母ちゃんです。
ここに、一冊の本がある。
この本は母ちゃんにとって、特別な思い入れ
がある。
【世界名作童話全集 5 しらゆきひめ】
サイズはA4で、オレンジ色の表紙には、七人
の小人がしらゆきひめを心配そうに覗きこん
でいる絵が描かれている。
そして、ちょっと重たい。
この本には、【しらゆきひめ】【かえるの王
子】【こびとのくつや】の三つのお話と、学
習子ども百科という、子どもが興味を持つだ
ろう内容が、写真や絵で紹介されているもの
が載っている。
この本を誰からもらったのかは忘れたけど、
母ちゃんが唯一持っていた、何度も夢中で読
み返した本や。
そしてこの本は後に、母ちゃんの人生に大き
く影響を与えることになる。
母ちゃんがこの本の中で一番好きやったお話
は、【こびとのくつや】やった。
【かえるの王子】については、カエルが出て
くるからほとんど読まんかった。
さらに学習子ども百科のところには、リアル
なカエルの写真が載っとったから、そのペー
ジが何ページやったか覚えて、そのページだ
けは、開かんようにしとった。
時々間違って開いてしまっては、ビックリし
て本を投げてしまうほど、そのページは苦手
やった。
後にそのページだけは、セロテープで頑丈に
開かんように工夫したけど。
【こびとのくつや】のお話って、知っとる?
母ちゃんは何度も読んだので、見やんでも覚
えとる。
それとこのお話は、つっこみどころ満載で、
ストーリー自体は、モヤモヤする。
貧乏やけど正しく生きる夫婦とこびとのお話
やな。
ある日奥さんが、もう靴を作る皮が一足分し
かないって言う。旦那さんはあんまり考えこ
まん性格の人で、気にしとってもしょうがな
いから、その一足は明日作ろ。皮切っとこっ
て言う。
この夫婦は奥さんでもっとるんやな。
奥さんは心配するとこが的確や。
それ売れやんだらどうしようと、ちゃんと考
えとる。
かたや旦那さんは、まだ5足か6足分はあ
ると思っとったし、神様が何とかしてくれる
とか言っとる。
ここちょっと一回ケンカにならんのかな。
現実見ろとか。
あとな、神様ってあんまり助けてくれへん。
それでもその晩二人はぐっすり寝た。ってな
っとるから、この夫婦は、あんまり後先考え
やんとここまできたんかもしれやん。
そして次の日起きると、靴ができとる。
しかもすごい完璧な仕上がりで、二人ともビ
ックリする。
さらにお客さんが来て、高いお金を払ってそ
の靴を買っていく。
おかげでご飯とか、二足分の靴が作れる皮が
買えた。
これはもう子どもながらに疑問に思った。
防犯の面、どうしとるんやろ。
そんなのんきにおったら、財産全部持ってか
れる。その日から防犯面に力いれるべきや
わ。
そんな純粋な生き方しとったら、後でなんか
あった時、立ち直れやんで。
母ちゃんみたいに対策とっとったほうがええ
のにとか思っとった。
そしてまたその二足分の皮を、靴の形に切っ
て寝る。
そしたらまた完璧な見事な靴が出来あがっと
った。
お客さん来る。売れる。
奥さんは、だれかのいたずらやって言う。
それは、ありがとうや。
さらに奥さんは、もうそんなうまいこといか
んわって言う。
そう言いながら、靴を作るための4足分の皮
を買って、靴の形に切って寝る。
こうなってくるともう、この人達とは合わ
んな。
誰か分からん人の手柄で暮らすなんてあかん
やろ。
それでお金儲けするんは、あかん。
不正で得たお金で食べるご飯を後ろめたいと
思わんのやったら、それはもう人としてあか
ん。
なんやったら味しめとる。
案の定また出来上がっとる。飛ぶように売れ
る。それからこの夫婦はこれを何回も繰り返
すもんで、町で評判になったらしい。
もうあかん。
読み進めれやん。
奥さんはもう特に合わんわ。
きれいごと言っとったでな。
そんなん続けとったら、楽するのになれてあ
かん人間になる。
二人の靴を作る腕も落ちる。
そして、お金たまって立派な暮らしができる
ようになったとある。
どんな顔して売っとるんやろ。
母ちゃんは恥ずかしくて、お客さんの目、見
れやんけどな。
そして、そこまで立派な暮らしができるよう
になってからやっと、寝やんと様子を見るこ
とになる。
旦那さんが、ついに認める。自分達は幸せや
ね。これも誰かが夜作ってくれとるおかげや
ねって。
確信犯やな。嫌いやわ。
奥さんも奥さんや。
その人に心からお礼を言おうとか言う。
