こんにちは、Shin(@Speedque01)です。2016年12月15日現在、シリアのアレッポで未曾有の虐殺が行われています。
Twitterでは、現在もアレッポにいる人たちの悲痛なメッセージが流れています。
My name is Bana, I'm 7 years old. I am talking to the world now live from East #Aleppo. This is my last moment to either live or die. - Bana
— Bana Alabed (@AlabedBana) 2016年12月13日
私の名前はBanaです。7歳です。現在アレッポから世界に話しかけています。生きるか死ぬかの瀬戸際に立っています。
It's night now but the warplanes still flying over us dropping cluster bombs randomly
— Zouhir_AlShimale (@ZouhirAlShimale) 2016年12月14日
Many death & injuries
No one left#Save_Aleppo#Aleppo
もう夜だが、戦闘機はまだ私たちの上を飛び回り、クラスター爆弾を無作為に落としていく。
多くの死体と怪我人。誰も生きては帰れない。
いったい、アレッポの地で何が起きているのでしょうか。そして、それはなぜ起こってしまったのでしょうか。
立命館大学の末近教授の下記の記事を引用しながら、事態を理解してみようと思います。
2011年:シリア政府に抗議する民主化運動が発端
現在の状況は、シリア政府への国民による民主化運動が発端だったとのこと。
現在のアサド政権の成立は、1970~71年に起こったクーデタにまでさかのぼる。2000年に「先代」ハーフィズの後を襲うかたちで次男のバッシャールが大統領に就任し、実に40年以上にわたってアサド一家による独裁政治が続いていた。市民の不満は、軍や治安部隊、秘密警察によって監視・抑圧されていた。
こうしたなか、2011年3月、「アラブの春」がシリアにも飛び火した。チュニジアとエジプトでの政変を受けて、シリアでもアサド政権に対して市民が政治改革を要求する声を上げたのである。
これに対して、アサド政権は憲法改正など一定の政治改革を行うこと市民の声に応えようとした。しかし、市民による民主化運動が全国規模へと拡大していくなかで、軍・治安部隊を用いてこれを激しく弾圧した。
弾圧を受けた民主化運動のなかから、やがて武器を取る者が現れるようになった。革命闘争の開始である。これを象徴したのが、2011年9月の「自由シリア軍」の結成であり、その後も各地で無数の武装組織が生まれていった。
シリアは現大統領であるアサド氏の一族が独裁を敷いている国であり、なんと40年以上にも渡ってその政権が維持されていたとのこと。さらに、どちらかというと「圧政」に近しいものであったようです。
「軍や治安部隊、秘密警察による監視・抑圧」というのは、第二次世界大戦時代の日本やドイツを彷彿とさせますが、これらがアサド一族の強権のもと、なされていたということでしょう。
2011年3月に「アラブの春(アラブ世界での大規模反政府デモ。2010年のチュニジアのジャスミン革命が発端)」が起こったことにより、シリアでも民主化運動への機運が高まります。
その動きが本格化し、アサド政権に対抗する反政府組織が活動を開始します。
2011年:3つのプレイヤーによる反政府組織支援
いくら民主化への機運が高まったからといっても、普通に考えたら強大な軍事力を有している政府側が、反政府組織を圧倒するというのがシナリオです。しかし、そうはならなかった。
それは、反政府組織を支援する3つのプレイヤーがいたからである、と末近教授は語ります。
なぜ、反体制諸派は政権軍と対峙し続けられたのか。それは、次の3つのプレイヤーが、シリア国外から武器や資金を提供したからであった。
