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新貧乏物語

第8部・がんサバイバー (1)生きたい

将来について話す鶴園環さん(左)と長女。行政からの支援は来年3月に打ち切られる=名古屋市千種区で

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◆命よりも娘の未来を

 「もう大人だと思っているから、言うね」

 女性の活躍推進を掲げ、与党が所得税の配偶者控除の拡大を決めた今月八日。名古屋市千種区の県営住宅に住むシングルマザーの鶴園環(つるぞのたまき)さん(46)は、高校を来春卒業する長女(17)と食卓で向かい合っていた。「再発したら治療をやめようと思う。お金がかかると、あなたの迷惑になるから」。長女にはその一週間前、名城大経営学部から推薦入学の合格通知が届いていた。

 会社員だった元夫と五年前に別れ、派遣美容師の仕事で一人娘を育ててきた環さんは昨年十月、卵巣がんの告知を受けた。四時間におよぶ手術。控室で待っていた長女は、切除した黒い病巣を執刀医に見せられた。「母は治りましたよね?」。恐る恐る尋ねると、医師は答えた。「いいえ。がんとは一生付き合わなければいけません」

 診断の結果、五年間生きられる可能性は32%だった。「生きたい」と願った環さんは月に一度の抗がん剤治療に耐えた。でも、手術から十カ月がたった今年八月のエックス線検査で、肝臓に影が映った。「再発」とは言われなかったが、医師は環さんに「治療を続ける分だけ生存率は上がる。抗がん剤の投与を予定よりも長く続けます」と告げた。

 その治療を続けられるかどうか、環さんは分からずにいる。昨年の手術費も毎月の医療費も、一定の所得を下回るひとり親家庭への名古屋市の助成制度で全額補助を受けている。ただ、助成は子どもが十八歳になった年の年度末に打ち切られる。長女は来年の元日、十八歳の誕生日を迎える。

 環さんは手術の約一カ月後から職場に復帰したが、今年四月に派遣会社が倒産し、月約二十万円あった収入が絶たれた。補助がなくなる来年四月以降も医療費を免除してもらうために、生活保護の申請も考えた。しかし、病院の相談員に「これがあると無理です」と言われたのが「娘の未来」のための財産だった。

 約百五十万円ある貯金を生活費に回し、資産とみなされる生命保険を解約しなければ、生活保護の対象にはなれない。貯金は長女の入学金と授業料。死亡時に二千万円が支払われる保険金も、一人きりで残される長女のためのもの。「手を付けることなんて絶対にできない」。環さんは申請をあきらめた。

 今、二人の暮らしを支えている毎月の収入は、名古屋市からの児童扶養手当など約三万五千円と、元夫からの九万円の養育費だけだ。このうち、行政の手当は来年三月末に医療費の助成と同じ理由で支給が止まる。環さんは美容師としてもう一度働きたいが、薬の副作用なのか右手の薬指がしびれ、はさみを発病前のようには使えない。

 立ち仕事よりも体への負担が小さい事務職に応募しても「治療で休まれるのは…」の繰り返し。先月中旬、無料の求人誌で探した宅配会社のアルバイト事務員にようやく採用されたが、雇用期間は繁忙期の年末まで。その先も継続して働けるかは、会社に求められた健康診断の結果次第だ。

 客からのクレーム対応。次々に舞い込む宅配時間の変更の処理。週に二日ある休日の夜、環さんは長女と向かい合った。「ママがいなくなるって思いたくない。私の結婚式に出て、子どもも抱いてほしい」。長女はそう言って、母の目をじっと見つめた。

 生きて孫を抱き上げたい。本当は治療も続けたい。でも、生きるためのお金をどうやって手にしていくのか、今の環さんにそのあてはない。

  ◇ 

 国民の二人に一人がかかるとされる、がん。治療のための離職や医療費の負担が困窮を招くケースは多く、国も今月の法改正で就労支援に乗り出した。病魔と闘って生きる「がんサバイバー」の現場を追う。

 (取材班=青柳知敏、伊藤隆平、鈴木龍司、斎藤雄介)

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