秀頼の成長に伴い「お上様(おかみさま)」と呼ばれるようになった茶々。
豊臣の中心で皆を翻弄し続ける茶々を竹内結子さんが語ります!
全ての撮影を終えた今、印象に残っているのは、第34回「挙兵」で、石田三成が秀頼のために桃の木を持ってくるシーンです。あの場面では、茶々の政治的な能力の無さを感じました。茶々が豊臣の権力闘争に利用されることを懸念し、大蔵卿局は三成から遠ざけようとしているのに、茶々はそれに気付きません。そもそも三成と家康が対立していることにも無関心のようです。姫って、大切にされすぎて、周囲が見えなくなるんですね。
死ぬのは怖くないと言いながら、第46回「砲弾」、第47回「反撃」では城に大砲を打ち込まれて正気を保てないほどぼんやりとしてしまい、きりにたしなめられてしまいます。お上様として、ちゃんと立っていなければならないというのに、立てませんでした。これまでは戦をしていながらも実感がなかったのだけれど、ようやく自分が戦のまっただ中にいて、それがかなり深刻な事態なのだと、感じた場面でした。
振り返れば、殿下(秀吉)の時代から、茶々は見ておけばよかったこと、気付くべきであったことを、排除しすぎていたのだと思います。三成のことを嫌ったのも、三成が豊臣に誠心誠意尽くしていたのを知らなかっただけ。知らなかったせいで人を傷つけてしまうということは、茶々だけではなく、私自身にも当てはまるなと思いました。
茶々は世間知らずです。これ以上、何も失いたくない気持ちが強く、世の中の動きに目を向けず、息子が一番という、狭い範囲しか見ていない人です。自分が秀頼の分までやらねばという気持ちも強く、殿下の陣羽織を着て牢人(ろうにん)衆の前に出たりします(第45回「完封」)。あのシーンは、やっている時は楽しかったのですが、その後の冷たい反応を体感して「こうなっちゃいけない」と思いましたね(笑)。
死ぬのは怖くないと言いながら、第46回「砲弾」、第47回「反撃」では城に大砲を打ち込まれて正気を保てないほどぼんやりとしてしまい、きりにたしなめられてしまいます。お上様として、ちゃんと立っていなければならないというのに、立てませんでした。これまでは戦をしていながらも実感がなかったのだけれど、ようやく自分が戦のまっただ中にいて、それがかなり深刻な事態なのだと、感じた場面でした。
茶々にとっての信繁は、自分勝手な話し相手としてのぬいぐるみや、持っているだけで安心できる肌触りのいい毛布のような存在でした。信繁には甘えていればよく、信繁が大坂城に戻ってきた時も、彼がなんとかしてくれるだろうと考えていたと思います。「信頼できるのは真田だけ」と言っているように、長く付き合ってきたからこそ大丈夫。自分に足りない戦の舵取りをしてくれる、と。
けれども、幸村と名を改めて帰ってきた彼の姿は、想像と違っていました。「ヒゲ、格好いいですね」と堺さんにも言ってしまいましたが(笑)、外見を含め、何かを振り払ってきた感じが出ていて、一瞬驚きました。茶々に対する目線も変わっていたように思えます。茶々に翻弄されていた立場から、守る立場へ。茶々も一方的に“話しかける”のではなく、自分から幸村に“話をする”ようになりましたし、彼を頼りにし、守られたいという気持ちに変化していたのではないでしょうか。
ただそれは、恋人というよりも兄妹のようなもの。異性の部分が強くない関係だと考えています。昔から気を許していたと思いますが、14年の歳月を経て、心の拠り所が帰ってきた、という気持ちです。大蔵卿局やその息子・治長たちとは距離が近すぎて相談しづらいけれども、信繁のような距離感のある者には気を許しやすかったのではないでしょうか。殿下が亡くなった時を含め、立場が違うからこそ、信繁は気持ちに寄り添ってくれたのかもしれません。だから茶々も言いやすかったのでしょうね。
幸村ときりとの関係も、茶々は高みの見物のように見ていたと思います。きりとは立場が違うので、どこか諦めていた気持ちもあったでしょう。「でも心の友は私の方!」とか、精神的な部分で取り合う気持ちはあったかもしれませんが(笑)。
秀頼を演じる中川大志くんには、「これだけ圧の強い母だとストレスですよね」というような話をしました(笑)。彼にはプリンスのような、うがった見方をしない育ちの良さがあります。あんなに立派に育って……育てた茶々のことを褒めてもらいたい(笑)。あの秀頼と幸村だったら勝てる! 歴史が変わるんじゃないかって、私も期待してしまいます(笑)。
とはいえ、豊臣を見ていると、ダメになる時の法則というのがあるのかな、と思いました。よかれと思ってやったことで、一番踏んではいけない地雷を踏んでしまう。そんな感じがします。
茶々にしても、選んだこと、決めたこと、全てが裏目に出てしまいます。誰が悪いというわけではないのですが、もう少し豊臣の人間が広く物事を見て、考えることができていれば……。
誰かがなんとかしてくれるだろうと甘ったれていた茶々が、幸村に諭される場面が『真田丸』の最終回にあり、そこでようやく自分の力で立とうと前向きになります。このシーンがなかったら、きっと茶々は死ぬまで自分の人生を誰かのせいにしていたでしょう。「政治的なものが身につかなかったのは、殿下がいい面しか見せてくれなかったせい」というような言い方もしたかもしれません。
茶々の遺体は見つかっていないとも聞きます。私としては、身分を捨て、社会的には死んだけれども、どこかで生きている説をとりたい。そんな気持ちにさせてくれたのが、幸村の説得シーンでした。
大蔵卿局は、ずっと茶々を守り苦難の人生をともにしてくれた母のような存在です。怖いけれど私と秀頼への愛が半端ない。峯村リエさんの大蔵卿が私は、大好きなんです。でも皆さんに「お前たちが諸悪の根源だろう?」と言われそうな気がするので、一緒に大阪に行って詫びてこようかと思っています(笑)。
茶々の遺体は見つかっていないとも聞きます。私としては、身分を捨て、社会的には死んだけれども、どこかで生きている説をとりたい。そんな気持ちにさせてくれたのが、幸村の説得シーンでした。
大蔵卿局は、ずっと茶々を守り苦難の人生をともにしてくれた母のような存在です。怖いけれど私と秀頼への愛が半端ない。峯村リエさんの大蔵卿が私は、大好きなんです。でも皆さんに「お前たちが諸悪の根源だろう?」と言われそうな気がするので、一緒に大阪に行って詫びてこようかと思っています(笑)。