第1に、米国、欧州連合、トルコ、サウジアラビアなどの湾岸産油国である。これらの諸国は、独裁者であるアサド大統領の退陣を求め、反体制諸派をシリアの「正式な代表」として政治的・軍事的に支持した。
第2に、シリア国外で活動してきた反体制派の諸組織である。彼らは、アサド政権の反体制派に対する弾圧や取り締まりを逃れて、数十年にわたって欧州や中東の各国で細々と活動してきた。「アラブの春」は、祖国への帰還と政権奪取のための千載一遇のチャンスであり、国内で蜂起した反体制諸派を支援した。
第3に、過激なイスラーム主義者である。彼らは、独裁政治と社会の「脱イスラーム化」を行ってきた「不義の体制」であるアサド政権を打倒するために、世界中からシリア国内の反体制諸派に合流していった。
この3つのプレイヤーはそれぞれ異なる背景やイデオロギーを有しながらも、「アサド政権の打倒」で奇妙な一致を見せ、シリア国内の反体制諸派の勢力拡大を後押ししたのである。
これは、一見しただけでもだいぶやばそうな布陣ですね・・・。
もともとは民主化を求めて圧政に対抗した反政府組織ですが、アサド政権を快く思わない3つのグループが、反政府組織を支援するようになってしまった。しかも、どこもまったく思想を異とするグループ。
アメリカやEUのようないわゆる西側諸国、シリア国外でずっと活動してきた革命家たち、脱イスラーム化に強く反対する過激なイスラーム主義者・・・。
特に、アメリカやEUと過激なイスラーム主義者が手と手を取り合えるわけはないですよね。完全に反対のイデオロギーを有しているグループです。
ともあれ、3グループが反政府組織を支援した結果、反政府組織は強力になり、アサド政権は簡単には彼らをつぶすことができなくなりました。
2014年:イスラム国(IS)の台頭
そして内戦が泥沼化していく中、国際社会を騒がしているイスラム国までもがこの状況に参入してきます。
長期化する「内戦」で消耗したアサド政権と反体制諸派の間の「漁夫の利」を得るかたちで急速に台頭したのが、「イスラーム国(IS)」であった。
「内戦」による混乱と破壊は、シリアをいわゆる破綻国家の淵へと追いやっていった。中央政府による統治や国民としての一体感が失われていくなかで、国内外から参戦した過激なイスラーム主義者たちの存在感が増していった。当初は「助っ人」であったはずの彼らは、反体制諸派の戦闘能力や組織規模を徐々に凌駕するようになった。
そして、その一部の組織が、破綻国家となったシリアの領土の一部を実効支配するようになり、2014年6月、同国北東部の街ラッカを「首都」とする「国家」の建国を宣言したのである。
もともと「イラクのアルカイダ」として誕生したイスラム国。「イラク・イスラム国」や「カリフ制イスラム国家」の樹立など、一時期急速に勢力を伸ばしました。
しかし、世界各国からの攻撃や経済制裁により一時期は弱体化。次なる寄生先を探していました。
そして、その矛先が向いたのがシリアだったのです。
もともとは民主主義を求める抗議運動だったのが、西欧諸国やISまで含めたカオスなプレイヤーによる代理戦争の色を呈してきたシリア内戦。これが2014年までの話です。
2015年:ロシアによる大規模軍事介入
しかし、まだまだ終わりません。なんとロシアまでもがシリアに大規模な軍事介入を開始します。
ここまで見てきたように、シリア「内戦」は軍事的にも政治的にも膠着が続いてきたが、2015年9月末、それを破るゲームチェンジャーが現れた。ロシアが、アサド政権の正式要請を受けるかたちで、シリアへの大規模な軍事介入を開始したのである。
軍事介入は「対テロ戦争」の名目で進められ、ターゲットはISやアル=カーイダ系のヌスラ戦線に限定するとされた。しかし、実際には、欧米諸国が支援してきた反体制諸派の拠点も空爆の対象にされ、ロシア軍の圧倒的な火力による航空支援を受けたアサド政権の部隊は「失地」を次々に回復していった。
これに対して、欧米諸国をはじめとする反体制諸派の支援国は打つ手を欠き、ロシアの行動を事実上黙認した。
アサド政権がロシアに正式な支援要請を出し、ロシアはそれを受けて大規模な軍事介入を実施。ロシアは「対テロ戦争」という名目を掲げているものの、欧米諸国の息がかかった反体制派も含めて一気に空爆。
