ぴゅう、享年16歳。
2015.10.18 Sun
私にとっての初代犬、ぴゅう。
私が6才のとき、通っていた保育園の近くに捨てられていた子犬。
女の子。成犬時13kg程度。
とっても大人しくて、自立性があって、モモとは正反対。
オモチャに興味なし、ごはんのお皿に手を入れると怒る、散歩は教えてなくてもリーダーウォーク、拾い食いはしないし、物は絶対に壊さない…何から何までモモとは正反対だったように思う。
そして、(これを言うと批判されるかもしれないけど)番犬として非常に有能だった。
番犬というのは「敵をやっつけてくれる」という意味ではなくて、「家のチャイム代わり」という意味合いが強い。
知らない人が来るととにかく吠える(これがまた美声なんだ)。だけどその人が家族の誰かと話し始めると吠えるのを止めて静観する。
ぴゅうの番犬(チャイム代わり)としての機動力と敵か味方かを判断する空気の読み方は主に大人たちから定評があった。
ぴゅうはその性格をとっても能力をとっても「良い犬」だった。
私が犬好きになったのは、ぴゅうが大きく影響していると思う。
初代がモモだったら、猫派になっていたかもしれない。というのは半分本気である。
ぴゅうは16歳まで生きた。
その生涯を終えるまでに大きなケガ一回と、目立つ病気一回を患った。
ケガは、夜中に侵入してきた犬に噛まれ、首周りの肉が裂けたこと。
肉が裂けたことで支えを無くした片方の耳が顔の真横まで垂れさがるほどのケガだった。
獣医には毎日通って、完治後は後遺症もなく見た目も元通り。
ぴゅうは治療中、とても大人しかったし、巻かれた包帯も自分からは絶対に取らなかった。
動物病院に入るのは恐がるのに、いざ入ってしまえば協力的なところがまた健気で、そんな良い子をケガさせてしまった申し訳なさを今でも忘れない。
病気は「メニエール病」。耳の三半規管が調子を悪くし、いわゆる「車酔い」のような状態が続く病気で、人間にもなじみがある病気。
治療は食事と一緒に薬を飲むだけで、3日も経たないで治った記憶がある。ぴゅうの場合、発症の理由は加齢であった。
その他の病気としては「白内障」も患っていたが、こちらは何の治療も行っていない。
ぴゅうの場合は高齢だったことが第一の理由であり、また、白内障は高齢犬にとってポピュラーな症状だったからだ。
獣医師も「犬にとって目はさほど重要じゃない。鼻が効けば慣れた場所を歩くのに支障はない。」とのことで、実際その言葉通り、生活に目立った支障は出なかった。
それよりも、高齢で耳が遠くなったことの方が、生活に大きな支障をもたらしたのが家族としての実感だった。
聞こえないというのは、危機回避が遅れる。車が来るのに飛び出しそうになったりするので、その分、人間が注意して守ってやる必要があった。
ぴゅうの死因は平たく言えば老衰だった。
年老いて、少しずつ足腰が弱り、体重も減っていった。
「そろそろだな」という覚悟は、毎日の生活の中で誰もが少しずつしていたと思う。
最期の数週間は寝たきりになった。夜鳴きも凄まじかった。
介護をして、死後は葬儀屋に頼んだ。
ぴゅうは私に、犬の良いところと、命の一生について教えてくれた。
一緒に遊んだ子犬時代、頼れる成犬時代、老犬時代は思いやりと責任感について考えさせてくれた。
その結果として私は「もう犬は飼わない」と固く誓ったが、巡りあわせでモモの世話係になってしまった。
だけど今はモモの存在を後悔していない。
犬の最期を看取ることは正直トラウマだけど、モモの最期を見届けたいと心から思う。
突然いなくなったりしないで、不治の病にかかったりしないで、老衰で、寝たきりで、逝ってもらいたい。
介護して、介護しながら後悔とか反省とか、感謝をしたい。
…ぴゅうの話から脱線の上、モモについての哀しい未来まで思い浮かべてしまった。
ここ数日、近所の老犬さんが「そろそろ」な様子で、ちょっと思うところがあった、ということにしておく。
喪失
2015.10.02 Fri
自宅の門を入ると同時に正面の茶色が目に入る。
茶色はピクリとも動かずこちらを見つめて、10メートル、8メートル…5メートルほど近付いたところで弾かれたように飛び出してくる。
鎖の限界まで距離を詰め、車庫入れの間じっと座って、車のキーロックの音を合図に踊り出す。
声をかけるとちぎれんばかりに尻尾を振って、前と後ろにそれぞれ背伸び。準備オーケー。
私の胸に飛び込んで肌の出ている部分をありったけに舐めまわすんだ。
ひとしきり舐めたら思い出したように水を飲みはじめる。
その場を離れようとすると飲むのをやめて追いかけてきてしまうから、ゆっくり飲めるよう、物音立てずにじっと待つ。
長めの給水タイムが終わればまた舐めることを再開し、納得したところで背中を向けて座る。
それは交換っこの合図で、今度は私が全身を撫でる番。
社長の息子に安月給で使われて、夜もバイトに出て、毎日に絶望さえ抱いているのに何故か、一日中昼寝していた相手の労を心から労えるんだ。
「今日もお利口さんだね」「いつもがんばってるもんね」「明日はお休みだからね、いっぱい遊ぼうね」
愛情なのか狂気なのかわからなくなるときもある。
全部、自分への暗示なのかもしれない。
だけど相手への思いに嘘はない。私は不自由をさせている。一日中寝ているだけの仕事はきっと、今の私以上に辛いから。
ほどなくすると人間のお母さんも帰ってきて、私とそうしたように舐めたり撫でたりを互いに交わして、茶色は再びこちらに還る。
もうじき日が暮れる。その前に散歩に行こう。ボール遊びもして、晩御飯を食べよう。
そんな毎日がね、なくなってしまったんだ。
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茶色はピクリとも動かずこちらを見つめて、10メートル、8メートル…5メートルほど近付いたところで弾かれたように飛び出してくる。
鎖の限界まで距離を詰め、車庫入れの間じっと座って、車のキーロックの音を合図に踊り出す。
声をかけるとちぎれんばかりに尻尾を振って、前と後ろにそれぞれ背伸び。準備オーケー。
私の胸に飛び込んで肌の出ている部分をありったけに舐めまわすんだ。
ひとしきり舐めたら思い出したように水を飲みはじめる。
その場を離れようとすると飲むのをやめて追いかけてきてしまうから、ゆっくり飲めるよう、物音立てずにじっと待つ。
長めの給水タイムが終わればまた舐めることを再開し、納得したところで背中を向けて座る。
それは交換っこの合図で、今度は私が全身を撫でる番。
社長の息子に安月給で使われて、夜もバイトに出て、毎日に絶望さえ抱いているのに何故か、一日中昼寝していた相手の労を心から労えるんだ。
「今日もお利口さんだね」「いつもがんばってるもんね」「明日はお休みだからね、いっぱい遊ぼうね」
愛情なのか狂気なのかわからなくなるときもある。
全部、自分への暗示なのかもしれない。
だけど相手への思いに嘘はない。私は不自由をさせている。一日中寝ているだけの仕事はきっと、今の私以上に辛いから。
ほどなくすると人間のお母さんも帰ってきて、私とそうしたように舐めたり撫でたりを互いに交わして、茶色は再びこちらに還る。
もうじき日が暮れる。その前に散歩に行こう。ボール遊びもして、晩御飯を食べよう。
そんな毎日がね、なくなってしまったんだ。