ビジュアルカルチャーをおもしろくする編集者たち
Vol.2 原田優輝
ここ十数年のインターネットの爆発的な普及により、情報へのアクセスが大きく変わってきたことは周知の事実である。それは、情報を得る側だけではなく、それ以前は紙媒体をベースとしていた、情報をフィードする側である「編集者」にも大きな変化をもたらした。Facebook、Twitter、NAVER、Tumblrなど、Web上での便利なツールがますます発達してきたことにより、「情報の編集」は誰もが容易にできる時代になったといえるだろう。現代において、所謂これまでの「編集者」は必要とされなくなってきたのだろうか?
今回は、Webマガジン「Public/image.org」に編集長として携わり、現在はインタビューサイト「QONVERSATIONS」を展開している原田優輝さんに、これからの「編集」についてお話を伺った。
原田さんといえば、アートディレクターの針谷建二郎さん率いるデザイン会社「ANSWR(アンサー)」を母体としたWebマガジン「Public/image.org」の編集長として、さまざまな企画や記事に携わってきたと思うのですが、Public/imageに参加する以前は何をされていたのでしょうか。
大学ではマスコミ関係の学部を専攻していました。高校の途中までは野球に打ち込んでいたということもあり、スポーツ関係のジャーナリストになりたいと考えていた時期もあったのですが、その後ファッションや映画、音楽などのカルチャーにのめり込み、大学3年の頃にはスタイリストを志し、服飾の専門学校にダブルスクールで通ったりもしました。
ビジュアルカルチャー全般に興味を抱いた最初のきっかけはファッションだったんですね。そこからどのような経緯で編集の道へ進んだのですか?
その頃は「i-D」や「DAZED & CONFUSED」など、当時「スタイルマガジン」と呼ばれていた海外のファッション、カルチャー雑誌などをよく読んでましたね。ちょうど大学3年くらいの頃だったか、DAZEDの日本版が創刊されたんですよ。それを読んでいたらアルバイトを募集していたので、応募したんです。それが編集者としてのはじまりでしたね。
「DAZED & CONFUSED JAPAN」編集部では、どのような仕事をされていたんですか?
僕が入ったときは、編集部には編集長を含めて3人くらいしかスタッフがいなかったこともあり、いきなり「撮影行ってきて」と言われて、何もわからないままひとりで現場に行かされるようなこともありましたね(笑)。そのような環境の中で、先輩の編集者たちから、編集のイロハを学びました。結局DAZEDには2年ほどお世話になり、退社したあとは約半年間ほどアジアを放浪する旅に出ました。実は旅をすることが好きなんですよ(笑)。
なるほど旅好きですか(笑)。それでその後はどうされたのですか?
旅を終えて帰国したときに、当時「ADAPTER」名義で活動していた針谷さんから連絡があり、「今フリーマガジンをつくってるから手伝ってくれないか」って言われたんです。そのフリーマガジンというのが「Public/image.org」の前身となる「Public/Image.magazine」ですね。その当時は紙媒体で、半年に一回くらいのペースで発刊していたのですが、2号目から僕も関わるようになりました。
「Public/Image」のコンセプトやテーマというのは、どのようなものだったのでしょうか?
僕はスタート時からいたわけではないのですが、「Public/Image」のもともとのコンセプトは、「自分たちのPublic Image(世間のイメージ)は自分たちで作っていく」というところから来ていたようです。始めの頃はアートブックのようにビジュアルメインで、グラフィックや音楽などのカルチャーを取り上げていたんです。僕自身もそういったカルチャーはもちろん好きだったのですが、編集者としてメディアの形をしっかり作りたいという気持ちがあり、雑誌的な要素も徐々に増やしていきました。そこから、2007年に「ANSWR」が発足するタイミングで、「Public Imege」がWebマガジンになりました。それを期に、グラフィックや音楽だけではなく、より幅広いカルチャーを取り上げるようになり、クリエイターたちの生の声をアーカイブしていくことを目指し、インタビューをメインコンテンツに据えました。
実は私も「Public/Image.org」は当時よく拝見していたのですが、アンテナの感度が凄かったですよね。情報のスピードも速くて感心していました。気になったクリエイターはいつもPublic/Imageが既に取り上げていたりして、ちょっと悔しかったりしましたね(笑)
ありがとうございます(笑)。それは僕だけの力ではなく、デザイナーやクリエイターの方と交流を深めていくうちに、自然と面白そうな人たちとつながるようになったんです。メディアとして認知されてくると、情報も集まってきますしね。2年目からは、事務所の隣に「Public/Image 3D」というギャラリーもできたのですが、そこで企画展を開いたり、作品集などの販売も行ったりする活動も、ひとつのアンテナとして機能していたと思います。
「Public/Image.org」が終了して、現在原田さんはインタビューに焦点を絞ったWebサイト「QONVERSATIONS」をスタートさせたわけですが、その間は何があったのでしょうか?
