新聞の価値
「新聞」という言葉を聞いてあなたは何を想像するだろうか?
時代遅れのただの紙、もう今の時代そんなものは必要ない、なんて意見をよく目にする。たしかにインターネットというものが急激に発達し、本も電子書籍が増え、新聞に載っている情報のほとんどはスマートフォンで手に入るようになった。むしろ、新聞よりも多くの情報を手に入れることができる。
新聞は値段が高いとよく聞くし、字ばかりが並んでいて見にくい。書かれていることすべてを見るわけじゃないし、スポーツのところだけ読んで終わるときもあった。なんとかノルマを達成しようと少々強気な契約をしてくる営業の人もいて、なんだか新聞に対してのイメージはどちらかというと負である。
「新聞に価値なんてない」
そう思いながら、いや完全にではない、そんなことを少し思いながら今まで生きてきた。だが今日、その考えは180°変わった。
新聞の値段
どういうわけか友達と話しているとき「新聞」の話題が出てきた。今日の出来事なのにそこまでの経緯が思い出せないのは脳の衰えであろう(ぴちぴちの大学生)。
僕は新聞は400円くらいするものだと思っていた。昔おばあちゃんとのおつかいでそのくらいの値段で買ったような気がしていたからだ。しかし友達は「100円くらいじゃね?」とすかさず言う。ありえない、新聞が100円だと?その辺のペットボトルと同じくらいかそれ以下の値段だと?
僕は頭がすこしパニックになった。そして少し間をおいてから僕はググった。目の前に飛び込んできた情報に驚く。
「120円、、、。月4000円くらい、、、」
友達の言うことが当たっていたのだ。いや、そんなことよりも新聞がそんなに安かったことに言葉も出ない。もっと高いものだと思っていた。だって「新聞は高い」ってよく聞くじゃないか!新聞に120円を払う価値がないと人々は思っているのだと考えると恐ろしい。情報をただで手に入れようとするのはいいことではない。対価を支払うべきである。
新聞は安い
逆に僕は「安い」と思ったのは言うまでもない。(そうであるからこうして記事を書いているのである)
前に述べたようにスマートフォンを使えば膨大な量の情報は手に入る。だがここで問題なのが情報の「質」だ。とくにネットに流れている情報を取り扱うのには知識が必要だ。知識がない人はすぐにその情報を鵜呑みにしてしまう。そしてその情報があたかも正しいかのように拡散されることもしばしばである。
この点から見れば、「新聞」というものは非常に「質」が高いものであると僕は思う。新聞がでたらめを書いて問題を起こしたことは聞いたことがないし、そういう「質」の低い情報を書いてはいけないルールもあると聞いたこともある。裏では取材に追われ、文章を何度も推敲しているのだろう。僕がブログを始めてわかることだが、やはり「文章を書く」ということは難しい。新聞ならなおさらのことである。しかもそれを毎日続けていくことは並大抵なことではないのはお分かりいただけるだろう。労働者のことを考えればもっと多く支払ってもいいような気がするというのが僕の本音である。
新聞が新聞であるために
かつて新聞には情報の速さと正確さが求められてきた。しかしインターネットが発達した以上、速さでは圧倒的に劣ってしまう。新聞が新聞であるためには情報の「質」、かつ読者と一緒に作り上げていくことが必要なのではないかと考える。情報の一方通行だけでは新聞が消えてしまう恐れが高いであろう。それこそインターネットを使って、その新聞の良い記事は何であったか?などということをアンケートし、答えてくれたら新聞の料金が下がるだとかそういったことをしていくのもいいのではないかと思う。
一人暮らしを今年から始め、まったく新聞を読んでいなかったが、そのことについて検討するいい機会になった。それでは、へばなっ!