世良公則が激白!「今も100%」77年世界が驚いたパフォーマンス&エネルギー

2016年12月3日15時0分  スポーツ報知
  • 男らしさがみなぎる世良公則
  • 本紙インタビューに応える世良公則

 ロックミュージシャンの世良公則(60)が来年デビュー40周年を迎える。「あんたのバラード」を歌い、「世良公則&ツイスト」として1977年にアマチュア歌手の祭典「ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」、世界歌謡祭でグランプリを獲得。日本のロックシーンに風穴を開けた。その出身者が集うライブ「僕らのポプコンエイジ」(来年5月)への出演が決定。アニバーサリーイヤーを前に、今後の活動に対する思いなどを聞いた。(加茂 伸太郎)

 「走れるだけ走ってやれ―。100%出し切ることだけを考えていた」

 1970年代後半に日本のロックシーンに現れたのが世良だった。当時、異端だったロックの先駆者として「銃爪(ひきがね)」、「燃えろいい女」などヒット曲を連発し、ハスキーな歌声、派手なパフォーマンスで魅了していく。

 「Tシャツ、ジーンズにサンダルで局の警備員に止められたり、『下手くそがキャーキャー騒がれているだけ』と言われたり…。つらかったのは、マイノリティーだったこと。ただ『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』のディレクター、プロデューサーは『オマエらガンガンいくからな!』って応援してくれた」

 世良の音楽人生を語る上で、ヤマハのポプコンは外せない。アマチュアを対象にしたオリジナル曲発表の祭典。グランプリ優勝者にはレコードデビューが約束され、69年からの17年間(32回開催)に中島みゆき、長渕剛、クリスタルキングら多くのアーティストを輩出した。フォークが主流だったポプコンに、なぜ出場したのか。「テープレコーダーに録音した2曲を楽器屋のお兄ちゃんが応募していて、それが通ってしまった。ライブハウスからのし上がってやると思っていた頃。どんな思いで出場したかと言われても…、何もないね(笑い)。腕試しだよ」

 デビュー前はベーシストだった。高校時代に「ツイスト」の前身「FBI」を組むが、ベースがいなかった。そこで、3歳からバイオリンを習っていた世良に、白羽の矢が立つ。「仲間からは短絡的に『ベースもバイオリンも四弦同士だし、弾けるだろ』って(笑い)」

 ボーカル転身は大学進学後。きっかけは、あるコンテストの審査員の「個性的なバンドだけど、歌が下手」というアドバイスだった。「うちのバンドはボーカルが弱いって、その時に初めて知った。音程が揺れたり、フラフラするのが個性だと思っていた。決勝ラウンドまで進むけど、優勝、賞には縁がない。それが2年間くらい続いていた」

 ボーカル力改善のため、すぐにバンド内でオーディションを実施。満場一致で“ボーカリスト・世良”が誕生する。メインボーカルが就職活動のため、直近の大会に出られない偶然も重なった。「『歌がうまいと気付かなかったのか』と聞かれるけど、今みたいにカラオケもない。歌う場も限られていた。学園祭の、のど自慢大会で優勝したことはあったけど、それはそれと思っていた。就職活動を終えたボーカルは、ギターで戻ってきたよ」

 ポプコン優勝者はその年の世界歌謡祭に進む。世界各国の歌手が集うイベントで、世良は音楽の奥深さを体感する。

 あんたにあげた 愛の日々を―

 圧巻のパフォーマンスに、ドッと沸くリハーサル中の日本武道館。「あの歌声は何だ?」「空手ボーイ!」と騒ぎ立つ海外のミュージシャン。気付けば、主催した日本楽器製造(現ヤマハ)社長でヤマハ発動機創業者の故・川上源一氏がステージ上にいた。スタンディングオベーションの中、世良につぶやいた。「君の見せたエネルギーに全員が反応した。英語が話せる、話せないじゃない。歌がうまい、うまくないじゃない。私が世界に音楽を広めたくて、音楽で世界を結ぼうとする理由がこれなんだ。このエネルギーを、ずっと覚えていなさい」

 中学時代、「ローリング・ストーンズ」に憧れた音楽青年に電流が走った。「言葉が通じなくても、これが音楽の持つエネルギーなんだって。僕が洋楽に惹(ひ)かれたみたいに、それが逆の立場でも起こった。改めて音楽の可能性を感じたね」

 「世良公則&ツイスト」はポプコンに続き、グランプリを獲得する。司会の坂本九さんからは「君から何の緊張も感じない」と言われたが、当然だった。他のメンバーは就職先を決め、退路を断ってプロを目指したのは世良だけ。大学4年の学生バンドにとって思い出作りの意味合いが強かった。「このメンバーであと何回できるだろう…、その気持ちしかなかった。卒業旅行のような感覚。力を出し切るだけだった」

 77年11月25日に発売されたデビューレコード「あんたのバラード」は、アマチュア時代のメンバーとレコーディングしたもの。2枚目の「宿無し」(78年4月)からがプロのメンバーとの作品のため、貴重な1枚になっている。

 「僕らのポプコンエイジ」は、来年5月7日の東京・府中の森芸術劇場から4都市(4公演)。Chage、八神純子ら総勢15組が出演する。同窓会ライブと銘打つが、「僕自身は『同窓会です』とは言えない。明日を体感してもらうために見てほしい」ときっぱり。それは「reborn(再生)」という明確なテーマがあるからだ。

 「就職や結婚、子育てで趣味の音楽を封印してしまった音楽ファンに、戻って来てもらう場にしたい。僕らミュージシャンは『continue(継続)』し続けている。いろいろな事情で音楽から離れた人もいるけど、世良公則は、今も『continue』して汗をかいている。『また、あの頃に戻ってやりたい』と思ってもらえるようなものを見せたいね」

 来年デビュー40周年を迎える。「年齢的には3回目の成人、キャリア的には2回目の成人」になるが、歩みを止めるつもりはない。ラジオ番組の企画で結成した「竹野屋セントラルヒーティング」の桑田佳祐、山下達郎らも元気だ。「解散しないで40年近くやっているサザンオールスターズは尊敬する。バンド名で活動できている、羨ましさがある。『ツイスト』をストーンズにしたいと思ってやっていた僕が唯一、できなかった夢だから。今もストーンズはバンド名でやっているのに、自分にはそれがない。サザンには老衰になるまでやってほしい」

 前進あるのみだ。「僕らの世代はビートルズ、ローリング・ストーンズを見ている。ポール・マッカートニーは、ベースを弾きながら2時間、3時間のステージをこなす。70年代のロック黄金期を背負った先人たちが走り続けている。キース・リチャーズ、ミック・ジャガーが倒れるまで現役でやるぞ、という思い」

 ◆世良 公則(せら・まさのり)1955年12月14日、広島県生まれ。60歳。78年アルバム「世良公則&ツイスト」がオリコン1位を獲得。国内ロックバンドで初の1位を記録、ロックをメジャー化させた。81年の解散後は、ソロとして音楽活動を行う。俳優としてNHK連続テレビ小説「チョッちゃん」「梅ちゃん先生」、映画「カンゾー先生」などに出演。

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