悠木 碧『トコワカノクニ』インタビュー Vol.3 フライングドッグ 音楽プロデューサー・佐藤正和 インタビュー

lis_lisreso_yuki_aoi_01_sy悠木 碧を音楽活動に導いた人物、フライングドッグの音楽プロデューサー・佐藤正和。悠木 碧のソロの音楽活動全般のプロデュースやレコーディング現場のディレクターなど、様々な役割を担い彼女を支え続ける、アーティスト・悠木 碧にとって欠かせない存在だ。
佐藤氏は多くのアーティストやアニメ作品を担当する経験豊かなプロデューサーだが、その彼でも“声のみでつくりあげる”というアイデアを形にすることは容易ではなかったという。

悠木 碧『トコワカノクニ』インタビュー Vol.3では、佐藤正和氏に作品の制作過程について、またダミーヘッドマイクなどをボーカルのレコーディングに使用した音楽現場では“特殊な”レコーディング方法について、聞いてみる。

■悠木 碧『トコワカノクニ』インタビュー Vol.1 悠木 碧 インタビューはこちら
■悠木 碧『トコワカノクニ』インタビュー Vol.2 作詞家・藤林聖子 インタビューはこちら
■悠木 碧『トコワカノクニ』の作品レビューこちら

Interview & Text By 高橋 敦
At VICTOR STUDIO

 

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■01|私の認識だと、このプロジェクトの「プロデューサー」は悠木さんなんです(笑)

──佐藤さんは悠木 碧さんの音楽活動の始まりからずっと担当をされてきたんですよね?

佐藤正和 私が悠木さんに出会ったのは、彼女がまだ高校生の頃でした。そのとき芝居をしている姿に惚れ込んでしまって……。「こういう芝居をする人が音楽活動をしたらどうなるんだろう?」という期待と同時に「自分だったらどのようにプロデュースするだろうか」と考え、イメージのようなものも浮かんできたんです。それで音楽活動を一緒にやりませんかと声をかけさせていただきました。

──悠木さんは佐藤さんを「プロデューサー」と呼んでいらっしゃいました。しかし実際に担っている役割はそのひと言で表わせる範囲を超えてさらに広いようです。

佐藤 私の認識だと、このプロジェクトの「プロデューサー」は悠木さんなんです(笑)。どちらかというと悠木さんのセルフ・プロデュース作品をお手伝いをしているというイメージなんです。悠木さんの思い描く世界を具現化することがこのプロジェクトの根幹で、私が受け持つどの役割もそのためにあります。

──その役割が多岐に渡るわけですね。

佐藤 実際に何をやっているかというと、基本、悠木さんと音楽性や世界観、テーマを相談したうえで、音楽活動の計画(音楽商品や映像商品)を決めて、コンサートなどの音楽活動企画全般を考え、演出プランを演出家と相談をしたりもします。大半がCDなどの音楽作品や映像作品のビジュアル・レコーディングに携わる各スタッフ、作詞家、作曲家、編曲家の方々をキャスティングしていきます。キャスティングの見通しが立つと具体的に1曲ずつ楽曲の制作に入っていきます。作詞家や作曲家、編曲家の方とより深く方向性を相談して行くんです。楽曲が固まってくると、スタジオとレコーディングのスケジュールを調整します。実際のレコーディングでは、楽曲の方向性や、歌唱のディレクションをします。その後、作品になるまでにいくつかの工程の確認をして、最終的にはCDや映像商品として皆様にお届けするための工程をします。音楽の制作とは別のラインで、CDのブックレット周りの方向性をデザイナーと相談し、撮影スケジュールや衣装などについて相談をしていきます。こうして、様々な工程があり、その時の現場で取り仕切る人がいるので、私の役割も変わるんです。なので、私自身は呼ばれ方へのこだわりはないんですよね。ですので、悠木さんが「プロデューサー」というならそれに合わせていただいて私はまったく問題ないです(笑)。

──「企画全般を考えて」というのは、今回の『トコワカノクニ』においてはまさに“声のみでつくりあげる”というそこかと思います。そのアイデアはどこから来たのでしょうか?

