ドナルド・トランプが当選して以来、米国の株式市場はラリーしています。

それを見て「今回はレーガン大統領の時代の再来だ」と浮かれている人たちが居ます。

たしかに当選が決まった後で投資家がこれを歓迎し、マーケットが急騰したという点では両者は似ています。

あのときもマーケットは+10%近く急騰し、ダウ工業株価平均指数は1000.17を付けました。(こんにち「ダウ2万!」の掛け声が聞かれるのと不気味なほど似ています)

1981年早々、当時の著名なテクニカル・アナリスト、グランヴィルが「全ての希望を捨てよ!」というレポートを書きます。それがきっかけとなりマーケットは大きな出来高を伴い下落に転じます。

FRBが相次いで利上げしたため、マーケットには逆風が吹き始めます。

レーガン大統領の経済政策(=のちにレーガノミックスという名前がつきました)は「余計に利上げのペースを速める」と不評でした。

特に当時の投資家たちは米国連邦政府の財政赤字を問題視しました。

このような地合いの中でソハイオ(=スタンダード石油オハイオ)は1980年の高値92ドルから36ドルへ、アーコ(=アトランティック・リッチフィールド)は55ドルから22ドルへ、ハリバートンは86ドルから44ドルへと下がります。

金鉱株も下がりました。ホームステイク・マイニングは88ドルから36ドルまで下がります。

結局、1981年のS&P500の年間パフォーマンスは-9.7%でした。

1