約5年間続けていた「Public/image.org」が、紆余曲折の末に2012年6月に更新終了となることが決まり、ちょうどそれと入れ替わるように、以前から進めていた「QONVERSATIONS」が立ち上がった、という感じですね。
「QONVERSATIONS」の「インタビュアーをキュレーションする」という切り口が新鮮で面白いですよね。「テレフォンショッキング的」とでもいうか。これは何か意図するものがあったのでしょうか?
「Public/Image.org」では、計400本を超えるインタビューをしたのですが、いつしかそれがライフワークのようなものになっていました。それができる場がなくなってしまうことが寂しかったので、インタビューという切り口でまた違うことをやろうと思ったんです。そこで、これまでインタビューさせていただいた方たちに今度はインタビュアーになってもらい、彼らの会いたい人にインタビューしてもらったら面白くなるんじゃないか、という発想が「QONVERSATIONS」の出発点でした。
「QONVERSATIONS」では、ジャンル不問でどのような方でもインタビューを敢行するのでしょうか?
基本的にはどんな人でもOKなのですが、ひとつだけ「インタビュー相手は同業者以外」というルールを設けています。あまりに近い業種の人同士で話をすると、狭い範囲に話題が集中しがちなんです。また、対談形式にしてしまうと、お互いの共通言語を探りながら、予定調和的に対話が終わってしまうケースも少なくないので、あえて「聞く側」「聞かれる側」を明確にしたインタビュー形式を取っています。インタビュアーがその対象に強い関心さえ持っていれば、たとえインタビュー相手がその人のことを知らなかったとしても対話は成立するし、そこにインタビュアー側の個人的な興味なども反映されると考えています。「何を答えるか」ということよりも、「何を聞くのか」というところに、「QONVERSATIONS」の大きなテーマがあるんです。
「相手に言って欲しいことを聞く」というのがある意味インタビューの基本だったりしますが、あえてそこを外して、まったく予想しない方向に行きそうなところが面白いですね。予想できないだけに、「事故」も起こりやすそうな気がします(笑)。
例えば、「Public/image.org」でインタビューしてきた人たちは、もちろんすべて自分が知っている相手だったのですが、「QONVERSATIONS」では、いままでまったく接点がなかった分野の人たちに取材に行くことも多いんです。でも、インタビュアーをお願いする人たちは、みんな僕の好きな人たち。その人たちが会いたい人なら、きっと僕も好きだろうと思って取材に行くのですが、実際にどの取材もとても面白いですね。
これまでの既存の編集者のスタイルとはまた違ったものに見受けられるのですが、原田さんにとって編集とはどのようなものだと感じてますか?