もっと早く言うべきやし、もう申し訳ないの
で、これからは自分達でやりますので、お気
持ちだけいただきますって言わなあかん。
あとはおなじみの、こびとのおかげやと知っ
た二人は、次の日、こびと達の服と靴を二人
で作って、コッソリ置いとくんやな。
こびとはとても喜んで踊って出ていく。
もう二度と来やんくなる。
くつやの夫婦のお店は、それからもお客さん
が絶えず、大繁盛しました。
終わり。
あかん。とにかくあかん。
まず、こびとの目的やな。
靴作るのが楽しかったのか、夫婦を喜ばせた
かったのか。
ここやな。
どちらにせよ、自分らの服と靴あって喜んで
出ていったら、つじつまが合わん。
ほんで夫婦やな。
これは評判をだいぶ築いとったからお客さん
が絶えやんだのか、腕が落ちてなかったのか
どっちやろか。
このお話は読むたびに腑に落ちやんくて、で
もまあ子ども向けやし、と何とか納得したも
んや。
でもやっぱり何度も読むうちに、文章はあん
まり読まんくなっていった。
母ちゃんがこのお話が好きやったのは、実は
絵やった。
そこに出てくる靴の色が、本当に美しい。
色も形もなんてきれいなんやろと、何度見て
もそれは、色褪せることなく母ちゃんを魅了
した。
その色が何で塗られていたのか。
小学生の時は、クーピーかクレヨンか色鉛筆
か絵の具かどれやろかと考えた。
中学生になってからは、パステルとかそうい
うよく分からんけど、プロが使う何かなんか
なとか考えた。
とにかくその絵の色の美しさがあまりにもす
ごくて、そこに出てくる夫婦の洋服も、見た
ことない形と色と、それは本当に母ちゃんを
魅了した。
母ちゃんは、絵や色がとても好きになった。
どうやったらあの色が出るんやろって、いつ
もそれを追い求めた。
そして、高校生から今に至るまで、本を選ぶ
ときは何より挿し絵を重要視した。
絵が美しい本はついつい目に止まってしま
う。
内容はどうでもいい。絵を見ていたい。
でも不思議なことに、絵に惹かれた本は、内
容も素晴らしいことが多かった。
子どもが生まれてからも、与える絵本の条件
は、絵が美しいことやった。
母ちゃんがあの本に魅せられたように、子ど
もにもそんな本を、与えてあげたかった。
それでも、あれを超える美しい挿し絵の絵本
には、出会ったことがない。
本屋に行くとついつい絵本のコーナーを見て
しまっていた。
【こびとのくつや】の本を手にとっては、
違うなと、また元に戻す。
そんなことを繰り返していた。
子供も大きくなり、ある日ふと、あの絵本に
はもう出会えやんのかなと思った。
もう一度あの絵が見たい、子どもにもあの絵
を見せたい、と思った母ちゃんは、昔の絵本
なのでどうせ無理やろけどと思いつつ、イン
ターネットで探すことにした。
そしたら、見つけたんや。
届くまでは、半信半疑やった。
どこの本屋さんでも見つけられなかっただけ
に、ぬか喜びしてガッカリしたくなかった。
袋を開けると、そこにあったのは、あの頃と
同じ絵のあの絵本やった。
一冊しか持ってなかったから、母ちゃんはこ
の絵本に夢中になれたんかもしれやん。
何冊も持っていたら、きっとこの絵の素晴ら
しさに気づけてなかったかもしれやん。
母ちゃんは子供の頃から今もずっと変わらず
本が好きや。
本の扱い方にもうるさい。
絵本は宝物や。
本は、違う世界に連れてってくれるやろ。
自分の今がもし辛くても、本の中では違う世
界が広がっとる。
その時だけは、現実を忘れられる。
絵も、本も、母ちゃんの人生を豊かにしてく
れた。
なかったからこそ見つけられたんやろ。
子供に早く見せたい。きっと驚く。
母ちゃんは、ワクワクした。
「この絵本な、母ちゃんがこどもの頃に夢中
になった本なんよ。この本をずっと探しとっ
たんよ。すごく嬉しい。またこの絵に出会え
て本当に嬉しい。見て見て。」
「そっか~。母ちゃん良かったね~。」
「そんなんはいいで、どう?きれいやろ?」
「きれいやな。」
「そんだけ?」
「きれいやに。」
「は~。あんたはかわいそうやな~。この絵
の美しさが分からんのやな。本がいっぱいあ
ると、そんな特別な一冊に出会えへんのやろ
な。あ~かわいそ。あ~母ちゃん幸せ~。
母ちゃんの唯一の子供の頃の思い出の品が、
今ここに~。一個だけやけど~。」
「はいはい、良かったね。」
久しぶりにページを開く。
絵が美しい。
ストーリーはやっぱり、モヤモヤした。