経済成長は必要なのか
2011年3月1日
チーフエコノミスト 杉浦哲郎
経済成長の条件
経済成長は、いつでもどこでも、大きなテーマだ。
「一国の経済が長期的に成長・発展していくための条件は何か?」という問いに対して、経済学者はこれまで、さまざまな考え方を提示してきた。物的・人的資本の蓄積、技術進歩、国際貿易・投資は、経済成長の基本的な要素と考えられているし、それらの要素を経済成長に結実させる環境としての制度(例えば財産権の確立)や安定した社会構造の重要性も指摘されている(注1)。また、技術を応用、拡張し、それを金融面から支える効率的な市場や、市場における十分な情報アベイラビリティーの必要性も重要である(注2)。
経済成長は、当面の差し迫った課題でもある。
米国は、景気回復が進み株価が上昇してきたものの、雇用の回復はきわめて緩慢なものにとどまっている。失業率を引き下げ、雇用不安を和らげるためには、十分な経済成長が必要だが、一方で、失業の長期化に伴うスキルの劣化や、金融仲介機能の低下などから、潜在成長率が低下している懸念もある。
日本でも、いわゆる「失われた20年」を通じて、内需の成長力が低下してきている。その背景には、人口や労働力の減少があり、また新興国の台頭に伴う競争力の低下や国内産業の空洞化などがある。実際、1980年代に年平均5%拡大していた実質国内民需は、2000年代に入るとほとんど伸びなくなった(2000~09年度は平均0.1%)。
成長至上主義への批判
一方で、これ以上日本経済の成長を求めるべきではないという主張も存在する。
彼らは、米国金融危機は住宅資産価値の増大という過剰な冨を求めた結果であり、その根底に経済成長が豊かさをもたらす最も有効な処方箋であるという考えがあったのだとすれば、経済成長を追求することこそが国民生活を破壊するのではないか、と考える(注3)。
また、グローバル競争に直面する中で、経済成長を実現するために市場競争を追求してきたことが、格差や貧困、社会の荒廃を引き起こし、さらに経済成長が環境破壊をもたらし、経済や国民生活の持続性を毀損したのだとすれば、これ以上経済成長を求めることは間違っているという議論も、よく耳にする。
確かに、実力以上の経済成長を求め、不適切な政策を遂行したことが、経済を歪め、景気停滞や国民生活の混乱を招いた経験を、われわれは数多く見てきた。
米国では2000年代以降、経済成長が鈍化する中で、ブッシュ政権は大規模な所得税減税によって景気を支えようとし、またデフレを恐れた連邦準備制度理事会(FRB)は、グリーンスパン前議長の下で極めて緩和的な金融政策を行った。それが、財政収支を急速に悪化させ、また住宅バブルの原因となった。また、シカゴ大学のラグラム・ラジャン教授は、拡大する所得格差を埋め合わせるために、持ち家促進策や低所得層向け住宅ローンの拡充を推進したことが、金融危機の背景になったという(注4)。
日本でも、実力に比べ過大な経済成長を追い求めてきたことが、財政赤字を膨張させ、また生産性を停滞させてきたのかもしれない。高度経済成長の到来を予測した下村治氏(池田勇人元首相の経済ブレーン)は、73年の第一次石油ショック後、一転して「ゼロ成長論」を唱えた。その背景には、高度成長を支えた国内均衡と国際均衡の安定的な実現という条件が、原油価格の高騰と供給制約によって失われた、という判断があった(注5)。
石油ショックによって、ゼロ成長が不可避となったかどうかは判断が分かれる。しかし、80年代後半の不動産バブルとその崩壊が示すように、安定的な均衡が失われ、経済成長の実力が低下したにもかかわらず、財政政策や金融政策、産業政策、為替政策などを通して、実力以上の経済成長を維持しようとしたことが、その後の日本経済の様々な歪みや困難をもたらす遠因のひとつとなった可能性を否定することはできない。
それでも経済成長は必要だ
以上のような議論が一定の説得力を有することは認めるが、「それでも経済成長は必要だ」と筆者は考える。それは、経済が成長しない状況下で何が起きるかを考えると、よくわかる。
第一に、ゼロ成長下でどのようにして、働く意欲と能力を有する労働者が十分な所得を得られる雇用機会が作り出されるのだろうか。
これまで日本は経済停滞やグローバル競争激化のツケを、労働者とりわけ若年層に負担させてきた。一人当たり賃金は、97年度から2009年度にかけて、12.4%も下がった。失業率は、90年の2.1%から2010年には5.1%へと上昇したが、とりわけ30歳代前半までの若年層における上昇が目立つ(図表)。また、就職氷河期に運悪く卒業を迎えた学生の中には、正社員としての職が得られず、非正規社員として社会に出て、現在に至るまでその状態が続いている者も少なくない。その結果、雇用者の所得は低迷し、正社員としての雇用機会も縮小しつつある。
