新幹線は東へ向かっていた。8月末、私は清原和博をめぐる旅の途中だった。取材で訪れていた三河安城駅から東京行きの終電「こだま」に飛び乗ると、リクライニングを倒して、息をついた。ふと、携帯電話を見ると、見覚えのない番号から着信が入っていた。誰だろう? そう思いながら、かけてみた。
「…………です」
電話の向こう側でくぐもった声がしたが、よく聞こえなかった。友人からのいたずら電話かと思った。
「あのお、この番号、登録されていないんですけど?」
聞こえたのか、聞こえなかったのか、電話の主はそれには答えず、話し始めた。
「ありがとうございました。感動しました。ただ、それだけ伝えたくて電話しました……。涙が止まらなかったです……。1日に、何度も何度も読んでいます」
受話器の向こうの声が震えていた。私は携帯電話を手にしたまま、デッキへと移動した。
8月10日に発売されたNumber「甲子園最強打者伝説」号は清原和博に捧げられた特集だった。巻末の松井一晃編集長による「編集後記」が全てを表現していた。
『拝啓 清原和博さま
1985年の夏、高校一年の私は父のクルマの中で編入試験の合格発表を待っていました。ラジオからPL対宇部商の中継が流れています。「ここでキヨハラが打ったら、オレも受かる……」。次の瞬間、あなたはホームランを打ちました。甲子園はキヨハラのためにあるのか――。次の打席も、あなたはホームランを打ちました。以来、あなたのホームランに、一体どれだけ励まされつづけたことか。
今回、PL時代にあなたが甲子園で打った13本のホームラン、その対戦相手すべてに話を聞きました。みな、あなたと真剣勝負をした記憶と、あなたと同時代に生きたことを誇りにしておられました。あなたが野球に帰ってくるためにできることはないか考えておられました。
この特集記事は、あなたに励まされつづけた私たちからのプレゼントです。
あなたが、再び小誌の誌面に登場する日が来ることを私は信じています』