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【芸能・社会】

島木譲二さん死去、72歳脳出血 パチパチパンチで沸かせる

2016年12月17日 紙面から

「パチパチパンチ」で知られた吉本新喜劇の島木譲二さん=2006年11月、大阪市淀川区で

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 “パチパチパンチ”で知られるお笑い芸人の島木譲二=本名・濱伸二(はま・しんじ)=さんが16日午前9時6分、脳出血のため、入院先の大阪市内の病院で死去した。72歳だった。通夜は17日午後7時から、告別式は18日正午から、新大阪典礼会館(大阪市淀川区野中北1の1の77)で執り行われる。喪主は妻の昭子(あきこ)さん。

 島木さんは兵庫県尼崎市出身で、元プロボクサー。MBS(毎日放送)の放送センターで警備員をしていた際に知り合ったお笑い芸人、間寛平の紹介で吉本新喜劇に参加する。

 上半身裸になり、胸を平手でたたくギャグのパチパチパンチや、アルミの金色の灰皿で頭をたたくポコポコヘッドなど、コワモテの外見を生かして体を張った威圧するようなネタで人気を集めていた。

 2004年12月、正月特番の収録では、頭上に投げ上げた水晶玉が脳天を直撃。流血して周囲は騒然となったが、タオルを頭に巻いた姿で収録を続けたというエピソードもある。

◆11年から入退院

 所属事務所によると、島木さんは16日、入院先の病院で容体が急変。最期は昭子さんにみとられたという。

 島木さんは体調不良のため、11年1月より大阪市内の病院に通院し治療を受けていた。同年2月には早期の回復を目指すため、しばらく休養し、自宅で療養に専念することを発表。その後は入退院を繰り返していた。

 10年12月26日の大阪・NGK(なんばグランド花月)での吉本新喜劇出演が最後の舞台となった。

<島木譲二(しまき・じょうじ)> 1944(昭和19)年9月13日生まれ。元プロボクサーで西日本ミドル級新人王を獲得したことも。80年11月に吉本新喜劇に入り、初舞台を踏む。映画・Vシネマの「ファンキー・モンキーティーチャー」シリーズなどにも出演。

 

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