その誕生の瞬間から崩壊前夜に自分を位置づけていた映画は、たえず崩壊前夜を生きているという自覚の深まりとしてみずからの歴史を刻む。 (『映画崩壊前夜』より)
蓮實センセで思い出した。これも長らく積読にしていたのを引っ張り出して、読み始める。
「たえず崩壊前夜を生きている」という感覚の共有がね、アニメもそうだったんだろうなぁと、合点がいく。
アニメもそもそも未来や希望を描くのに向いていない。宮崎さんは『ナウシカ』や『もののけ姫』などで、絶えず「崩壊」をテーマにしてアニメを作り続けた。取ってつけたように「希望」は最後に置くけどね。
そう言えば『風立ちぬ』もそうだ。
同様に高畑さんも、『火垂るの墓』から『かぐや姫の物語』に至るまで、生と死、希望と挫折の表裏一体を描き続けた人だ。
そもそも、スタジオジブリそのものが、「崩壊」も辞さずの覚悟で、見事やりぬいた。
ここで『シン・ゴジラ』に思いを馳せてみても、庵野さん、やはりその辺は解ってるなぁと思う。
僕らは今、ちょっと無理をし続けているんじゃないですかね?
この無理くりにでもアニメを全肯定しなければいけない空気、凄く違和感がある。
だから、業界の人間がもう少し正直になってくれれば、アニメはより正常な、今までの形で「崩壊前夜」を生きていけると思うんだけどな。
でなければ、本当に崩壊するよ?