佐藤 デビュー・ミニアルバム『プティパ』の制作時、歌のレコーディングをする前に、オケに合わせて悠木さんに歌詞を朗読してもらったんです。言葉の温度感や感情を把握して、それを歌としてどう表現するかの方向性を確認するためにです。この時の悠木さんの表現が凄まじかったんです。この“声”だけで表現する作品がなにか作れないだろうか?と考え始めたのが、最初かと思います。それからしばらくして、悠木さんも「声優だからこそ、つくることができる音楽」が出来ないかと同じようなことを考えていたようで、企画としてはかなり前から準備を始めていました。

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デビュー・ミニ・アルバム『プティパ』(2012.03.28)

──悠木さんからも「発想は前々から」とお聞きしていましたが、デビュー作の制作中からとは意外でした。

佐藤 具体的な形にするまでに何年もかかってしまったんです(笑)。声の表現自体、多様性があるので、いくつか悠木さん自身には内緒で、デモ曲をトライしてみたりしていたんです。「悠木 碧」が表現する声だけの作品は、単なる声を紡ぐだけはない。悠木さんだからこそ企画だと確信を得られたのは、前作『イシュメル』の制作も佳境という頃でした。

──その『イシュメル』のリリース・イベントで悠木さんからファンに向けて、「声だけの作品ってどうかな?」というお話をされたそうですね。

佐藤 実はその時点でデモ曲も出来てきていて、悠木さんもそれを聴いていたんです。お互い温めていた企画の完成形が見えてきたからこそ、ファンの方に向けて言葉にできたのだと思います。

 

■02|悠木さんの作品の制作では、必ず誰かが突破口を開いてくれるんですよ

──それまで作業は順調に進んでいたのですか?

佐藤 いえ、具体的に進め始められるまでの模索期間が長かったんです。作曲家さんたちに「声だけの曲を作ってみてくれませんか」とお願いしたのなんて、2ndミニアルバム『メリバ』の制作と同時期ですから。

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1stフルアルバム『イシュメル』(2015.02.11

──『メリバ』は2013年2月、『イシュメル』は2015年2月のリリースです。模索期間から『トコワカノクニ』が完成するまで3年以上かかっているわけですね。

佐藤 その間、作曲家さんからいろいろな曲を返していただいてはいたのですが、私のイメージや、悠木さんの世界観となかなか重ならなかったんです。声の役者は性別も問わずどんな人間にもなれるし、人じゃないものにだってなれる。その強みを様々な要素とともにバランスを保って、空間全部が「悠木 碧」で埋まったらファンの方々も喜んでくれるんじゃないか。私が思い描いていたのはそういうイメージでした。

──なるほど、そうなのですね。

佐藤 そのコンセプトは、1stコンサート『プルミエ!』の企画の根底とも同じなんです。舞浜アンフィシアターのステージ、あの空間を「悠木 碧」の世界で満たしたいというのと全く変わらない。コンサートは視覚で、今回は聴覚で体感して欲しかったんです。

──だがそのイメージを形にしてくれる曲が見つからない。その状況から確信を得られたのには、何かきっかけがあったのですか?

佐藤 作曲家のinktransさんと出会ったことですね。そのことによってプロジェクトが具体的に進み出しました。

──今作に収録されている「サンクチュアリ」「鍵穴ラボ」の作曲家さんですね。“悠木 碧の声だけの音楽”というテーマにinktransさんが返してきてくれた曲が、遂に佐藤さんのイメージに合致するものだったということですね。

佐藤 inktransさんとの出会いは、実は全く別のルートでした。inktransさんがフライングドッグ・オーディションの作曲家部門に応募してくださった楽曲を聴いたとき、私の中で悠木さんの世界観とリンクしたんです。それで連絡を取らせていただいて、“悠木 碧の声だけの音楽”のデモ曲の制作をお願いしました。

──その出会いが長い模索からの突破口になったのですね。

佐藤 悠木さんの作品制作では、必ず誰かが突破口を開いてくれるんですよ。今回はinktransさん、そして、リードトラックとなる「レゼトワール」を生み出してくれたKidlitさん。この2人との出会いは大きかったですね。過去にも『プティパ』では、今作でも「アイオイアオオイ」「マシュバルーン」「マシロキマボロシ」を提供していただいたbermei.inazawaさん、『メリバ』では新居昭乃さん、『イシュメル』では今作でもすべての作詞をお願いしている藤林聖子さんや辻林美穂さんが突破口を開いてくれました。悠木さんはそういう出会いにとても恵まれているんです。

