お知らせです。帰省して親戚にあったり英語勉強したりするので、ブログのほうをお休み……はしませんが、更新が3日に1回くらいになります。それでもいいよーっていう優しい方は、更新されたときにぜひ見にきてください。
帰ってきたらまた毎日更新します。
学歴不要なんじゃないか説
こちらの記事を読んで思うところがあったので今日はこれを書くことにします。
これを読んでいる、または将来読むであろう受験生、もしくは今の大学生に向けたアツい言葉です。
皆さん、学歴は必要じゃありませんよ。
もう一度言いますよ。
学歴は必要ありません。
なぜか?それを今から解説しますよ。
「学歴がないといけない」という幻想
昔の私も含め、結構たくさんの人がこういう幻想に取りつかれています。
学歴がないと生きていけない、学歴があれば成功できる。
しかし私にしてみれば、生き方に関する「ねばならない」は不要どころか害悪に思われます。大学に入って初めてそれを実感しました。
はてなでもこの前この記事がとっても有名になってました。
ブックマークに寄せられたコメントはほとんどが批判であり、非難じみたのも見受けられます。
この生き方が将来どうなるかは誰にもわかりません。
だから、今の時点で他人がどうこう言える問題ではない
というのは頭に置いていてもいいはずです。
「そんな甘い考えで社会に通用すると思ってるのか」というオッサン思考丸出しの愛情にあふれるコメントもありますが、
この行為自体の良し悪しはおいといて、大学を辞めよう!という決意をしたのはすごいことだと思います。
だって彼は「学歴がないといけない」という思い込みを捨て、自らを厳しい厳しい社会の中に置こうとしたのですから。それって、みんなが思うよりずっと大変ですよ。
何が言いたいか?というと、
別に生きていくうえで、こういう選択肢もあるんだ
ということです。話は変わりますが、先日私は友人に相談を受けました。
いわく、「学校が嫌で嫌でたまらないから、辞めたい」と。
私はこう返しました。
辞めるのも一つの選択肢だと思うよ
と。これは無責任な言葉でしょうか?私はむしろ、嫌でたまらない学校を卒業するために彼を耐えさせることのほうが、無責任に思われますが。彼がぶっ倒れたらどうするんでしょうかね。そうやって彼が後悔するくらいなら、いっそ辞め(ることを助言し)てしまったほうがいい気がします。
なぜ学歴がいらないのか?
たぶん、「学歴大事だよ思想」に染まった人はこう考えるでしょう。
いやいや、学歴ないと生きてけねーって。
就職もできんだろ。
しかし私にしてみればその考え自体が誤り。
就職する必要もないからです。いや、正しく言えばですよ。
正式に会社や機関に入る必要がないんです。
だってよく考えてくださいよ。会社や公的機関が、資格もない、実績もない。学歴すらない人間をとるでしょうか?とるはずありません。
企業によっては大卒が志望の条件だったり、院卒が条件だったりするところがあります。一定のレベルの大学を第一志望の時点で足切りしているところもあります。
そんなところに学歴なしの人間が志望かけて、果たして選ばれるでしょうか?
そりゃあ無理な話です。針の穴に象を通そうとするようなもん。
書類選考の段階で落とされます。
つまり必要云々ってより、無理なんですよ。学歴を必要ないと感じた人は、学歴がいらない仕事につくわけです。学歴はなくても実力ならある(と思っている)から。
だから、学歴は必要ない!と思った人間は、どうぞ学歴を捨てて自由に生きればいいのです。ちょうどさっきの彼(大学をやめて起業すると宣言した人)のように。
起業したり新しいことを始めたり芸術方面で生きたりするとき、そこに学歴は付きまといません。どこまでいっても実力社会、時にコネと人脈とを使い成り上がっていくわけですから、そこに学歴なんてファクターは何の影響も及ぼさないはず、ですよね?
