1956年12月18日の国連総会で、日本の加盟が全会一致で承認された。

 戦争のつらい惨禍から立ち上がり、国際連盟脱退から23年ぶりに国際社会に復帰した高揚感に、日本は沸いた。

 それから60年。いま世界には寒々とした風景が広がる。冷戦時代に逆戻りしたかのような大国間の緊張。ナショナリズムに押され、国際協調に背を向ける国々。国際秩序を支えてきた米国にも、自国第一主義を掲げる大統領が誕生する。

 紛争解決に責任を果たすべき国連安全保障理事会も、目を覆う停滞ぶりだ。シリア内戦ではロシアが拒否権行使を繰り返した。ウクライナ、南シナ海、北朝鮮など、大国がかかわる地域で問題解決の道筋が示せない。

 にもかかわらず、テロや難民危機、地球温暖化、核の脅威など、一国では解決不可能な課題も膨らむ一方だ。国連が果たす役割は、むしろ強まっているというべきだろう。

 日本は加盟翌年の57年、「国連中心主義」を、外交基軸の一つとして掲げた。今こそ、その初心に立ち戻る時だ。

 第2次世界大戦の主要戦勝国が占める常任理事国の枠組みを見直す改革も含め、日本は国連の機能を高めていく取り組みの先頭に、ぜひ立ってほしい。

 ただ残念ながら、国連における日本の存在感は、相対的には縮小傾向だ。

 米国に次ぎ2番目に多い分担金を払っているとはいえ、かつて2割を超えた分担率は1割を切った。日本人職員の割合はわずか2・4%。幹部ポストに就く日本人も少ない。

 財政面での責任を果たし、国連で活躍できる人材を育成していく努力は必要だ。

 むろん、カネや人だけが存在感を示す手段ではない。どんな世界を、どうやって実現するかという構想力が欠かせない。

 日本が提唱した、国ではなく人を基点とする「人間の安全保障」は一定の評価を得た。唯一の被爆国としての体験や、防災や保健といった得意分野も、積極的に打ち出したい。

 国連は昨年、2030年までに極度の貧困の根絶などを目指す行動計画「持続可能な開発目標」をつくった。民間参加も期待され、日本でもビジネスを通じた途上国支援に乗り出す企業が徐々に増えている。

 いまや「国」だけが国際社会のプレーヤーではない。民間企業や市民社会も加わり、平和で繁栄した世界を築いていく場として活用する。そんな柔軟な国連観を築きたい。