東京都議会閉会 自民と公明が対照的な主張

東京都議会閉会 自民と公明が対照的な主張
最終日を迎えた東京都議会の定例会は、豊洲市場の問題を受け小池知事がみずからの給与を削減する条例などが可決・成立した一方、15日の討論では、自民党が小池知事の都政運営を批判したのに対し、公明党は評価するなど、都議会で協調してきた双方が対照的な主張を展開しました。
東京都議会の第4回定例会は最終日の15日、本会議が開かれ、上程された条例案など43の議案の採決が行われました。

議員報酬の削減をめぐる議論で、公明党は14日、議論が進まないのは問題だとして自民党との連携を見直す考えを示したことで対立が表面化し、15日も採決に先立つ討論では双方が対照的な主張を展開しました。

この中で、自民党は「代表質問では、ルールにしたがって必要な質問通告をしたが、答弁調整ができなかった。知事の答弁は極めて不十分であったと言わざるをえず、議会を形骸化するものだ。今、必要なのは、いたずらに都民の不安をあおることやパフォーマンスでなく、地に足の着いた政策を実行することだ」と述べ、小池知事の都政運営を批判しました。

一方、公明党は「小池知事の障害者政策は公明党の主張と合致するものだ」とか、「小池知事が率先して東日本大震災の被災地を支援していることを高く評価する」などとしたうえで、「議会改革も必然であり、議員報酬などの削減による身を切る改革を決意する」と述べ、自民党との違いを強調しました。

そして、豊洲市場の整備費を盛り込んだ中央卸売市場の昨年度の会計決算を認定するかどうかの採決で、自民党は認定に賛成した一方、公明党など残るすべての会派が反対に回り、平成20年度の新銀行東京への追加出資が焦点になった一般会計決算以来、7年ぶりに決算が不認定となりました。都議会最大会派の自民党と第2会派の公明党は、この決算の採決でも賛否の対応が分かれる結果となりました。

本会議ではこのほか、豊洲市場の問題を受け、小池知事がけじめをつけるとしてみずからの給与の5分の1を3か月減額するための条例が全会一致で可決・成立し、これにより、都知事の年間支給額は、都議会議員より300万円余り低い1395万円となります。

小池知事があいさつまわり

都議会の閉会後、小池知事は正副議長や各会派の控え室を訪れ、あいさつしました。

このうち、自民党の控え室に小池知事が訪れると、出迎えた高木啓幹事長ら十数人の都議会議員が、笑顔で「お疲れさまでした」などと小池知事を労いました。一方、小池知事は、深く一礼して、「次回も宜しくお願いします。ありがとうございました」などと答えましたが、終始、表情は固く20秒ほどで控え室をあとにしました。

続いて、小池知事が公明党の控え室を訪れると、会派の議員全員が知事を出迎えました。小池知事は議員一人一人と言葉を交わしながら笑顔で握手をしたあと、記念撮影をしました。また、ほかの会派の控え室でも小池知事は議員と握手したり笑顔で言葉を交わしたり、和やかな雰囲気で10分程のあいさつ回りを終えました。

自民 公明 連携見直しの経緯

公明党が、自民党との連携を見直す考えを示した背景には、議員報酬の削減をめぐる議論が関係しています。

この議論は、8月に就任した小池知事が、身を切る覚悟を示すためとして、みずからの給与などを半減させたことが、1つのきっかけになりました。都知事の年間支給額が、都議会議員の報酬を260万円下回る形となったことで、都議会でも報酬削減に向けた議論が活発になるのかが焦点となっていました。

こうした中、議員報酬の削減案をまとめたのが、都議会第2会派の公明党でした。議員報酬と期末手当を2割削減して知事の給与などを下回る水準にするほか、全国の都道府県で最も高い、月60万円が交付されている政務活動費を月50万円に減額することなどをまとめた提案は、各会派が集まり、議会改革に向けた課題を話し合う検討会で示される見通しでした。

しかし、公明党によりますと、提案が事前に報道されたことで、自民党の議員から「信義が損なわれた」などと反発の声が上がったということです。そして、自民党からは、提案についての修正案を出すか、修正できない場合は、検討会では公明党抜きで議論を進めていく選択肢しかないと伝えられたということです。

これを受け公明党は、議員報酬削減の議論が進まないことは問題だとして独自の改革案について、次の都議会に条例案を提出することを決め、14日、東村邦浩幹事長が「自民党との信義は完全に崩れた」と述べ、これまで協調してきた自民党との連携を見直す考えを示しました。

自民 公明 これまでの協力関係

自民・公明両党は、都議会で長年、協力関係を維持し、平成21年、当時の民主党が第1党となった一時期を除いて都議会で過半数の議席を占めてきました。

両党の関係は、革新都政と呼ばれ、昭和42年から3期続いた美濃部知事時代には公明党が美濃部知事の支援に回ったため、たもとを分かちましたが、その後の昭和54年に誕生した鈴木都政では、再び協力関係を結び、その後、本格化します。青島都政と、これに続く、石原都政の1期目では、都政運営をめぐり知事と一定の距離を置きましたが、2期目以降は、知事与党として存在感を強めます。

特に、平成21年の都議会議員選挙で自民党が第1党の座を当時の民主党に奪われ、公明党と合わせても都議会の過半数を確保できなかった時期では、少数与党となりながらも築地市場の移転問題などで当時の石原知事を支えました。その後、誕生した猪瀬・舛添都政でも自民党と公明党は選挙の際から足並みをそろえて支援に回り、良好な協力関係を築いていました。