──その出会いは探し回って見つけたというより、偶然というかどこか運命的なものを感じます。

佐藤 そうなんです。何かに導かれるようにして……人の縁とか出会いって本当に不思議だなって思いました。

 

■03|読み解いて意味を理解するまで結構時間がかかりましたね(笑)

──突破口を得て、イメージに重なる曲が集まってきました。次はそれらをひとつの作品としてどのように構成していくかになるかと思います。悠木さんからも聞かせていただいたのですが、“プチアルバム”であることがポイントのようですね。

佐藤 はい。声という楽器の情報量はとてつもなく多いんです。音程の高さや伸ばす長さだけではなく、言葉の生み出された瞬間から消える瞬間はもちろん、生み出す手前の呼吸や消えた後の余韻、母音と子音、本当にいろいろな要素があります。先ほどの歌詞を朗読してもらったという話で挙げた、温度感や感情もそうです。このプチアルバムの再生時間の数字だけを見ると短いとお思いになるかもしれません。でも実際に作品を体感していただければおわかりになると思いますが、時間を盗むと言いますか、ちょうどよいバランスになるのはこの長さだったんです。

──たしかに私も聴き終えてから時計を見たら、この作品の世界に引き込まれていた間の体感時間と、現実に過ぎていた時間の違いに驚きました(笑)。

佐藤 そう感じていただけたなら狙い通りです(笑)。

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『トコワカノクニ』初回限定盤ジャケット

──さて曲が揃いプチアルバムとして構成も組み立てられ、悠木さんのイメージを藤林さんがより明確に具現化した歌詞も出来上がってきました。いよいよ、それを形にするレコーディング以降の工程に入りますね。

佐藤 悠木さんの描いた、この作品のキーキャラクターである「キメラ」の完成系のイラストを見せてもらってイメージをさらに共有したり、そういった過程も経てのレコーディングですね。レコーディング現場では作曲家さんやスタッフもそのイラストを見て、イメージを膨らませています。

──イラストによってイメージがさらに広がり曲が完成形へと向かっていく、印象的なレコーディング風景ですね。

佐藤 デビュー前の準備期間に、悠木さんが「こういう音楽がしたいです」って持ってきたものがありまして、音楽作品などではなく、一枚のフォトコラージュだったんです。あれには初めびっくりしました。読み解いて意味を理解するまで結構時間がかかりましたね(笑)。でもそれからは、「こういう絵本があるんだけどどうかな?」「この絵本知ってます!私も大好きです!」といった感じにイメージの共有をすることがすんなりとできるようになりました。

 

■04|「鶴の機織り」みたいな作業なので、実際に何をしているかは悠木さんが見たら驚くでしょうね(笑)

──自身の思い描くイメージをビジュアルという手段を用いて伝える、悠木さんならではの創作方法ですね。その悠木さんの独特な世界観を音像化するにあたって、レコーディングもまた極めて特殊な手法を用いて行なわれたとお伺いしましたが?

佐藤 そうですね。今回はいろいろなところで特殊な手法を使っています。悠木さんの歌や声のレコーディングにも様々な工夫を凝らしましたし、その後の工程も、まず5.1chサラウンドにトラックダウンしたうえでそれを再生、Neumann(ノイマン)のダミーヘッドマイクでライブ収録してステレオ2Mixにするという手法を採用しました。

──まず2Mixを作る、そしてそれとは別に5.1chのサラウンドを作る、ではなくて、5.1chで録音した音源を2Mixに収録するというのは、非常にめずらしい手法です。その狙いとは一体何でしょうか?

