毎年この時期になると、サンタさんネタの記事を拝見します。
私も昨年書きました。
1年前のこの記事を見るとまだ甘かったと思わざるを得ません。
まるでサンタさんが居ないかのような表現になっています。
このブログはやがてデジタルネイティブ世代の娘が私のPCのログインパスワードをハックしてグーしてアレして見ることになると想定していますので、まるでサンタさんは居ないかのように書くこと自体が問題なんです。
あれだ。大人は大人の事情でサンタさんはいないことにしなければいけないことになっているんだ。
だって、私の場合小学校6年くらいまではサンタさんが来てた。いつも私の実家へは早めに来ていて寝ている間ではなく私がお風呂に入っている間にいつも布団の中にプレゼントを入れてくれていた。段取りの良いサンタさんである。サンタさんは私のお風呂の時間を知っていた?おそらく知っていたのである。トナカイに乗って世界中を駆け巡るのだから当日の世界中の子供の予定を把握しているのだろう。
プレゼントは発注方式か提案方式か?
周囲にヒアリングすると、サンタさん来ない派もいるがサンタさん来た派の中でも流派が違うことがわかる。私の実家は発注方式で、クリスマスが近づくと靴下の中に欲しいものをお願いする手紙(いわゆる発注書)を入れておき、欲しいものが手に入るという方式である。なぜか母親から「早く手紙かかんとサンタさん間に合わへんで!」と注意されたことがあって、欲しいものがありすぎて発注がギリギリになってしまったことがあった。その年の欲しいものが何だったかはあまりのショックで忘れてしまったが、風呂上りに布団の中に入っていたのはポケットザウルスの文房具セットだった。兄弟も全く同じものが入っていて、兄弟と思わず顔を見合わせたらまるで変な味の食べ物を食べてしまったような表情をしていた。おそらく私も似たような表情をしていただろう。私は目の前の現実を受け入れたくないかのように「これ・・・ポケットザウルスやんな?」と兄弟に言うと兄弟は黙って頷いた。次の年からはかなり早めに発注書を作るようになったのは言うまでもない。
逆に妻の実家は提案方式だったようで、発注書を書いたことは一度もないらしい。サンタさんはあの白い袋の中からその子におすすめのプレゼントを選んで置いていってくれる、という事らしい。妻の場合、本のプレゼントで、しかも少し対象年齢が上のものが多かったようだ。グリム童話全集が気に入っていて、今も我が家の本棚の中にあって、娘と一緒に読んだりしている。妻は、私が発注したおもちゃで今まで生き残っているおもちゃってあるの?(ないでしょ?私はある)とマウントを取ってくるのである。
この発注方式にするか提案方式にするかで昨年一晩中言い合いになった。発注方式のサンタに依頼すると、子供にとってはクリスマスには本当に欲しかったものが貰えるんだ!サンタさんはいるんだ!という感動を与えることができ、提案方式にすれば子供の知らない世界を体験させてあげることができる。また将来に渡って役に立つかもしれないプレゼントを提案してもらえるというメリットもある。
昨年は提案型のサンタさんにお願いしようということになったのだが、どういう訳か妻が周囲にヒアリングすると発注方式が多かったようで今年は昨年の言い合いなどなかったことのように発注方式に変更になっていた。
トイザらスのチラシに○をつけ、その商品名を手紙(発注書)に書くのだが娘の書く手紙があまりにも愛想のない手紙だったので書き直しをして貰った。だって、「サンタさんへ」と「商品名」だけが書かれた手紙ってあまりにも発注書すぎる・・・。同時に、万一の事を考えて念のためトイザらスのチラシに印をつけて貰いました。商品名があいまいな場合があるので、サンタさんも手配を間違ってしまう可能性があるけど、チラシを見れば手違いの可能性を減らすことができます。
こうしてサンタさんに発注書を書いたのですが、サンタさんから連絡があり、近所のおもちゃ工場では娘の書いた商品が売り切れ?在庫切れ?だったようでamazonの協力を得ますとのこと。
そういう訳で、サンタさんは絶対にいるんだけど、信じなくなったり、大人になったら記憶を消されたりしてまるでサンタさんは居なかったように思えるのである。
忘れていませんか?もしかしてあの時のあれはサンタさんだったかもしれませんよ。ほら、今もあなたのすぐ後ろに・・・。