今まで誰も見たことないような家康像を作り上げた内野聖陽さん。最終回のエピソードを語ってくださいました。
堅牢(けんろう)な大坂城といえども、集まったのは烏合(うごう)の衆である寄せ集めの牢人(ろうにん)たち。大坂冬の陣に関しては、「赤子の手」という気持ちで演じていました。家康自身も「もう楽勝だろう」と考えていたと思います。けれども、時代はそれを許さなかった。世代交代の時代でした。
三谷さんが面白いシーンを用意してくださり、第44回「築城」で味方の兵に自ら仕寄せの作り方を教える場面がありましたが、若者たちは戦を知らない世代なんですよ。
次世代を担う秀忠も、脚本上では非常に頼りない男でした。関ヶ原には遅刻するし、その時に怒られたことをいつまでも引きずっているし、そのことでまた家康に怒られてしまいます。戦国の一番激しい時代を生きてきた家康から見ると、頼りないと感じるところがあったんでしょうね。今風に例えれば、ゆとり世代の息子にいら立ちを感じてしまうお父さんのような感じなのかもしれません。
ただやっぱり、次世代にバトンを渡したいと思っています。面と向かって言わない厳しい父でありますが、家康は次世代に期待しているんです。
最終回で幸村に追い込まれ、家康は絶体絶命の大ピンチに陥りますが、それまで頼りなかった秀忠が駆けつけて父の苦境を救います。その時、「でかした!」とばかりに家康の顔が緩むんですよ。成長した秀忠の姿を見て、うれしかったでしょうね。にもかかわらず、助けてくれたのに息子に即座に「遅いっ!」って言うんです。「なんだ、この親父は!(笑)」と思ったのですが、叱るのも家康の愛情なのかもしれません。気持ちはユルユルなんですが、外面は鬼になる厳しさがある父なんだと思いながら、このシーンを演じてました。
ただやっぱり、次世代にバトンを渡したいと思っています。面と向かって言わない厳しい父でありますが、家康は次世代に期待しているんです。
最終回で幸村に追い込まれ、家康は絶体絶命の大ピンチに陥りますが、それまで頼りなかった秀忠が駆けつけて父の苦境を救います。その時、「でかした!」とばかりに家康の顔が緩むんですよ。成長した秀忠の姿を見て、うれしかったでしょうね。にもかかわらず、助けてくれたのに息子に即座に「遅いっ!」って言うんです。「なんだ、この親父は!(笑)」と思ったのですが、叱るのも家康の愛情なのかもしれません。気持ちはユルユルなんですが、外面は鬼になる厳しさがある父なんだと思いながら、このシーンを演じてました。
最終回で幸村に追い込まれ、家康はまたしても逃げることになりました。伊賀越えの時は40代。この時点では70代。「この年齢で逃げなくちゃいけないか!」と思いましたよ(笑)。
実は、脚本や演出の指定は特になかったのですが、老境に入った家康に関しては足元がおぼつかないように演じていました。ところが、最終回のト書きには、「老人と思えぬ健脚で、ひたすら逃げる家康」と書かれていました。ここが連続ドラマの恐ろしいところで、全放送回の脚本をあらかじめいただいているわけではありませんので、先々の計算ができないんです。一瞬、「どうしよう!?」と思いましたが、火事場の馬鹿力ではないけれど、年を取っても怖いときは懸命に走るんだと開き直りましたね(笑)。だからあのシーンは、普段の歩き方を超えた、すごい走りになっています。開き直りの勢いでやりましたよ(笑)。
今回の家康という役柄は、出番がなくても裏で確実に巨大に存在していることを示さないといけないので、そこが難しかったですね。ある映画監督に「フックを効かせた役、内野さん得意じゃないですか」と言われました。「フックを効かせる」というのは広告用語で、短い時間で印象を残すこと、ということらしいです。そこから改めて、物語を助けるために、短い時間でどれだけ爆発していくか、どれだけ魅力的に作っていくかなど、「フックが効いた」表現を心がけていくことになりました(笑)。今までのキャリアから少し違った能力を求められたおかげで、非常に勉強になりました。