目でいい子です。
N君に説明した通り、自分たちは式を挙げていません。
自分の親に結婚する旨を伝え、向こうの両親に頭を下げて、二人で役所に行き、婚姻届を出しました。
両家の顔見せのため、皆で一緒に温泉宿に出かけ一泊しましたが、披露宴を催す事は出来ませんでした。
「式とかドレスとか、私そういうの一切、興味ないから」
当時、繰り返しそう言ってくれた嫁の言葉に甘えさせてもらいましたが、その真意は分かりません。優しい人なので、尚更です。
こうして振り返ると、嫁に頭が上がらないことばかりだな、と実感します。
これからも「感謝するなら、肩を揉め」の行動理念に沿って精進していきたいと思います。
結婚式を行わなかった自分たちですが、人生で2度もケーキカットをさせて頂く機会がありました。
1度目は仲間たちから。
コマ送りのように場面が浮かびます。
華麗にデコレーションされた軽ワゴンでの出迎え。
正装して下手な敬語を無理して使う、集まりのリーダー。
貸し切られた、行きつけのカラオケボックス。
店の奥、大事なイベントがあった時によく利用していた大広間に集まるメンバーと奥さん、及び、彼女。
長机の上には、溢れんばかりのお寿司とステーキ。仲間に入ってから事あるごとに話していた、自分の中の最上級贅沢品。
メンバーの奥さんが作ってくれた手作りのウエディングベール。そして目の前に現れた立派なウエディングケーキ。
ケーキカットを二人でしている時、有り難さが込み上げました。
守られている。
愛されている。
間違いなく、この瞬間、自分は存在している。
生きててよかった、素直にそう思えました。
もう1つのケーキカットは姉から。
自分たちと同じ時期に結婚した姉。彼女の結婚式は自分がカナダへ出発する少し前に行われました。
式の終盤に差し掛かった頃、突然、司会者の方が自分と嫁の名前を呼びました。
もちろん、何も知らされていません。
何事かと二人で前に行くと、突然開かれた扉から、ウエディングケーキが登場しました。
それは、とても立派なケーキでした。
いつも目の上のたんこぶだった、姉。
消えていなくなればいいのにと、本気で思っていた姉の存在。
危ない橋を渡って、17歳の自分を救った年子の姉。
恩人なのに、面と向かってお礼を言えなかった。
そんな自分に対しての、ケーキ。
あぁ、この人にはやっぱり敵わないんだなと確信しました。
彼女は結婚して、家を出て行く。自分はもうすぐ日本を出て行く。
たくさんの感情が昇華していきました。
ブログは面白いです。
こんな事を書こう、と思っていた範疇を簡単に超えます。
2つのケーキカット。もちろん忘れることはありませんが、毎日思い出しているわけでもありません。
感謝の気持ちとその場面は、常に繋がっているようで繋がってはいない。
でも、こうしてきっかけが生まれると、この間の事のように思い出せます。
書いている時に「怒り」や「恐れ」が浮かんでくることもしばしばですが、今回のように「愛情」と「感謝」が湧き上がることもしょっちゅうです。
ありがたい。ありがとう。
小説や詩とは、また違った表現方法。
新しい「書く」楽しさをくれたことに、感謝します。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
(滝の前にある警察署。ボンヤリ浮かぶ2体の天使がお出迎えです)