バイトでもいいですよ。体の持つ限り時給のいいバイトで稼いで生きることも、今の日本なら可能です。可能だけど楽だとは言ってません。でも、バイトには学歴が関係しない。頭を使う仕事ならまだしも、体を使う仕事で学歴は関係がありませんから。
だから私はタイトルにそう書いたんですよ。学歴があれば成功できる……というわけでもないし、成功した人間に皆学歴があったというわけでもない。その二つには直接の関係がありません。高学歴のニートはいっぱいいるし、学歴の高くない成功者だっているにはいる。数学的に見れば、学歴は成功の十分条件でも必要条件でもありません。
ですが、これを聞いてもまだ皆さんが「納得できん!」と思うのはきっと、こういう恐れがあるからですよね。
学歴がないともしもの時に怖いだろ……
と。そう、それもまた正論なのです。私もさすがに「怖い」という感情そのものを否定することなんてできません。
私がさっきから話してきた「学歴いらない人間」というのは、学歴という当たり前すぎる保険を手に入れずに、自分の手だけで世間の鬼たちをぶった切っていくバイタリティのある人間のこと。早い話、図太い人間ってことです。
大多数はそっちじゃなくて、学歴を手に入れるほうを選びますよね。私もこっちを選びました。だって怖いじゃないですか。他人と違った道を選び、叩かれながら刺されながら、叫んで生きるわけですよ。「俺は周りとは違うんだー!」って。
そんなのはいやです。他のみんなと同じがいい。
でも、その考えがやはりまずいのです。
学歴さえあれば大丈夫なのか?
結局、じゃあなんだ。
学歴を手に入れてみんなと一緒に仲良く就職すればいいじゃんか。
それだけの話をくどくどよく言えるなーコイツ。
そう考える人がたくさんいるはずです。これが危ないのです。今の日本では。
その理由を説明する前に、どうしてみんなが「学歴があれば大丈夫だ」と思うようになったのかについて分析しておきます。
恐らくこういうことでしょう。
学歴がないと不安だ!学歴は大事だ!
↓
え、学歴があれば安心じゃね
↓
じゃあ勉強していい大学に入ろう!
たぶんこう考える人が大半でしょうね。でもこれは今は間違っていると個人的に思います。(勉強の動機としては立派ですが)その理由を一言で表すならば、
学歴があっても安心じゃなくなってきた
から。
大半の人というのは、大学に行けばとりあえず満足してしまいます。(私も当てはまってるかもしれませんが、)私の周りの人がほとんどみなそうだからです。
一部、留学をするために高い志で英語を話す人や、将来のためにいろんなことを学ぶ人もいます。彼らはすごいです。
しかし、大多数というのは、下のアンケートの結果からもわかるように入学して満足し、入学当時の志はどこへやら。飲み会にサークルにカラオケに明け暮れ、自分の描いた理想の生活と逆のことをしている。
満足することにより、必然的に勉強しなくなります。
あんなに頑張ってきた受験勉強の時間は、今やゲームや睡眠や飲み会やサークルの時間に充てられ(人付き合いも確かに大事ですよ!)、授業で学んだことをちゃんと毎日復習するようなまじめな生徒はほとんど見受けられません。とても残念ですが。
(平成23年度 総務省統計局による「社会生活基本調査」より独自に作成)
小学6年 5.1時間
中学3年 6.06時間
高校3年 6.17時間
大学生 3.33時間
大学院生 4.23時間
これは、日本の学生の学業時間(塾・予習復習を含む)を表した折れ線グラフです。折れ線グラフにしたのは平均的な日本人の勉強時間の推移を表すためです。
ご覧のように大学生は小学生の勉強時間にすら負けていますね。
また、
(東京大学の大学経営・政策研究センターの調査より引用)
日本の大学生(n=48233)に対して行った調査ですが、4分の1以上の学生は「予習復習をせずに授業にのぞむ」と答えています。ちゃんと予習復習しているのは全体のおよそ25分の1しかおらず、日本の大学生がいかに勉強していないかがわかるデータですね。
あとはコレ。
その後学生に自分の国の大学生はどのくらい勉強しているかインタビューした。
どのくらい勉強していますか。インド人の学生 「だいたい一日6-8時間ぐらいです。」
アメリカの学生「アメリカの場合い一日10時間ぐらいが普通です。」
ケンブリッジ大学から生中継
「Q&Aが多いです。」「とにかく読まなければならないものが多すぎて、全部読んだら死んでしまいます。」(日本人留学生)
アメリカUCバークレーから生中継
「月曜日から金曜日まで空いている時間があったら、図書館に引きこもって勉強しています。
金曜日と土曜日はゆっくりして又日曜日の夜から勉強です。」(日本人留学生)
韓国の大学から生中継
韓国の大学は遅刻欠席がすくない。まじめにしないといけない環境におかれています。(日本人留学生)
フィリピン人の大学生
フィリピンの大学ではAをとるのが大変です。でも日本では簡単に取れます。
本当にこんなもんなんですよ。他のところは。日本の学生が英語話せない~とか嘆いてる間に、彼らは本当によく学びます。インドなんて特に。人口が多くカースト制度が残っているため、貧乏な学生がその状況から脱する唯一の方法は「勉強することだ」と。ネットで知り合ったインド人の子はそう言っていました。
これと比べ日本の大多数の学生は、上のデータからもわかるように全くといってよいほど勉強しない。みんな
学歴があれば大丈夫だろう
とタカをくくり、親の金と奨学金の上にアグラをかいています(自分で言っといて耳が痛い……!)