経済が成長を止めれば、雇用や所得の伸びはさらに低下し、非正規社員はもっと増え、ジョブ・セキュリティーは劣化し続けることになる。そうした中で、労働者のスキルの継承や向上の遅れに伴う成長力のさらなる低下、家族形成の困難化による社会の不安定化や一段の少子化、貧困率の上昇やそれに伴う社会保障支出の増大など、さまざまな問題が生じる。
第二に、経済が成長を止めても、少子高齢化は急速に進み、社会保障給付も増大し続けるが、その負担は誰がどのようにして負うのだろうか。
厚生労働省「社会保障の給付と負担の見通し」(2006年5月)によれば、年金・医療・介護を含む社会保障給付総額は、2006年度の90兆円から2025年度には141兆円にまで膨らむという。社会保障制度が、現在のような賦課方式を主体とする限り、それを支えるのは、主として現役世代が払い込む保険料や、国民が負担する税金である。少子化が進む中で、また雇用・所得が低迷する中で、膨張する社会保障負担を現役世代に依存し続けることには、現在でも無理があるし、経済が成長しないとなれば、その負担はさらに高まることになる。
第三に、グローバルな視点で考えると、成長を止めた国に誰が興味を示すだろうか。
GDP規模でみれば、日本は中国に抜かれ、世界第3位となった。「GDPの規模そのものにはさしたる意味はない、重要なのは一人当たりGDPに示される国民の豊かさだ」という議論もあり(注6)、それは決して間違ってはいないが、それでもGDP規模でみた日本の相対的地位が低下していることが持つ含意は決して小さくはない。企業のグローバル戦略は、成長する経済大国・中国を向いており、日本企業も、成長を止めた日本市場から中国をはじめとする新興国に拠点を移している。
世界における中国の存在感も急速に高まっている。対外不均衡是正や為替レート調整は、中国抜きでは政策協調が成り立たず、また、国際通貨体制再構築の議論も、人民元の役割に関心が集まる。それと反比例して、日本の存在感は急速に薄れている。
敗北主義はいらない
「日本に経済成長はいらない」という議論に加えて、最近は「日本経済はもう成長できない」という主張も勢いを得ている(注7)。 その判断の主たる論拠は、日本が人口・労働力減少時代に入っており、生産性上昇ではそれを補うことができない、という点にある。
しかし、高度成長期において10%成長を可能にした原動力は民間設備投資の拡大と技術革新であり、人口・労働力の増加であったわけではないし(注8)、それ以降の成長率の低下も、付加価値生産性上昇率が低下したことの寄与が大きかった、というのが客観的事実である。
そして、詳細は別稿に譲るが、規制緩和や市場競争の促進、硬直的な労働市場の改革や市場慣行の見直しを通じて、中小企業や労働者、地域の創造性を生かすことができれば、生産性の高まりを通じて、経済成長率を引き上げることは十分可能である(注9)。
経済成長のメカニズムは複雑である。多くのアフリカ諸国を見れば明らかなように、人口や天然資源の豊富さが、経済成長を約束しているわけではない。また、一部が主張するような政府の強い関与(例えば、成長産業の支援や官民一体となったインフラ輸出)や、積極的な金融緩和によって、経済全体の成長力が高まるとは限らない。
しかし、だからといって成長をあきらめる必要はなく、また人口・労働力の減少という運命論を振りかざすのも間違っている。日本の強みである人的・物的・知的資源を活かせば、経済成長は十分可能であることをあらためて強調したい。
- 注1:エルハナン・ヘルプマン『経済成長のミステリー』(大住圭介、池下研一郎、野田英雄、伊ヶ崎大理訳)九州大学出版会、2009年
- 注2:ジェフ・マドリック『経済はどうすれば成長するか』(上野正安訳)シュプリンガー・フェアラーク東京、2003年
- 注3:平川克美『経済成長という病 退化に生きる、我ら』講談社現代新書、2009年
- 注4:ラグラム・ラジャン『フォールト・ラインズ 「大断層」が金融危機を再び招く』(伏見威蕃、月沢李歌子訳)新潮社、2011年
- 注5:下村治『日本経済の節度』東洋経済新報社、1981年
- 注6:小峰隆夫「このままでは日本人の所得レベルは下がってしまう〜GDP日中逆転を期に『一人当たり』で物事を考えよう」日経ビジネスオンライン(日経BP社)、2011年2月23日
- 注7:藻谷浩介『デフレの正体―経済は「人口の波」で動く』角川書店、2010年
- 注8:吉川洋『高度成長—日本を変えた6000日』読売新聞社、1997年
香西泰『高度成長の時代—現代日本経済史ノート』日経ビジネス人文庫(日本経済新聞社)、2001年
下村治『日本経済成長論』中公クラシックス(中央公論新社)、2009年 - 注9:杉浦哲郎「人口減少がすべてではない」みずほリサーチ(みずほ総合研究所)、2011年3月号