まぁびっくり、というか、もう呆れを飛び越えてみんな大丈夫か?と心配にすらなっている。

「プロ」
という記事で炎上しおった。毎度毎度、ありがとうございます(笑)。

しかし、そんな大した記事か?
奥先生のファンが怒っているならまだ解るのだが、そうでもないみたい。

みんなにとって江川氏は「敵」であり、そっち側に少しでも利する発言をする者を総攻撃する。
そんな風にしか見えない。

もう一度言うが、そんなに噛みつかなきゃならんような内容か??
だってまともな反論になってないもん。「ヤマカン本気か?」とか「うわっ何これ」とか「頭悪いな」とか、感情的ですらない、感覚的な反応ばかりだもん。
今まで以上に、今回はリアクションが酷い。非論理的。


よしりんと良く比較されるのも不可解。よしりん先生のご意見はもちろん傾聴に値するのだが、僕の意見の真逆って訳でもない。
なんかどちらかを持ち上げたらどちらかが下がる、と思い込んだ、稚拙な比較論にしか見えない。マジ?
よしりんは『君の名は。』褒めてたからってだけでしょ?どうせ。


今回の反応を一通り見て総括するに、とにもかくにも『君の名は。』は褒めないとダメ!それに歯向かう人間は徹底的に叩かなきゃダメ!歯向かった人間を擁護するのもダメ!ってことなのだろう。
そこで思考停止してしまっている。

もっと言うと、もう『君の名は。』自体もどうでも良くなっていて、ネット内の賛成反対の波に乗っていなければ、そこから外れるのは怖い!という強迫観念を感じる。
それくらい、今回の叩きは非論理的で、ちょっと考えれば解るのに、解る気すらない、わざと誤読しているような気さえする。

昨日は「リテラシーの問題」とまとめたが、一夜明け、そうではない気がしてきた。


もう一度「オタク・イズ・デッド」に戻るが、岡田氏は近年のオタクの傾向を「アイデンティティの問題」と指摘した。
つまりオタク(という文化)は自分の承認欲求を満たすためにあるのが前提なので、何が正しいのか間違っているのか、そういう議論や定義づけ、理論化を拒絶するのだ。
だから評論家やオタキングのような「オタクの定義づけ」をしようとする人間達は排除された。

しかしだからと言って、みんなが個々にそれぞれの考えを自由に持つようになった訳ではなく、むしろ同調圧力は更に強まった。
それはネットという場のせいであり、「やらおん!」始めとするバイラルメディアのせいである。
つまりオタキングのような、時に厳しい意見を言いつつもオタクを啓蒙する論者ではなく、あくまでもネットの空気をお互い読みつつ、自分の「アイデンティティ」を傷つけられることなく群れて、かつ人を叩き、炎上させ、世に影響する力を持てるコミュニティが形成された、と言うべきであろう。

だからもはやそこには道理も理屈もない。そういう意味では長谷川豊氏の「ゲーム感覚」というのはある意味正しい。
しかし決定的なのは、そこに自分の「アイデンティティ」を死守するという、切実な課題が内包されているということだ。

ただね、僕は再度問題提起するが、そこまでして『君の名は。』を守るのが、江川達也やヤマカンを叩くのが、君らのアイデンティティなのかね?ということだ。
君らの人生は『君の名は。』と江川達也とヤマカンがすべてなのか??

そういう意味で、君らの意見は、つまらん。
こんなことで気分のままに噛みついて、君らの感情のどこが満足するの?君らの人生のどこが満たされるの?ということが、考えるだに本当に、つまらん。


自分のアイデンティティをアニメに、オタクに、炎上に乗せるのは、原則的に不毛なんじゃないかな。
でなきゃ、俺みたいになっちゃうよ?(笑)。