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融和と一体感第1に
新名寄市誕生記念式典・新たなまちの発展願う |
【名寄】新「名寄市」誕生記念式典が二十五日、ホテル藤花で挙行された。三月二十七日に行った新名寄市の開市式以降、あらためて合併成就を祝った。合併に伴う新市の市長選挙や本予算を決める市議会定例会などで先延ばしとなっていた式典だが、市内外から関係者三百七十人が出席して、旧風連町と旧名寄市の歴史を振り返るとともに、十五年三月から約二年の歳月をかけて誕生した新生「名寄市」の発展を願った。
式典は、陸上自衛隊名寄駐屯地音楽隊によるオープニング演奏で幕開け。今尚文副市長による開式の辞、国家斉唱、先人などへの黙とうに続き、島多慶志市長が「関係者の協力で、新しい名寄市の第一歩を踏み出せたことに感謝している。国、地方の財政状況が厳しさを増す中、地方自治もこれまでの国主導の画一的取り組みから、地域主体の個性あるまちづくりが求められている。これからは融和と一体感を第一に考え、これまで積み重ねてきた両市町の特色をさらに伸ばし、後世から『合併してよかった』と評価されるまちづくりに全力で取り組みたい」と式辞。
来賓紹介後、近藤光雄北海道副知事、河野順吉北海道市長会副会長、友好都市提携を結ぶ山形県鶴岡市の富樫毅収入役と東京都杉並区の小林義明助役が祝辞を述べた。
新市の紹介では、名寄中学校の外崎彩乃さんと風連中学校の大野俊明君の二人が、合併によって新しく生まれ変わった市章、名寄西小学校の斉藤早紀子さん、智恵文小学校の小泉優人君、風連中央小学校六年の山田恭之君と又村成美さんの四人が、市の花・木・鳥を説明、紹介した。
最後に、旧両市町の郷土芸能を守り続けている、名寄太鼓保存会源響と風連獅子舞保存会が演奏と舞いを披露し、出席者は、百余年続いたお互いのまちの歴史に別れを告げ、新しい名寄市の振興と発展を願った。
(写真=関係者370人が出席した新市誕生記念式典)
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2006-07-25-19:00 ]
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あんどんが夜空を彩る
びふかふるさと夏まつり・街頭に多くの町民集う |
【美深】美深町観光協会(佐藤堅治会長)主催の第二十二回びふかふるさと夏まつりが、二十四、二十五の両日、町民体育館前広場で開かれ、さまざまな企画で盛り上がった。
二十四日は、景品が当たる子供ビンゴゲームや子供相撲大会が行われた後、開会式で佐藤会長が「あんどん作りでは、まちに活力を出そうと、知恵を出し、汗を流しながら取り組まれたと思う。二日間のまつりを十分楽しんでほしい」。岩木実町長、園部幹雄町議会議長があいさつ。
同まつりに合わせ、二十三日から美深町を訪れている国際友好都市カナダ・アシュクラフト村のアンディー・アンダーソン村長は「盛大なまつりに招いていただき、ありがたく思う。成功裏に終わることを祈る」とあいさつし、イベントを楽しんでいた。
夕方からは恒例のあんどん行列がスタート。今年は町内会、ひまわり会(子供会)、職域などから十五基八百人が参加。パレード出発前のパフォーマンスでは踊りや劇などが披露され、観衆から拍手が送られた。
パレードでは「扇型」と「人形型」の部門で審査も行われ、武者絵やフリースタイルスキーエアリアルなど、さまざまな絵柄、形のあんどんが体育館前を出発。国道40号、八線通、東一条通、駅前通を回り、夏空を彩った。街頭には多くの町民が集まり、威勢よく練り歩く行列に声援を送ったり、あんどんを写真に収める姿などさまざまな光景が見られた。
二十五日は、昼から農産物販売のワゴンセール、全町ビンゴ勝ち抜き大会、吹奏楽や太鼓演奏などの青空発表会、カラオケ大会、町内のダンスチーム「ゴリエンジェルダンサーズ」のパフォーマンスが繰り広げられた。夕方はビールパーティー「夏一夜の夕べ」で札幌のプロロックバンド「ラッキーストライク」のステージ、よさこい演舞が披露された。
