あの「ザンクト・フローリアンのブルックナー7番」リマスター盤が届いた。
高校の時買ったビクター盤以来。懐かしい。


好きな指揮者なんか飛び越えて、僕にとって最も尊敬する「人物」の一人だ。
もうひとりは?うーん宮崎さんが浮かんで、すぐ消えた。

僕らファン界隈はずっと「御大」とお呼びしている。


95年に一度お会いしている。
大フィルOBの方のご厚意でマーラーの「復活」のリハを見学して、その後大フィル会館の音楽総監督室に通された。
もう緊張でガチガチになってたのを、出身大学と学部と専攻まで同じ(僕は現役生だったが)ということで、
「学部はどこだ?」
「文学部です」
「学科は?」
「哲学科美学美術史学専攻です」
「美学?こりゃ駄目だ、マトモな就職はできんぞ!」
と、一笑された。


マトモな就職できませんでした。


実演では高三の夏「ブルックナー8番」を聴いて以来、通算40回くらい?晩年だけだが、通いに通った。
一年に10回御大のコンサートを聴いたこともある。もう追っかけ状態。
もちろん当時は京都在住だったが、東京定期公演も一度聴いている。確か就活のついでだったかな。
「第九」は計11回聴いた。
ベートーヴェン・ツィクルスも一回通しで通った。その時の「第九」で泣いた。


明治生まれの日本男児の典型のような人だった。
音楽も実に豪放磊落、しかし管楽器ブカブカではなく、弦楽器の音色を一番気にしておられた。
ご本人もヴァイオリニストだったから当然なのだが。

だから御大の指揮する交響曲は、アダージョが一番安定して良かった。
シカゴ交響楽団のマネージャー・フォーゲル氏も、その弦の音を聴いて御大を呼んだのだ。

しかし、海外のオケとの共演は、録音を聴く限りでは意外と平凡。
やっぱり指揮が解りにくかったんだろうな・・・。

その一方で勝手知ったる大フィル・新日フィルとの演奏は、壮絶だった。
今聴いても別次元の音がする。
良く「純ドイツ的」と評されるが、御大の芸術は徹底して「純日本的」だったと思う。
ドイツ音楽のしもべのようでいて、彼は日本の心を歌い続けたのだ。

冒頭に紹介した「ブル7」を聴いても、改めてそう思う。
この歌心は、日本人のものだ。
凛として可憐。もののあはれ。


御大の思い出、御大への想いは一度では書ききれない。
だから今回はこのくらいにしよう。


ちなみにもうひとつだけ、御大の大フィルとの「くるみ割り人形」は凄かった。
その音の繊細さ、まるでフランスのオケのようだった。
そういう音も出せる人だった。