大学・短大や専門学校に進む学生を対象に、返す必要のない「給付型奨学金」の制度を、政府が再来年春の進学者から本格的に導入すると決めた。「貸与型」だけだった施策の大きな変更であり、意義深い。

 だが規模があまりに小さい。将来をになう若い人材をどこまで励まし、支えることにつながるのか、心もとない。

 制度では、給付の対象は1学年あたり約2万人となる。住民税が課税されない低所得世帯から進学する若者だけで、推計で毎年6万人いるのに、その3分の1しかカバーできない。

 金額も月3万円、年36万円が軸だ。国立大の授業料は年約54万円で、私学はさらに高い。入学金も必要だ。私学に通う自宅外生は月4万円に増えるが、授業料の減免や無利子の奨学金など他の制度も組み合わせて、何とかやっていけるレベルの額でしかないと研究者はいう。

 思いおこしたい。

 選挙権が18歳に引き下げられたことし夏の参院選で、各党は給付型奨学金の導入を公約にかかげた。与党の自民、公明両党も例外ではない。そして秋の臨時国会で安倍首相は「若者への投資」を語り、「給付型の奨学金も来年度予算編成の中で実現いたします」と言明した。

 その結果がこれである。

 給付の範囲を段階的に広げ、全学年が対象になる21年度でも必要な予算は約200億円だ。もちろん小さな額ではないが、国の財政規模を考えると、若い世代がいかに冷遇されているかを物語る数字といえる。

 運用面でも気がかりがある。

 給付を受ける学生は各高校が推薦して決めるが、その際、政府は「高い学習成績」や「教科以外の学校活動の大変優れた成果」を求める考えだ。

 だが経済的に苦しい生徒ほど学習や活動にとり組む余裕がなく、成績がふるわないのが現実だ。学生の努力を促すためというが、本当に困っている若者の背中をどこまで押せるのか。

 いま日本は、非正規労働の増加などによって中間層がやせ細り、学費の負担に耐えきれない家庭が増えている。

 進学自体をあきらめる。アルバイトに追われ学業がおろそかになる。卒業後も奨学金の返済が重荷となって、家庭をもてない。そんな現象がはびこり、国の根幹を揺るがしている。

 奨学金は一部の貧しい家庭を助けるためのもの、という発想では、問題は解決しない。

 教育は未来へのバトンだ。次の世代にこの国をどう引き継ぐか。政治の責任は重く大きい。