佐藤 空間のすべてを悠木さんの声で満たし、全方位で悠木さんが歌い、縦横無尽に歌声が回るようにしたい。そのイメージに合致したのが映画などで使用されているサラウンドという方式でした。また今回はすべての音が声のみですので、音の周波数帯域が狭い範囲に固まって、お互いを埋もれさせてしまう懸念もありました。しかしながら、サラウンドの広い空間を使って音を配置することにより、それを回避することができました。

通常ジャケット

『トコワカノクニ』通常盤ジャケット

──そのイメージを形にするトラックダウンの作業を、エンジニアの方と佐藤さんとで行なったのですね。

佐藤 今回この企画はすべて、ステレオもサラウンドもともに、ビクタースタジオのエンジニア・高須寛光さんと進めました。彼は最近だと、坂本真綾さんや『マクロスΔ』、May’nさん、下地紫野さん、Rhodanthe*の作品も担当しています。高須さんとはここ数年様々な楽曲でお世話になっています。特にトラックダウンのイメージが繊細さとダイナミックさを合わせ持っていて、私が思い描く音像以上に素敵に仕上げてくれるんです。その工程は「鶴の機織り」みたいな作業なので、実際に何をしているかは悠木さんが見たら驚くでしょうね(笑)。

 

■05|ちょっとおかしいというか、やりすぎだという自覚はあるんです(笑)

──そのトラックダウンで構築した5.1chサラウンドの空間を生かして2Mixを作るために選択したのが、ダミーヘッドマイクによる立体的な録音方法、バイノーラル録音だということですね。

佐藤 そうなんです。5.1chに調整をした音源をスタジオで鳴らしてダミーヘッドマイクを使って、ライブ収録したと考えて頂ければと思います。スタジオのエンジニアが座る席にダミーヘッドマイクを設置し、部屋の響きも合わせて、ライブレコーディングするので、壁・床の反響などの調整には時間を要しました。

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──本当に凝りに凝った作業です。改めて確認させていただくのですが、その時点ではサラウンド音源はあくまでも、2Mixの制作プロセスの一環として作られたものだったんですよね?

佐藤 そうです。当初の予定としては、収録しない予定でした。折角なので、初回限定盤の特典DVDに5.1chサラウンド音源を入れることにしました。それでそのようにして2Mixにトラックダウンした音源をさらにマスタリングでは……

──まだ何か特別なことがあるのですか?(笑)。

佐藤 レコーディングもトラックダウンも96kHz/32bitのデジタル・フォーマットで進めていたのですが、こちらを一度マスタリングの過程でアナログのラッカー盤にカッティングをして、それをもう一度収録しなおしているんです。

──いやもう笑うしかないくらい、こちらの想像の範疇を超えたものが出てきてしまいましたよ!(笑)。

佐藤 ちょっとおかしいというか、やりすぎだという自覚はあるんです(笑)。アナログ盤のまろやかな感触がほしかったので、CDの音源のマスタリングはJVCマスタリングセンターの小鐵 徹さんにお願いしました。アナログ盤に溝を刻むカッティングをコンピューター制御ではなくて、耳で聴きながら完全に手動でされる方なんです。おそらく日本でこのようなことができるエンジニアは小鐵さん以外存じ上げないので、人間国宝級な方だと私は感じています。あとアナログ盤は外周部の方が音が良いそうなので、盤の枚数を増やして、なるべく外周部をのみを使ってカッティングをしてもらいました。

mastering──そのラッカー盤の音源を再び収録したものが2Mixのマスターなんですか?

佐藤 CDに収録されているマスターはそれになります。その前の段階で作った96kHz/24bitの2Mixは、その時点でのいわゆるハイレゾ・マスターと言えますね。

──それにしても5.1chサラウンドから2Mixという流れだけでも驚愕だったのに、アナログラッカー盤まで登場してくるとは……絶句してしまいそうです(笑)。

佐藤 実は両方に共通して影響している要素があるんです。まずは先ほどお話ししたように、今回は「悠木 碧」一人の声だけの作品なので、鳴らせる楽器が一つなんです。なので、すべての音像が悠木さんが声で出せる周波数帯域の中に固まってしまう。それがトラックダウンを難しくする要因だったのですけれど、それを回避する意味でサラウンドが有効でした。

──……あ!その周波数帯域が固まっているという要素が、それをアナログ盤にするときにも関わってくるのですね?

