少しだけネタバレ注意かも?
ここ数日、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」に出てきたみくりちゃんの「愛情の搾取」発言について考えていました。
ちょっとネタばれになっちゃうかもしれませんが、原作のみくりちゃんは愛情の搾取について以下のような言い方をしています。
平匡さんは一度は「このまま有償で」と納得するのですが、すぐに発言を翻します。
引用元:「逃げるは恥だが役に立つ(6)」
※私のマンガ引用に対する考えはこちら→【逃げるは恥だが役に立つ】原作のこのシーンが見たかった! - ひとさじのブログ
金銭的な価値のある行為が、「愛によって繋がる関係」になった途端無償になる。
「愛があるなら対価がなくても頑張れるよね?」という愛情の搾取をこのマンガ/ドラマは取り上げています。
これまでのドラマは「世界の中心が愛で、愛こそが真実であり正義である」というような描き方も多かったですが、日本のドラマもちょっと変わってきているのかもしれません。
だからこそ私は、「「ステレオタイプの愛」に虐げられている愛についてみんなで考えようよ」というこの物語のメッセージについて真剣に向き合いたいと思いました。
逃げ恥の中でも、ステレオタイプの愛に虐げられている愛について、同性愛、釣り合わない愛、年の差の愛などが取り上げられていますよね。
「愛情の搾取に反対します」と発言したみくりちゃんが虐げられているのは、「無償の愛、自己犠牲の愛を是としない愛」です。
愛情=非効率の図式
みくりちゃんは平匡さんを好きです。でもそれは「無償の愛、自己犠牲の愛」というステレオタイプな愛ではありません。一方、「愛があるなら対価がなくても頑張れる」というステレオタイプの愛しか知らない平匡さんは、それ故にみくりちゃんの愛を疑います。
そればかりではありません。愛を無償と考える人は効率についても鈍感になりがちです。無償のものに対して人は効率を求めないからです。
「煮干しから出汁をとった味噌汁じゃないと愛情を感じない」といった発言をする人は、手作りや時間がかかっているものにこそ愛情が込められていると考えています。それは突き詰めれば「非効率であることこそが愛情」という認識なのではないでしょうか。
効率化の極みにあるコンビニ弁当にだって、開発部や品質管理部の人たちの愛が込められてると私は思うんですけどね。
有償の対価として非効率を求めるならまだしも、無償でその非効率を望むというのは「愛情」を笠に着た搾取に他ならないわけです。
これまで効率的で生産的な二人の関係を着実に築き上げてきた平匡さんも、愛という感情が介在した途端、この「非効率こそが愛情」という錯覚に陥るのではないかという気がしてなりません。
「人の生産性を搾取する愛」、そこに気づいて堂々と反対したみくりちゃんエライ!
愛は異性間のもの。
愛は若い人のもの。
愛は神聖なもの。
愛は対価を求めないもの。
愛は結婚によって証明されるもの。
愛はたくさんのステレオタイプに塗れています。
その裏でたくさんの愛が存在することを許されず殺されているのだと考えると、ステレオタイプ化された愛がいかに害であるか考えさせられますね。
「このステレオタイプの愛」の弊害が実は社会をも非生産的にしているんじゃないかという点を書きたかったのですが、長くなったのでまた次回に。
↓ドラマが面白いと思った方は原作も面白いので読んでみてください!オススメ!