中核派については、まだまだ思うところあるよなあ。こういうことをちゃんと言える場がないねん。
私の上役とされとるヤツが、私に対して言うことを聞かないからといって恫喝してきたのって何度もあったし、それを問題にしても、その上役は使いやすいのか、トップ2がのうのうと使うとるありさまや。
だから、街宣でそいつがのうのうと
「労働者が主人公の社会を作ろう!」
とか言いながら、内心つゆもそんなことを思わず、私が労働者として問題が起こったときも、そいつ労働者の問題について知らんぷりやねん。
”労働者が主人公”ならば、労働者の問題をすぐに問題にできるよなあ?
すなわち、ようは、街宣で一般大衆に向かってのうのうとウソついとるねん。
私は、そんなあからさまなウソを街宣で言えてまう組織が、日本を取れるはずがないと思う。
いっくら機関紙に書いてあったって、リアルに街宣しとる人間が、「機関紙に書いてあるから」とかいう理由で、自分が実現できるとも思ってないことを滔々と主張できるって、めちゃくちゃおかしいと思う。
本末転倒も甚だしい。
スターリン主義とか血済主義とか帝国主義とか、私のインターネット記載問題もあるのかもやけど、あらゆる問題にしないといけない前提の前に、そもそも、
「約束は守る」
こんな、人間としてアタリマエのことができずに、そんな人間が存在してなんらおかしいと思ってない組織があること、これはものすごく問題や。
だからこそ私は、批判的に「マルクス真理教」と思うてまう。
約束もできず、実現できるとも思うてないならば、もうそれは宗教そのものやないか。
そいつは上司に対して、私といろいろやったことで、”何も問題ありませんでした”と報告を上げて、その報告がさらに上に行って・・・・としとるみたいやけど、
そもそも、”何も問題ありませんでした”という報告自体がおかしい。
人間生きとるんやから、なにがしか問題があるはずで、”何も問題ありませんでした”という報告は、組織がちゃんと行ってないということやねん。
だってそうやろ?
みんな、企業で、”何も問題ありませんでした”と上司が報告するけれども、内心
「なんも問題ないわけではなくて、そう思いたい上司が上に向かって体裁繕っているだけやのに・・・」
って思うとるやろ?
だって、生きてくだけで苦しいのがみんななんやろ?
じゃあ、なんで、体裁ではなくて、現実にあるはずの問題に向き合えんねん?
そいつとか、けっこう大勢が、
「そんな問題は誰もが思っているのだから、オマエだけが声を上げるな」
と言って押しつぶしてしまう。
そう言いつつ、誰かの代弁をしようとしたら、オマエは当事者ではない、と言われてまう。
そうしてけっきょく残るのは、国会で議員が取り上げるかどうかと大差ない問題やねん。
だって、国会で取り上げるか、中核派が取り上げるかの違いでしかないんやから。
そうじゃないやろ。
中野洋さんだって、誰もが些末な問題と思うかもやけど、人間うっかりミスは起こして当然で、
「人間のうっかりミスを個人の問題にするな!」
って言ってはじめて、運転保安闘争になったんやから、些末な問題であっても、それに拘って闘おうとする個人がいるならば、その意志をとことん尊重する、たとえ動労でなくても、そこにこそ闘いができる、
そんな考えを、誰もが持てなければダメで、「そんな意見は小さい」とか判断して抹殺してまえるって、どう考えてもおかしい。
やっぱ、私が直面しとる問題は、コレけっこう上のほうまでいく問題やと思う。
仮に私が中核派の最高責任者としたら、問題を言ってくれたヒトに対して率先してアドバイスすると思うけど、現実にそんなアクションらしきのは感じたことがない。
そういえば、中野洋さんが、労働者を平等に考えろという意味で、「労働者に色をつけるな」と言うたらしいけど、中核派は現実的に真逆や。
だって、動労であればどんな些細なことでも問題として取り上げるけれども、私が日立製作所の問題を持ってきても、そんなのは大した問題じゃないとして抹殺して、それを多くが当たり前のことと思うとるねん。
動労かそうでないかで、労働者に対してものすごく色わけして考えとるのが、中核派の実態やねん。
やっぱ、そんなあたりを含めて、変えていかなアカンところが、いろいろとあり過ぎる。
上層部はそんな問題意識ないんちゃうか。
あったとしても、本気で考えとるとは思えん。
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