SNSなどが普及してから、世の中にあるコンテンツを自分の審美眼でセレクトしたり、組み合わせて発信するというような、従来の編集者やキュレーター的な役割は、もはや誰もが担うようになりましたよね。そこにはもはや編集者としての専門性は薄れてきていると思うんです。編集についての考え方は人それぞれ違うと思いますが、個人的に最近考えているのは、「キュレーションからファシリテーションへ」というキーワードなんです。それがまさにいま「QONVERSATIONS」でやっていることなんですけど、すべてのコンテンツを1から用意するのではなく、人々が興味を持って集まってくれるような「場」を開放し、そこに関わってくれる人たちと共に何か新しいものを導いていけたらいいなと考えています。それは、従来の「編集」という行為からはだいぶ離れたものかもしれませんが、個人的にはそうした活動をより加速させていきたいですね。
それでは最後に、今後の展望について聞かせてください。
QONVERSATIONSに関しては、昨年試験的にスタートした「QONVERSATIONS TRIP」など、地方での展開も広げていきたいですね。また、じっくり読んで頂きたいコンテンツなので、書籍化も視野に入れて動いているところです。編集者個人としては、これまで培ってきたスキルを、雑誌やWebメディアに限らず、さまざまな機会で生かせていけたらいいなと思っています。
Interview_Koji Hiraizumi
Text&Photo_Kohei Yoshida
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原田優輝 Yuki Harada
1981年生まれ。編集者。「DAZED&CONFUSED JAPAN」、「TOKION」編集部などを経て、Webマガジン「Public-image.org」編集長を務める。その後インタビューサイト「QONVERSATIONS」を立ち上げる。また、フリーの編集者/ライターとしても、カルチャー、デザイン系媒体の企画編集・寄稿、ムック制作、クリエイターのコーディネート、トークイベントの企画・司会進行などを手がけている。
http://qonversations.net/
原田さんといえば、アートディレクターの針谷建二郎さん率いるデザイン会社「ANSWR(アンサー)」を母体としたWebマガジン「Public/image.org」の編集長として、さまざまな企画や記事に携わってきたと思うのですが、Public/imageに参加する以前は何をされていたのでしょうか。
大学ではマスコミ関係の学部を専攻していました。高校の途中までは野球に打ち込んでいたということもあり、スポーツ関係のジャーナリストになりたいと考えていた時期もあったのですが、その後ファッションや映画、音楽などのカルチャーにのめり込み、大学3年の頃にはスタイリストを志し、服飾の専門学校にダブルスクールで通ったりもしました。
その頃は「i-D」や「DAZED & CONFUSED」など、当時「スタイルマガジン」と呼ばれていた海外のファッション、カルチャー雑誌などをよく読んでましたね。ちょうど大学3年くらいの頃だったか、DAZEDの日本版が創刊されたんですよ。それを読んでいたらアルバイトを募集していたので、応募したんです。それが編集者としてのはじまりでしたね。
「DAZED & CONFUSED JAPAN」編集部では、どのような仕事をされていたんですか?
僕が入ったときは、編集部には編集長を含めて3人くらいしかスタッフがいなかったこともあり、いきなり「撮影行ってきて」と言われて、何もわからないままひとりで現場に行かされるようなこともありましたね(笑)。そのような環境の中で、先輩の編集者たちから、編集のイロハを学びました。結局DAZEDには2年ほどお世話になり、退社したあとは約半年間ほどアジアを放浪する旅に出ました。実は旅をすることが好きなんですよ(笑)。
なるほど旅好きですか(笑)。それでその後はどうされたのですか?
旅を終えて帰国したときに、当時「ADAPTER」名義で活動していた針谷さんから連絡があり、「今フリーマガジンをつくってるから手伝ってくれないか」って言われたんです。そのフリーマガジンというのが「Public/image.org」の前身となる「Public/Image.magazine」ですね。その当時は紙媒体で、半年に一回くらいのペースで発刊していたのですが、2号目から僕も関わるようになりました。
「Public/Image」のコンセプトやテーマというのは、どのようなものだったのでしょうか?
僕はスタート時からいたわけではないのですが、「Public/Image」のもともとのコンセプトは、「自分たちのPublic Image(世間のイメージ)は自分たちで作っていく」というところから来ていたようです。始めの頃はアートブックのようにビジュアルメインで、グラフィックや音楽などのカルチャーを取り上げていたんです。僕自身もそういったカルチャーはもちろん好きだったのですが、編集者としてメディアの形をしっかり作りたいという気持ちがあり、雑誌的な要素も徐々に増やしていきました。そこから、2007年に「ANSWR」が発足するタイミングで、「Public Imege」がWebマガジンになりました。それを期に、グラフィックや音楽だけではなく、より幅広いカルチャーを取り上げるようになり、クリエイターたちの生の声をアーカイブしていくことを目指し、インタビューをメインコンテンツに据えました。
ありがとうございます(笑)。それは僕だけの力ではなく、デザイナーやクリエイターの方と交流を深めていくうちに、自然と面白そうな人たちとつながるようになったんです。メディアとして認知されてくると、情報も集まってきますしね。2年目からは、事務所の隣に「Public/Image 3D」というギャラリーもできたのですが、そこで企画展を開いたり、作品集などの販売も行ったりする活動も、ひとつのアンテナとして機能していたと思います。
約5年間続けていた「Public/image.org」が、紆余曲折の末に2012年6月に更新終了となることが決まり、ちょうどそれと入れ替わるように、以前から進めていた「QONVERSATIONS」が立ち上がった、という感じですね。
「QONVERSATIONS」の「インタビュアーをキュレーションする」という切り口が新鮮で面白いですよね。「テレフォンショッキング的」とでもいうか。これは何か意図するものがあったのでしょうか?