そして、ロシアの後押しを得たアサド政権がどんどん勢力を回復、反体制派の支援国はロシアとアサド政権の軍事行動を黙認しているという流れになります。
まさに、現在の世界のメインプレイヤーが一同にシリアに介しており、もはや「内戦」といえるレベルではなくなってしまっています。
2011年から現在まで、世界中を巻き込んだこの騒乱のことを「シリア騒乱」と呼ぶのです。
アレッポでの戦闘がシリア騒乱で最悪のもの
ここまでの理解を元に、アレッポについて解説します。
アレッポはシリア最大の都市であり、ここを支配したほうがこの騒乱の勝者となるといっても過言ではありません。
シリア北部のアレッポ県に属する都市アレッポは、シリア最大の都市でもある。大統領バッシャール・アル=アサド率いるシリア政府軍と自由シリア軍やアル=ヌスラ戦線(アルカイダ系)を中心とする反体制派の間でアレッポの支配をめぐり戦闘が行われている。
アレッポの戦いの行方はシリア騒乱の趨勢を決すると思われているため、ここでの戦闘はシリアで最も激しいものとなっている。激しい戦闘の結果、深刻な人道危機が発生し、市民にも多くの犠牲が生じている。
ここには反体制派が巣くっていましたが、アサド政権とロシア軍の激しい攻撃により、反体制派は白旗を上げました。
内戦が続くシリアの激戦地アレッポから、反体制派が完全に撤退することでアサド政権側と合意しました。これにより、政権軍は最大の都市アレッポを完全に制圧することになります。
2012年に反体制派がアレッポ東部に支配地域を確立して以降、政権軍との間で激しい戦闘が続いてきましたが、反体制派の事実上の降伏で政権軍がアレッポを完全に制圧することになります。
反体制派が撤退した今、アレッポに残っているのは誰でしょう。そう、罪もない民間人たちです。
反体制派が撤退したなら、論理的にはロシアにもアサド政権にもアレッポを攻撃する必要はないはずです。残るは無力な民間人のみなのですから。
しかし、そのような甘い予測は裏切られることとなります。虐殺が始まっている、とニュースは伝えています。
ロシア軍とシリア政府軍の戦闘機は、アレッポの包囲地区へ波状攻撃を行い、密集し崩れ落ちる民間住宅の中で多くの犠牲者が出ている。同地区への攻撃では初めてとなる武器も使用。一連の空爆では地中貫通爆弾(バンカーバスター)と呼ばれる爆弾が19回、クラスター爆弾および白リン弾も約200回使われた。バンカーバスターを使用すると、犠牲者の遺体はがれきの中に埋もれてしまうという。
サレハ氏は「死者と負傷者を合わせると1000人に上る」と訴えている。同氏が主張する犠牲者数を確認することは不可能だが、各国際団体は空爆を非難しており、国連(UN)の潘基文(バン・キムン、Ban Ki-moon)事務総長は戦争犯罪にあたる恐れがあると述べている。
もう決着はついたはずなのに、政府側からの攻撃が止まず、逃げ場のない民間人が虐殺されている。これが、アレッポの虐殺の現状です。
This is why #Syrian #refugees can't just go back to where they came from. #Syria #Aleppo pic.twitter.com/20yy0k8SAO
— Kon Karapanagiotidis (@Kon__K) 2016年12月14日
これが、シリアの難民が彼らの故郷に帰れない理由だ。
Dear world, there's intense bombing right now. Why are you silent? Why? Why? Why? Fear is killing me & my kids. - Fatemah #Aleppo
— Bana Alabed (@AlabedBana) 2016年12月14日
親愛なる世界のみなさま。今、激しい爆撃が行われています。なぜあなたは何も言ってくれないのですか?どうして? どうして? どうして?
恐怖が、私と私の子供たちを、今まさに殺しています。