最高裁の仕組みと、近年の最高裁の変化についての大事なポイントを、実際の最高裁の判決に即しながら読み解いてみせた好著。ある程度硬い本を読み慣れている身からすると、噛み砕きすぎていると感じる部分もあるのですが、易しい内容ながらもその分析は深いところまで届いていると思います。
著者は、佐世保で小6女児が同級生に殺害された事件のその後を描いた『謝るなら、いつでもおいで』を書いた毎日新聞の記者。『謝るなら、いつでもおいで』は未読ながらその評判は聞いていましたが、やはり力のある書き手ですね。
目次は以下の通り。
目次を見ればわかるように、とり上げられている事件は少ないです。近年、最高裁は以前よりも違憲判決を積極的に出していますが、それを網羅的に紹介するような内容にはなっていません。
著者の狙いは最高裁の「しくみ」を理解してもらうことで、最高裁のやっている仕事の面白さや重要さに気づいてもらうことになります。
そこでまずとり上げられる事件が、親子のつながりについての争いです。
民法の772条第1項には、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」という規定があります。結婚している女性から生まれた子の父親は、その時の夫ということになるわけです。
ところが、世の中には不倫によって生まれる子も存在します。法律上は、そのようなケースであっても結婚中に生まれれば夫の子ということになるのですが、近年はDNAによる鑑定技術が発展し、夫と子の間に血のつながりがないことが「証明」されてしまうこともあります。
そうしたDNA鑑定で、血のつながりがないことが「証明」されても、その子は「夫の子」なのか?というのが裁判での焦点でした。ちなみに裁判を起こしたのは元妻の側になります。
第一審と二審ではDNA鑑定を評価し、夫の子ではないと結論づけました。しかし、この判決を最高裁は3対2の僅差でひっくり返します。あくまでも民法のコンテキストを重視する形で、科学技術よりも現行法の枠内での法的な安定性に軍配を上げたのです。
著者は、この判決について補足意見や反対意見もとり上げながら丁寧に読み解いていきます。それぞれの最高裁判事の経歴なども紹介しながら、ひとりひとりの裁判官がどのような考えで判断を下したのかを見ていき(やや意外にも思えますが、法的安定性を重視する判断を示したのが裁判官以外のキャリアをつんだ裁判官で、DNA鑑定を重視した2人が裁判官出身の人物)、同時に最高裁の意思決定のしくみや、裁判官の構成なども読者に紹介していくのです。
さらに、最後に著者は最高裁まで争った夫側への取材についても書いています。事件の概要を聞くと、「なぜ夫は自分の子ではないとわかっていながらそこまでこだわったのか?」という疑問が多くの人に浮かぶと思いますが、新聞記者らしくそうした疑問にも応える構成になっています。
第2章では、夫婦同姓制度が違憲かどうかを巡って争われた裁判がとり上げられています。
多くの人がご存知のように、最高裁の大法廷は2015年の12月に「夫婦同姓の規定は違憲ではない」との判決を出したわけですが、この本ではその判決を分析しつつ、同時に日本における違憲審査のしくみを紹介しています。
さらに最高裁の寺田長官の意見をとり上げながら、そこに寺田氏が法務省にいた時に検討され、法制審議会によって答申された「選択的夫婦別姓」の議論の顛末を重ねあわせています。
第2部は刑事裁判について。
ここ最近の最高裁の動きを追う時に、刑事裁判について民事裁判と同じボリュームでとり上げるというのは珍しいことかもしれませんが、この本では「裁判員裁判の判決をどう捉えるのか?」ということに重点を置きながら、最高裁の判断を見ていきます。
第3章の「死刑と無期懲役のわかれみち」では、2009年に起きた松戸女子大生殺害事件をとり上げています。
何人もの女性を襲い、現金を奪い、そのうち一人を殺し、さらに証拠隠滅のために放火をしたというひどい事件なのですが、あくまでも被害者は1人で計画性はありません。
この事件に関して、一審の裁判員裁判は死刑、二審の高裁では無期懲役と判断がわかれました。
第4章では、裁判員裁判での求刑超えの判決についてとり上げられています。
中心的にとり上げられているのは、2012年に大阪府で起きた虐待事件。1歳10ヶ月の娘を死なせた両親に対し、求刑が懲役10年のところ一審の裁判員裁判で懲役15年の判決が下った事件です。
これらの事件について最高裁は、いずれも量刑の公平性という観点から裁判員裁判の判決を否定しました。そして、裁判員裁判を担当した裁判官に対してその問題点を指摘するような考えを示しています。
この2つの章は、最高裁のスタンスを明らかにすると同時に、裁判員裁判について考える材料を提供してくれています。裁判員裁判について興味のある人は目を通しておくと良いでしょう。
このように簡単に読める本ですが、日本の司法についてのしくみや重要な論点を教えてくれ、そして読者にそれを考えさせる内容に仕上がっています。
日本の司法というとなかなか興味深いイメージが湧きにくいものですが、この本は日本の司法の面白さや重要性を伝えることに成功していると言えるでしょう。
密着 最高裁のしごと――野暮で真摯な事件簿 (岩波新書)
川名 壮志

