みなさん、おはようございます。マイクです。現在午前6時。今日はちょっと早めの投稿です。ちゃんとみんなに読んでもらえるかなあ?
Ok. Shall we start the today's topics?
双極II型障害には現在のところ、「治癒」は難しい。「寛解」が限度です。そういった意味では「不治の病」です。
言葉の定義
ここで「治癒」と「寛解」とはどういう定義なのかをことバンクで調べてみました。
ちゆ【治癒】
( 名 ) スル
病気・けがなどが治ること。 「完全に-する」
この、治るという意味の中には、「再発しない」という意味が含まれているそうです。
それに対して「寛解」という言葉は、
[名](スル)病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。癌(がん)や白血病など、再発の危険性のある難治の病気治療で使われる語。例えば、癌が縮小して症状が改善された状態を部分寛解、癌の症状がなくなり検査の数値も正常を示す状態を完全寛解という。
どうやら違いは「症状の軽減」、「再発の可能性」と「定期的な治療」 が必要か、という点にあるようです。
つまり「治癒」が再発の危険がなく、すべての症状がなくなり、元の健康な体に戻った状態にあるのに対し、「寛解」は再発の危険があるものの、定期的な治療によって社会生活を営むのに支障のない状態、と言えるのではないでしょうか?
ちなみに、双極II型障害は症状がなくなったからといって定期的な治療を受けないと再発率は90%以上、と言われています。「治癒する」という言葉はどこにもありません。
これは双極II型障害に限らず、統合失調症、パーキンソン病、精神科や脳関係以外の領域でも各部のガン、また糖尿病、腎臓疾患などが挙げられます。これらの病気も「寛解」はしても「治癒」は難しいです。一生病気との付き合いが必要となります。
目指すべきところ
ぼくは双極II型障害の宣告を受けた時、最初に主治医に聞いたことは、「治癒するんですか?」ということでした。
しかし残念ながら、この病気は現時点では、「寛解」が限度という答えでした。
中には「治癒しないなら意味がない。」と言って、途中で治療をやめてしまい、ますます病状を悪化させる人がいます。
しかし双極II型障害や統合失調症、がん、糖尿病などの不治の病の場合、それは自殺と等しい行為です。
ぼくの周りにも定期的に医者に通いながら社会生活を送っている人が大勢います。ぼくも含め、症状を薬や検査で抑えつつ社会の一員として責任を負っているのです。
ぼくには養うべき家族がいます。そのためには夢物語のようなことは言ってられません。ぼくが働けなくなることは家族の破滅を意味します。
また、ブログ友達のカコさんのように、腸ろうしながらも家族の母親としての責任を立派に果たしている人もいます。
また、自らも双極II型障害でありながら母親や弟さんの介護をし、その命を支えているはるうさぎさんのような方もいます。
また、若年性パーキンソン病にかかりながらも人生を懸命に生きている明恵さん
そういう人たちにぼくは励まされ続けています。だからぼくは「寛解」は死守すべき「絶対国防圏」なんです。
もちろん、「治癒」したいです。でも現時点ではその方法がない以上、ぼくは「寛解」という妥協してでも、這いつくばってでも、自分の責任を果たさなければならないのです。
「治癒しなければ意味がない」という考えは、なんだかいきなり遠くに霞む島まで泳ぐ、というようなものに思えます。あるのかないのかもわからないゴールなんです。それゆえに今の場所にとどまっているとしたら、それはぼくにとって「座して死を待つ。」ということになります。しかしぼくは前に向かっていつも上を見上げて進まなければならないんです。できることは限られていたとしても。
それが「寛解」するというものではないか?と思っています。
というわけで、ぼくは今日も「寛解」して社会人として、家庭の長として、責任を果たせるといいなあと願っています。
では、また。Have a nice day!