うつ病や双極性障害の人にとって重要なのは薬物療法でもなければ、心理カウンセリングでもない。もちろんこれらも欠かすことは出来ないが、もっとも重要なのは「休息する。」ということである。
しかしこの「休む」ことの意味はうつ病と双極性障害とで若干変わってくるのではないか?と思う。
古典的なうつ病の患者の場合、活動のためのエネルギーが枯渇しているため休息を命じられなくても一日中ベッドの中、という感じになる。もちろん本人も苦しい。ぼくも経験があるが、ベッドの中にいても精神的な休息にはならない。自責の念と消えてしまいたいという思い、また希死念慮との戦いがあるからだ。
しかしこの古典的うつ病の場合、抗うつ薬を服用してある程度期間をすぎると、だんだん気分が持ち直してくる。そして一年ほど経つとましな状態になっていく。(ぼくの場合)
ところが、その後うつを再発。十年の間、寛解~悪化を繰り返し、自分がただの単極性うつではなく、双極性Ⅱ型障害ということがわかった。そしてその間、最初に感じていた休息というものに対するイメージが変化してきた。
双極II型障害の場合、休むということはある意味で苦痛となる。軽躁状態の時はもちろん自分に休息が必要だとは微塵だに感じない。しかし抑鬱状態であったとしても、自分が休まなければならない、というのは受け入れがたいものなのだ。心は焦っているにも関わらず、身体は、いや脳は悲鳴をあげている。しかしその中の自分はまさに「生きてアクティブにいたい。」という欲求を感じていてそれが休息を邪魔するのだ。
つまり「休む」ということは自分が死んでいる状態であり、それを受け入れるのには相当の時間を要する。だからうつ状態のため会社に行けなくても、心の中に平安はない。あるのは自責の念だけだ。
しかし、休むことが自分にとって必要なことだということが認識できると、一つの山を越え、寛解へと大きく近くことになる。つまり、自分は休んでも良いのだ、休むことが自分の義務なのだということを魂が受け入れた時、寛解へ大きく近づき、社会復帰という朝日は登りかけている。
残念ながらこの認識を得るのに最も邪魔をしているのは職場と周囲の人間である。職場と周囲の人間の理解なしにはこの認識は形成し得ない、と言っても過言ではない。
よく職場で見られる誤解に、「あの人は怠けている。」というものだ。これは職場に人数が50人以上の規模では産業医がいるため、産業医を通せばそれなりの理解は得られる。しかしそれ以下の職場ではなかなか厳しいものがあるかもしれない。
しかしその場合は主治医の診断書がお墨付きをくれる。主治医はできるだけたくさん使うに限るのだ。
診断書をもらえば法的に病気と認定される。それによる業務の休暇命令は法的なものであり、「怠け」、「気分屋」という一切の理不尽な理由を排除してくれる。
あと、繰り返しになるが、重要なのは本人の「病人としての責任意識」である。
これは下記のリンクを参照していただきたい。
仕事をしないからと言って自分を責める必要はない。むしろ患者がしなければならないことは「仕事をしないこと」なのだ。これが病人の仕事なのだ。
それが腑に落ちた時、寛解への道は大きく開ける。