著者は、佐世保で小6女児が同級生に殺害された事件のその後を描いた『謝るなら、いつでもおいで』を書いた毎日新聞の記者。『謝るなら、いつでもおいで』は未読ながらその評判は聞いていましたが、やはり力のある書き手ですね。
目次は以下の通り。
第1部 家族のあり方を最高裁がデザインする(民事編)
第1章 わが子と思いきや赤の他人だった
―親子関係不存在確認訴訟でみる最高裁のしくみ
第2章 夫は「主人」ではない 妻のアイデンティティ
―夫婦別姓にみる大法廷)
第2部 市民が裁く罪と罰 手綱をにぎる最高裁(刑事編)
第3章 死刑と無期懲役のわかれみち
―死刑破棄事件にみる裁判員裁判の難しさ
第4章 求刑超えに「待った」をかけた最高裁
―アマチュア市民とプロ裁判官をつなぐ最終審
目次を見ればわかるように、とり上げられている事件は少ないです。近年、最高裁は以前よりも違憲判決を積極的に出していますが、それを網羅的に紹介するような内容にはなっていません。
著者の狙いは最高裁の「しくみ」を理解してもらうことで、最高裁のやっている仕事の面白さや重要さに気づいてもらうことになります。
そこでまずとり上げられる事件が、親子のつながりについての争いです。
民法の772条第1項には、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」という規定があります。結婚している女性から生まれた子の父親は、その時の夫ということになるわけです。
ところが、世の中には不倫によって生まれる子も存在します。法律上は、そのようなケースであっても結婚中に生まれれば夫の子ということになるのですが、近年はDNAによる鑑定技術が発展し、夫と子の間に血のつながりがないことが「証明」されてしまうこともあります。
そうしたDNA鑑定で、血のつながりがないことが「証明」されても、その子は「夫の子」なのか?というのが裁判での焦点でした。ちなみに裁判を起こしたのは元妻の側になります。
第一審と二審ではDNA鑑定を評価し、夫の子ではないと結論づけました。しかし、この判決を最高裁は3対2の僅差でひっくり返します。あくまでも民法のコンテキストを重視する形で、科学技術よりも現行法の枠内での法的な安定性に軍配を上げたのです。
著者は、この判決について補足意見や反対意見もとり上げながら丁寧に読み解いていきます。それぞれの最高裁判事の経歴なども紹介しながら、ひとりひとりの裁判官がどのような考えで判断を下したのかを見ていき(やや意外にも思えますが、法的安定性を重視する判断を示したのが裁判官以外のキャリアをつんだ裁判官で、DNA鑑定を重視した2人が裁判官出身の人物)、同時に最高裁の意思決定のしくみや、裁判官の構成なども読者に紹介していくのです。
さらに、最後に著者は最高裁まで争った夫側への取材についても書いています。事件の概要を聞くと、「なぜ夫は自分の子ではないとわかっていながらそこまでこだわったのか?」という疑問が多くの人に浮かぶと思いますが、新聞記者らしくそうした疑問にも応える構成になっています。
第2章では、夫婦同姓制度が違憲かどうかを巡って争われた裁判がとり上げられています。
多くの人がご存知のように、最高裁の大法廷は2015年の12月に「夫婦同姓の規定は違憲ではない」との判決を出したわけですが、この本ではその判決を分析しつつ、同時に日本における違憲審査のしくみを紹介しています。
さらに最高裁の寺田長官の意見をとり上げながら、そこに寺田氏が法務省にいた時に検討され、法制審議会によって答申された「選択的夫婦別姓」の議論の顛末を重ねあわせています。
第2部は刑事裁判について。
ここ最近の最高裁の動きを追う時に、刑事裁判について民事裁判と同じボリュームでとり上げるというのは珍しいことかもしれませんが、この本では「裁判員裁判の判決をどう捉えるのか?」ということに重点を置きながら、最高裁の判断を見ていきます。
第3章の「死刑と無期懲役のわかれみち」では、2009年に起きた松戸女子大生殺害事件をとり上げています。
何人もの女性を襲い、現金を奪い、そのうち一人を殺し、さらに証拠隠滅のために放火をしたというひどい事件なのですが、あくまでも被害者は1人で計画性はありません。
この事件に関して、一審の裁判員裁判は死刑、二審の高裁では無期懲役と判断がわかれました。
第4章では、裁判員裁判での求刑超えの判決についてとり上げられています。
中心的にとり上げられているのは、2012年に大阪府で起きた虐待事件。1歳10ヶ月の娘を死なせた両親に対し、求刑が懲役10年のところ一審の裁判員裁判で懲役15年の判決が下った事件です。
これらの事件について最高裁は、いずれも量刑の公平性という観点から裁判員裁判の判決を否定しました。そして、裁判員裁判を担当した裁判官に対してその問題点を指摘するような考えを示しています。
この2つの章は、最高裁のスタンスを明らかにすると同時に、裁判員裁判について考える材料を提供してくれています。裁判員裁判について興味のある人は目を通しておくと良いでしょう。
このように簡単に読める本ですが、日本の司法についてのしくみや重要な論点を教えてくれ、そして読者にそれを考えさせる内容に仕上がっています。
日本の司法というとなかなか興味深いイメージが湧きにくいものですが、この本は日本の司法の面白さや重要性を伝えることに成功していると言えるでしょう。
密着 最高裁のしごと――野暮で真摯な事件簿 (岩波新書)
川名 壮志