『カルメンという名の女』を久しぶりに観る。
懐かしい。新人の時以来?
80年代以降のゴダールの、アンヌ=マリー・ミエヴィルという不世出のパートナーと出会ってからの、充実した、気品のある艶やかな画面を獲得した、カラー全盛期の作品。
やっぱり監督は恋をしなきゃ駄目だね。
彼の発明し、提唱した「ソニマージュ」の最美の形。
そして美女と美少女。
ゴダールは一時期夢中になったなぁ。いっぱい観た。
『はなればなれに』はテアトル梅田のレイトショーに二日連続で行ったっけ。
今もご存命だったよね?最近の動きは知らない。
エリック・ロメールが亡くなったんだっけ?うーん、もう追っかけなくなって久しいな。
オリヴェイラも亡くなったしねぇ。
「ヌーヴェルヴァーグ」派に共通することは、全員「映画評論」をしているということだ。
トリュフォーは取り分け毒舌だったそうな。
それは例外的ではなく、思えば北野武も、松本人志も映画評論を連載していた。
しかもたけしに到っては、監督の仕事をやりつつだ。
「立教ヌーヴェルヴァーグ」もそれに近しいことをしている。映画美学校もあるし。
「私にとって撮ることと語ることとは同じだ」というのはゴダールの有名な言葉だが、それが映画の、本来の姿だったのではないだろうか?
相互批評が当たり前だったのではなかろうか?
今は「語らず作れ」の大合唱だ。
そして観客だけが、無責任に映画を煽る。
「映画は未来のない芸術だ」と言ったのは「映画の始祖」リュミエールだったと記憶するが、映画は今後も永遠に「未来のない芸術」として、苦しんでいくのだろうことは、想像に難くない。
何度も言いますが、僕はもうアニメ作品批評はやりません。本当にバカバカしいから。
だって所詮アニメだし。実写はやるかも知れないけど。
「ヌーヴェルヴァーグ」派に共通することは、全員「映画評論」をしているということだ。
トリュフォーは取り分け毒舌だったそうな。
それは例外的ではなく、思えば北野武も、松本人志も映画評論を連載していた。
しかもたけしに到っては、監督の仕事をやりつつだ。
「立教ヌーヴェルヴァーグ」もそれに近しいことをしている。映画美学校もあるし。
「私にとって撮ることと語ることとは同じだ」というのはゴダールの有名な言葉だが、それが映画の、本来の姿だったのではないだろうか?
相互批評が当たり前だったのではなかろうか?
今は「語らず作れ」の大合唱だ。
そして観客だけが、無責任に映画を煽る。
「映画は未来のない芸術だ」と言ったのは「映画の始祖」リュミエールだったと記憶するが、映画は今後も永遠に「未来のない芸術」として、苦しんでいくのだろうことは、想像に難くない。
何度も言いますが、僕はもうアニメ作品批評はやりません。本当にバカバカしいから。
だって所詮アニメだし。実写はやるかも知れないけど。