(写真=町内会などから15基が参加した美深ふるさと夏まつりあんどん行列)
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2006-07-25-19:00 ]
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道の駅は指定管理で
名寄市中小企業振興審議会・地元雇用拡大意見も |
【名寄】名寄市中小企業振興審議会が二十四日、名寄庁舎で開かれ、十八年度の商工労政関係の主な施策などを協議した。
同審議会は、「名寄市中小企業振興条例」に基づき、高度化する地域経済社会に適合した企業経営に必要な助成で振興を図るもの。合併後、旧両市町にあった組織の統合を図って新体制とし、風連と名寄両地区の商工関係者など十三人で組織。
新体制となって初めての会議には委員十三人が出席。島多慶志市長が委員に委嘱状を手渡し、「道内経済が不況の中、国による『まちづくり三法』の動きが大きな関心事となっているが、今後とも元気が出る商工業の創設のために協力してほしい」。また、風連地区の中心市街地活性化計画で「名寄市の表玄関としての位置づけで、行政もプロジェクトの本格参加に向けて準備を進めている。地権者に『良かった』と評価してもらえるものにしなければならず、市内全体のプロジェクトとして取り組みたい」とあいさつ。
正副会長の互選では、会長に木賀義晴名寄商工会議所会頭、副会長に富永紀治風連商工会長と佐藤信名寄市立大学助教授が選ばれた。続いて、同条例の一部改正、十七年度の融資制度利用実績と補助金実績を報告。
商工労政関係の主な施策の協議では、委員が「現在整備を進めている道の駅で目玉とする売り物は。また、運営体制はどのようにするのか」と質問。
手間本剛経済部長、上田盛一同部産業振興課長が、「地元の食べ物にこだわって売ることも含め、もちをメーンとした販売を考えている。運営は指定管理者制度を取り入れていく」と理解を求めた。
また、委員から道の駅について「全道各地の道の駅を回っている消費者サイドからの意見を聞くほか、『障害者にやさしい道の駅』などのコンセプトを考えては」。地元における雇用問題で「地元での就職希望者が増えているが、雇用の場が確保されていないのが現状。その中で、『新学卒者勤務奨励』などがあるが、地元就職者に対するお金ではなく、仕事ができる雇用先を用意する検討も必要では」などの意見も出され、市としても今後より掘り下げて協議する必要性がある考えを示した。
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2006-07-25-19:00 ]
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戦争の恐ろしさ実感
原爆の絵名寄展で平和を新たに |
【名寄】原爆の絵名寄展が同実行委員会(熊谷吉正代表)の主催で、二十三日から二十五日まで市民文化センターで開かれ、平和への願いを新たにした。
原爆の絵は昭和四十九年、被爆者が原爆投下直後の惨状を描いた一枚の絵をNHK広島放送局に届けたことがきっかけとなり、市民の手で原爆の絵を残し、後世に言い伝えよう―という運動が高まった。寄せられた絵は現在まで約三千枚。戦争の悲惨さや平和への願いを新たにするため、複製画を作成し各地で展示会を開催。
会場には広島に投下された原爆の被爆者や親族などが描いた絵六十点を展示。原爆の高熱で全身が焼けただれた人びとが水を求める光景や、高熱から川に逃れる人たち、原爆で横転した列車から多くの兵士が投げ出され炎に巻かれる惨状など悲惨な光景ばかり。
来場者からは「戦争は二度と繰り返してはならない」「あらためて戦争の恐ろしさ、原爆の恐ろしさを実感した」などの声が聞かれた。
(写真=多くの市民が訪れた原爆の絵名寄展)
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2006-07-25-19:00 ]
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