しかし、学歴があるだけでは厳しい社会になってきつつあります。大学に進学する人の割合はほぼ半分。つまり、「大学に入学することは当たり前」になってきつつあるのです。
しかも国のすすめる「ぐろーばる化」とやらで、英語が話せることが標準装備になっている業界もあります。TOEICの点数やTOEFLの点数を志願の条件にしていたりね。英語が話せることではなく、英語で何を成し遂げるのか、が重視されるようになりつつあるんですね。
この流れは当然大学にも及びます。文科省は「スーパーグローバル大学」というくくりで選定された大学に対し、
徹底した「大学改革」と「国際化」を断行し、我が国の高等教育の国際通用性、ひいては国際競争力の実現を図り、優れた能力をもつ人材を育成する環境基盤を整理する
らしいです。
お偉方が好きそうな具体性のかけらもないワードですね……実際、ここに選定されている大学の友人何人かに聞いても、「特にそれを感じたことはない」と。
ですが確かにこういう風潮になっていることは否めません。
つまり、世の中は実力社会!英語!グローバル!
なんて言われてるのに、大学生はそれに適応しない。勉強時間がすべてを物語っています。自分の専門外の教養とかならまだしも、専攻の学問さえ予習復習なしに授業に臨むありさま。
英語だけの話じゃありませんよ、日本人が英語を話せないから英語を取り上げたまでのことであり、専攻科目を第一にやらねばなりません。でもそれさえもできていないというのが現状。
ですから世の中の学生諸兄には、
将来は学歴なんてお飾りになるんだ(十分条件でも必要条件でもないのだ)ということを肝に銘じて、励んでほしいと思います。本当になるかどうかは別として、
「危機感を持って学習した学生」と「学歴にあぐらをかいてのほほんとしてきた学生」では絶対に差がつくはずです。
特に高校生に言いたい。
今は大学に入ることを第一に考え、必死に勉強してよいでしょう。進学する高校生に求められているのはそういうことだから。
その一方で、その大学で自分が一体何をしたいのか、ということも視野に入れておく必要があります。入ればゴールではない、入ってからがスタートだと。そこを見失うと大半の学生のようになってしまいますよ。
学歴にアグラをかける時代ではなくなってきたのです。
結論
今日のまとめをします。
図太い人は学歴なしでも生きていく。
つまり生きるために学歴は必要ではない。
だが図太くない人は学歴を手に入れようとする。
しかし、
学歴がないといけない
という考えが、逆に
学歴さえあれば大丈夫だ
という考えになる。
だが学歴は十分条件でも必要条件でもないため、
この考えを持ったままのほほんと学んで(遊んで)いては
適応できなくなる。
よって、
学歴は保険である。だが、保険にすぎない
つまり、自分自身の実力や能力は
学歴で飾るのではなく、自分で磨く
ということを肝に銘じておいてほしい。
今回の話の論点は「学歴があるか、ないか」もしくは
「学歴はあったほうがよいのか、なくてもよいのか」ではなく、
「学歴を手に入れてもアグラかくなよ!!」
でした。