佐藤 ええ。アナログ盤の特性としても、一回アナログにすることでまろやかな質感だけではなく、そのほか帯域への影響などいろいろなメリットを得ることができました。

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■06|「レゼトワール」のシミュレーション・レコーディングには3日を費やしています

──衝撃的な種明かしの連続です(笑)。では続いてレコーディングでのトピックなどを聞かせていただけますか?

佐藤 悠木さんの歌、声のレコーディングでも、通常使用するマイクに加えて、他のマイクと使い分けてダミーヘッドマイクも使いました。この作品のレコーディングを始める少し前に別の現場でダミーヘッドマイクが話題になっていて、あるレコーディングでアコースティック楽器の収録に使ってみたんです。そのときによい感触を得られたというのもありまして。

──ダミーヘッドマイクの周りを悠木さんが動きながら録音した箇所もあったと聞きました。

佐藤 そういった使い方も含めてダミーヘッドマイクを特に多く使ったのは、今作で最初に録音した曲でもある「レゼトワール」ですね。ダミーヘッドマイクを中心に置いてその周囲を区分けした《バイノーラルの魔法陣》を組んだ絨毯というものがありまして……図版があるのでお見せしますね。

Print──こういうことなんですね。悠木さんから《魔法陣》とお聞きしてましたが、実は悠木さん独特の表現なのかなと思っていました。ですがこれはたしかに《魔法陣》ですね(笑)。

佐藤 はい(笑)。ダミーヘッドマイクに近い周囲をA、遠い周囲をBとして、それぞれを8方向に区切り、その16箇所に1Aから8Bまでの番号を振ってあります。これを敷いた上で悠木さんには「5Aから5Bにかけて後ろに下がりながら歌ってください」のように伝えるわけです。

──こう動いてもらえばイメージ通りのこういう音を録音できるというのは、これまでの経験から把握しているものなのですか?

佐藤 それもありますが、悠木さんのレコーディングに備えて事前に、別の歌い手の方にご協力をいただいて、ダミーヘッドマイクとの距離感や方向を決めておくためのシミュレーションのレコーディングを行ないました。椅子の上に立ってもらったり、上下に動いてもらったり……。なので、どのように動いてもらえれば、こちらのイメージに近いサウンドで録れるのかを、確実に把握しておきたかったんです。ですので「レゼトワール」のシミュレーション・レコーディングには3日を費やしています。

──悠木さんがレコーディングするときには、歌うこと、声で演じることに集中してもらえる環境を用意しておきたいということでしょうか?

佐藤 ええ。録音を「レゼトワール」からにしたのも、特に編成が大きく音の配置も複雑な曲だからです。また最初にこれをしっかり作ることで、以降の録音に向けてイメージの共有・蓄積を得られるというのもありました。加えていちばん大変な曲をいちばん先に録る方が、悠木さんの集中力を高め、維持していくうえでもよいと判断したんです。

──その準備や配慮のおかげで、悠木さんのレコーディングはスムーズに進められたわけですね。

佐藤 それでもこの1曲の録音に丸々2日かかりまして、「悠木 碧」レコーディング史上最長です。パート数は20パートくらいなのですが、これをいくつも重ねていくんです。これが譜面なんですけど……

──いわゆる“ブラック・ページ”、音符で真っ黒な譜面ですね。

佐藤 この各パートに対してマイクも、悠木さんがそのときに発する声に合わせてその場で選んでいかなくてはなりません。

──ダミーヘッドマイクならではの移動感などは事前にシミュレートしておけますが、一般的なマイクでレコーディングするパートでの、そのマイクのセレクトはその場でしか行なえないのですね。

佐藤 その日その曲そのパートで悠木さんが発する声にいちばん合うマイクを選びたいんです。このビクタースタジオにあるマイクのうち、イメージに近いものをあらかじめセレクトをすぐできるように準備をしてもらいました。例えばこの曲ではありませんが、普段ボーカルのレコーディングにはあまり使わないROYER(ロイヤー)のリボンマイクがその声にはぴったりだったので、それでレコーディングしたパートもあります。

──それだけの準備をしてなお、2日を要したわけですね。

佐藤 この複雑な曲を2日間レコーディングし続けた、悠木さんの集中力は本当にすごいなと感動しました。

 

■07|アーティストが発するイメージや、感動を届けたくて、夢中になって作っているだけなのだと思います

──このレコーディングで使った手法の中で他に、印象に残っているものはありますか?

