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【首都スポ】

元WGPライダー・青木拓磨 異色の二刀流 パラアーチェリー挑戦

2016年12月20日 紙面から

モータースポーツとパラアーチェリーとの二刀流で世界を狙う!! 的に狙いを定める青木拓磨=東京都内で(鶴田真也撮影)

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 元グランプリライダーで現在は車いすレーサーとして活躍する青木拓磨(42)がパラアーチェリーに挑戦中だ。今年2月に本格的に始め、今月25日に埼玉県秩父市で開催される埼玉県室内アーチェリー大会で競技デビューする。本業のモータースポーツも活動を続け、洋弓との“二刀流”に挑む。4年後の東京パラリンピックに間に合うか−。(文・写真=鶴田真也)

 長い静寂の中、勢いよく矢が放たれる。アグレッシブにハンドルを切るサーキットとは全くの別世界だ。片方の目を閉じて標的に狙いを定めていた拓磨もほとんど表情を変えない。

 「静のスポーツは難しい。集中力が大事だし、指先とか手首とか小さな筋肉を繊細に使いこなさないといけないから。それに僕は腹筋や背筋がうまく使えないので体を安定させるのに一苦労」

 中学時代から弓道に興味があった。が、当時はポケパイやミニバイクのレースで多忙を極め、他のスポーツをする余裕はなかった。ところが今年初めに転機が。テレビ番組で知り合った2004年アテネ五輪銀メダルの山本博さん(54)に本格的にアーチェリーをしたいと打ち明け、2月ごろから手ほどきを受けるようになった。練習で使っている用具一式も山本さんのお下がりだ。

 2輪時代は名門ホンダのエースだった。1997年にロードレース世界選手権にフル参戦。最高峰の500cc(現モトGP)クラスで3度表彰台に立った。アクシデントが襲ったのはその後だ。98年2月にテストコースで競技用バイクを走行中に転倒。脊椎を痛め、下半身が不自由になった。

 それでもレースを諦めず、今度は4輪の世界に転身。オフロードを走るラリーを始めた。車両はハンドル周りでブレーキやアクセルを操作する特別仕様。09年には世界一過酷といわれるダカールラリーにも出場した。今年に入って世界格式レースにも出られる国際B級ライセンスを発給され、国際選手権「アジアン・ルマン・シリーズ」にも参戦した。

 刺激になった選手がいる。F1参戦の経験があるイタリア人ドライバーのアレックス・ザナルディ(50)だ。05年にレース中の事故で両脚を失ったが、すぐに現役復帰。そのかたわら、ロンドン、リオデジャネイロと2度のパラリンピックに男子ハンドサイクルで出場。計4個の金メダルを獲得した。

 「彼は両脚を失ってもレースに戻った。本人に会う機会があったので、その理由を尋ねたら『できるんだったらやるしかない』と。この人も僕と同じ気持ちなんだと思った」と拓磨はうなった。

 今後もモータースポーツをメインの活動に据え、パラアーチェリーはトレーニングの一環として打ち込んでいく。4年後に東京パラリンピックが控えるが、本人は至って謙虚。「『目指す』けど、『出る』なんて口が裂けても言えない。だって代表になるにはいい成績を残してまずは強化選手に選ばれなければならないので。欲張らずに頑張る」と照れ笑いだ。

 年末はアーチェリーのデビュー戦となる25日の大会に向けて練習漬けの日々だ。モータースポーツとアーチェリーで二刀流。異色のアスリートが誕生する。

<青木拓磨(あおき・たくま)> 1974(昭和49)年2月24日生まれの42歳。群馬県出身。97年のロードレース世界選手権500ccクラスに初フル参戦し、最高位2位で年間5位。98年2月に2輪テスト中の事故で下半身まひに。2007年に4輪のアジアクロスカントリーラリーに初挑戦。09年にはダカールラリーに出場した。その後はスーパー耐久、GTアジアなど4輪レースに積極的に参戦中。兄・宣篤も現役の2輪選手、弟治親は元世界選手権125cc王者で、現在はオートレース選手。

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