「Public/Image.org」では、計400本を超えるインタビューをしたのですが、いつしかそれがライフワークのようなものになっていました。それができる場がなくなってしまうことが寂しかったので、インタビューという切り口でまた違うことをやろうと思ったんです。そこで、これまでインタビューさせていただいた方たちに今度はインタビュアーになってもらい、彼らの会いたい人にインタビューしてもらったら面白くなるんじゃないか、という発想が「QONVERSATIONS」の出発点でした。
「QONVERSATIONS」では、ジャンル不問でどのような方でもインタビューを敢行するのでしょうか?
基本的にはどんな人でもOKなのですが、ひとつだけ「インタビュー相手は同業者以外」というルールを設けています。あまりに近い業種の人同士で話をすると、狭い範囲に話題が集中しがちなんです。また、対談形式にしてしまうと、お互いの共通言語を探りながら、予定調和的に対話が終わってしまうケースも少なくないので、あえて「聞く側」「聞かれる側」を明確にしたインタビュー形式を取っています。インタビュアーがその対象に強い関心さえ持っていれば、たとえインタビュー相手がその人のことを知らなかったとしても対話は成立するし、そこにインタビュアー側の個人的な興味なども反映されると考えています。「何を答えるか」ということよりも、「何を聞くのか」というところに、「QONVERSATIONS」の大きなテーマがあるんです。
例えば、「Public/image.org」でインタビューしてきた人たちは、もちろんすべて自分が知っている相手だったのですが、「QONVERSATIONS」では、いままでまったく接点がなかった分野の人たちに取材に行くことも多いんです。でも、インタビュアーをお願いする人たちは、みんな僕の好きな人たち。その人たちが会いたい人なら、きっと僕も好きだろうと思って取材に行くのですが、実際にどの取材もとても面白いですね。
これまでの既存の編集者のスタイルとはまた違ったものに見受けられるのですが、原田さんにとって編集とはどのようなものだと感じてますか?
SNSなどが普及してから、世の中にあるコンテンツを自分の審美眼でセレクトしたり、組み合わせて発信するというような、従来の編集者やキュレーター的な役割は、もはや誰もが担うようになりましたよね。そこにはもはや編集者としての専門性は薄れてきていると思うんです。編集についての考え方は人それぞれ違うと思いますが、個人的に最近考えているのは、「キュレーションからファシリテーションへ」というキーワードなんです。それがまさにいま「QONVERSATIONS」でやっていることなんですけど、すべてのコンテンツを1から用意するのではなく、人々が興味を持って集まってくれるような「場」を開放し、そこに関わってくれる人たちと共に何か新しいものを導いていけたらいいなと考えています。それは、従来の「編集」という行為からはだいぶ離れたものかもしれませんが、個人的にはそうした活動をより加速させていきたいですね。
それでは最後に、今後の展望について聞かせてください。
QONVERSATIONSに関しては、昨年試験的にスタートした「QONVERSATIONS TRIP」など、地方での展開も広げていきたいですね。また、じっくり読んで頂きたいコンテンツなので、書籍化も視野に入れて動いているところです。編集者個人としては、これまで培ってきたスキルを、雑誌やWebメディアに限らず、さまざまな機会で生かせていけたらいいなと思っています。
Interview_Koji Hiraizumi
Text&Photo_Kohei Yoshida
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1981年生まれ。編集者。「DAZED&CONFUSED JAPAN」、「TOKION」編集部などを経て、Webマガジン「Public-image.org」編集長を務める。その後インタビューサイト「QONVERSATIONS」を立ち上げる。また、フリーの編集者/ライターとしても、カルチャー、デザイン系媒体の企画編集・寄稿、ムック制作、クリエイターのコーディネート、トークイベントの企画・司会進行などを手がけている。
http://qonversations.net/