佐藤 「アイオイアオオイ」では、STUDER(スチューダー)のオープンリール・テープレコーダーを使いました。テープ独特のノイズ成分や、回り始めのピッチの不安定さがほしかったんです。私はあの不安定さに、何かが生まれる瞬間を感じるんですよね(笑)。その録音したテープをくしゃくしゃにしてからそれを伸ばして再生することで、さらに独特の音にしてあります。

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──当たり前なやり方ではないのにもう、「この人ならそれくらいのこと、ごく自然な感覚でやってしまうんだろう」と当然のことのように思えてきてしまっています(笑)。

佐藤 (笑)。あとビクタースタジオには大変広い空間で、また天井がとても高いスタジオもありまして、その高いところにバルコニーのようなスペースがあるんですが、そこで悠木さんに歌ってもらったりもしています。

──お話をお伺いしていると、いくつもの凝りに凝った作業に対して楽しみながら挑んでいるような、生き生きとした現場の雰囲気が伝わってきます。

佐藤 たしかにそうですね。実際、楽しいんですよ!あれもこれも。「悠木 碧」の世界観を形にしていくのが楽しいからやってるんです。楽しすぎてやりすぎてしまっている面もあるんです(笑)。進めていくうちにエンジニアの高須さんたちからアイデアが出てきたりするので、さらに楽しさが倍になっていきます。

──悠木さんが「わたしのイメージにスタッフさんたちがアイデアを返してきてくれるのがとてもうれしい」としみじみ話していた姿がとても印象的でした。

佐藤 そう言っていただけるとありがたいです!

──アイデアの段階から、レコーディング、そしてマスタリングまで、皆さんが様々な挑戦を楽しんでこの作品が完成したんですね。

佐藤 もちろん自分たちが、ただ楽しみたいだけでは決してなくて、聴いていただく方に、そのアーティストが発するイメージや、感動を届けたくて、夢中になって作っているだけなのだと思います。なので、大変なことは山のようにありますが(笑)、辛いと思ったことはないですね。私は、自分の好きな作品を多くの人に紹介する、そのような仕事がしたくて、ビクターエンタテインメントに営業として入社しました。それが今では作品制作に関わる立場となり、それを完成させることを仕事にしています。でもポジションは変わっても、自分の好きなものを多くの方に届けたいという、その気持ちは全然変わってないんだなと、今日話していて気付きました。これからも、この気持ちを忘れないようにしようと改めて思いました。

 

佐藤正和
東京・青山生まれ。大学卒業後、ビクターエンタテインメント株式会社に入社。札幌地区、東京・渋谷の営業職を経て、2004年よりアニメーションの販売促進部門を担当。2008年より同アニメーションの音楽制作部門、株式会社フライングドッグの音楽制作部に異動。現在、悠木 碧のほか、May’n、野水いおり、Rhodanthe*、下地紫野の各アーティストを担当。

【担当作品】
●『きんいろモザイク』シリーズ
●『ステラのまほう』
●『アクエリオンロゴス』
●『セイクリッドセブン』
●『神様ドォルズ』      ほか

●佐藤正和氏が携わった作品のレビューはこちら

 

通常ジャケット悠木 碧
トコワカノクニ

FlyingDog
2016.12.14

FLAC・WAV 96kHz/24bit

ハイレゾ版はこちら

e-onkyo music
groovers
mora

 収録曲

 1.アイオイアオオイ
   作詞:藤林聖子 作曲・編曲:bermei.inazawa

 2.サンクチュアリ
   作詞:藤林聖子 作曲・編曲:inktrans

 3.マシュバルーン
   作詞:藤林聖子 作曲・編曲:bermei.inazawa

 4.鍵穴ラボ
   作詞:藤林聖子 作曲・編曲:inktrans

 5.レゼトワール
   作詞:藤林聖子 作曲・編曲:kidlit

 6.マシロキマボロシ
   作詞:藤林聖子 作曲・編曲:bermei.inazawa