『ハルヒ』のようなものが今出たとして、受け入れられるのか?ということには、ずっと疑問に思っている。
『ハルヒ』は、10年前だったから、ギリ可能だったのだ。

だって、今の「受動的」な視聴者達が、「傲慢不遜な強烈ツンデレ少女、しかも実はマジ神」に付いてこれるか?
僕は絶対無理だと思う。
ハルヒに散々振り回されて、SOS団を作って大騒ぎをしていた時代は、もう終わった。


今も根強いハルヒ人気は、10年前に勝ち得た「権威」に皆縋っているだけで、だから若い新規のお客も獲得できるのだと思うが、別の作品として『ハルヒ』を作ることは、もう不可能だ。

いや、ひょっとして今の惨状を救ってくれるのは、やはりハルヒなのかも・・・?と、かすかに思ったりする瞬間もあるのだが、それは余りの楽観論だろう。


「アニメ・イズ・デッド(前)」「アニメ・イズ・デッド(後)」を観ていただいた方から、「いやいや、時代が変わったのは、『ハルヒ』からでしょう?」という意見が出ることがままある。
僕はそれを承知の上で、敢えて省いた。
自慢話にするのも嫌だったし、そもそも自慢話のように語ったら必ず噛みつく輩が出てくるし、しかしそれ以上に、僕の主張からすれば、あれはギリギリ「モダニズム」に引き寄せて、時代の時計の針をできる限り動かさず、持ち堪えた作品であって、結局は来たる「ポストモダン」への呼び水に過ぎなかった、と思っている。


時間の針を巻き戻すことは、もちろん不可能だ。
僕らができることは、むしろ時計の針を一生懸命進めて、一周して「もと」あった時間に戻すことなのかも知れない。

後どのくらいかかるのだろうか?