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エストニア共和国より愛をこめて

北欧の小国に留学中の大学生が当地への留学や観光、社会生活についての情報などをお届けします

貧困について語ると無意味な「貧乏自慢合戦」が始まってしまい問題が解決しないでござる

社会

日本はもう死んでいる

 これまでに何度か書いてるとおり、わたしは高等教育を受けるためにちょっとした苦労を経験しております。日本では働きながら通信制大学を卒業し、さらに学費の安いヨーロッパの国立大学に留学したことで、やっとフルタイムの大学生として学問だけに時間を充てることができるようになりました。北欧の小国の大学が、縁もゆかりもない外国人を、自国の大学に進学するのと比べて破格の条件で迎えてくれているわけです。そう考えるとやっぱり日本ってほんとうに貧しい国なんだなあ。自国民の若者にすら高等教育を受ける代償として多額の借金を負わせて平然としているわけですからね。なんとも卑しく野蛮な国です。

とはいえ、東京で一人暮らしをしながら学費と生活費を稼ぎ、さらに留学資金まで貯められたわけですから、わたしは決して貧困だったわけではないんです。しかし、もしも「ギリギリ生活費は支払えるが、他に何かをする余裕はない」程度の収入の仕事しか見つけられていなかったら、と考えるとゾッとしますね。社会人学生にもなれなかっただろうし、ヨーロッパにも来られなかったでしょうから。

そんなわけでわたしは貧困の問題に人一倍関心があります。このブログでも現代日本の貧困をテーマにいくつか記事を書いています。

www.from-estonia-with-love.net

www.from-estonia-with-love.net

www.from-estonia-with-love.net

特に最後の「データから見る子どもの貧困」についてはツイッター小飼弾さんらがリツイートしたことからアクセスが多かったです。

ここで言及されてるのも多分わたしの記事かと思います。

www.news-postseven.com

わたしの元の記事は「日本は勝手に死にそう」、小飼弾さんは「既に死にかけてる」ですが、やっぱり日本ってもう死んでるんじゃないかなあ。

わたしが「日本はもうだめだな」と確信したのは、ちょっと前に発生したNHKのニュース番組がとりあげた『子どもの貧困について考えてほしい』と訴えた高校生を、わざわざ捏造ニュースまで作って日本中のネット民たちが袋叩きにした」って事件を耳にしたときです。いやあ、「日本の貧しさ」はここまで深刻なレベルに達してしまったんだなあと。もう日本は死んでますな。2016年は「日本が死んだ年」ってことで後世に記憶されるんじゃないでしょうか。

貧困問題の議論に割り込んでくる「貧乏自慢」

あの番組に登場した高校生が訴えていたのは「日本の子どもの6人に1人が陥っている貧困について、もっと社会は考えてほしい」という、まさに日本国にとって喫緊の課題でした。

2008年くらいからの「反貧困ブーム」がしぼんでしまって久しいですし、せっかくの機会なんだからネットでも新聞でもどこでもいいから議論を盛り上げたらよかったんですよね。大々的なキャンペーンでも張って。

で、これが、

「やはり先進国としては子どもの貧困への対策が極めて貧弱と言わざるを得ない」

「これは再配分がうまくいっていないということではないか」

「異常に高額な学校教育費が問題ではないか。ヨーロッパのように無償化すべきでなはいか」

などと、発展的な議論に向かえばいいんです。

しかし。日本の場合は必ずここで変なのが割り込んできちゃうんです。

「日本に貧困などない。仮にあったとしても日本なら自分の力で抜け出せるはず。実際に自分は貧しい家の生まれだったが自力で這い上がった」

みたいな、議論と関係ない個人的な体験を語りだす人が、必ず登場します。

そして、実に無意味な「貧乏合戦」が始まってしまうんですよね。

「自分も若い頃に苦労した。1日16時間働いた。お前もやれ。甘えるな」

奨学金を借りて学校に通ったが、自力で返済した。そんなことはあたりまえ。甘えるな」

「1日1000円もあれば暮らせる。甘えるな」

とか。あとは自分の経験をベースにしているかどうかは関係なしに、よくわからんアドバイスを始める連中ですね。

定時制高校に転校して働きながら勉強しろ」

「そもそも義務教育は中学校までなんだから、学校を辞めて就職しろ」

「世界にはもっと貧しい国がたくさんある。何を甘えているのか」

みたいな、しまいには、

 「日本は世界中から尊敬される世界一豊かな超一等国。日本に生まれたというだけで世界中の人々から羨ましがられるくらい幸せなことなのに、社会に文句を言うとは何様のつもりだ、ふざけるな。恥を知れ反日左翼め!!」

とかね。とかく他人の足を引っ張り合い続けていないと気がすまない習性がある人たちなので、もう想像を絶する執念をもって「社会に物を申す奴なんぞ許さない。絶対に引きずり落としてやるぞ」とやるわけです。なのでどれほど時間が経っても議論は発展しないし、スパイラル的な底辺への引きずり合いが続くばかりなのでした。

冒頭に言ったように、わたしも高等教育を受けるために若干の苦労をしているわけですが、だからと言って「だれでもフルタイムの大学生活が送れると思うな! 自分は働きながら大学に行った、甘えるな!」みたいな発想はまったくありません。だいたいそんな意味不明な説教をしても誰の得にもならないどころか、弱者を一層追い詰めて社会の貧困化に手を貸すだけなのはあきらかじゃないですか。

もちろん貧困以外のあらゆる社会問題に対しても同様の現象が発生します。たとえば「新人社員がとんでもない過重労働を強いられて精神を病んで自ら命を絶ってしまった」という悲劇が起こっても、

「新人が月200時間程度の残業をするのはあたりまえ。文句を言うのは甘え」

「自分は残業月300時間超の激務だったがそれを乗り越えて今がある」

「いや残業300時間程度で激務というのは甘え。自分はぶっ倒れる寸前の350くらいはこなした」

「350程度でぶっ倒れるのは甘え。自分の場合は……」

みたいな不毛な残業自慢合戦が始まって、「いや労働環境そのものを改善せねば」という議論には永遠にたどり着かないという。

まあよく知らんけどそういう国なんだからしょうがないんですかね。産業構造や人口バランスなどを見てもどう考えても日本が復活することはありえないので、「日本はすでに死んでいる」って宣言しちゃってもいいと思います。そろそろ例の「外国人に無理やり『日本SUGEEE!!!』とか言わせて悦に入るテレビ番組」を作っている余裕もなくなってくるんじゃないかなあ。