再度この楽曲の動画を貼る。もう何も怖くない。この映像を何百回観たことか。
サビの作画を担当してくれたナベさんとずーーーーーっと観てた。
ちなみにこの振付の「疑惑」に関しては、三年後に『私の優しくない先輩』で夏まゆみ先生を招聘し、後付けではありますが「許可」をいただきました。
だからもう煽っても無駄よ。
つか君ら、ディスる言葉に困ったらパクリパクリだねぇ・・・。
しかし今回俎上に載せたいのはダンスの話ではなく、楽曲の、和声学の話です。
この楽曲を最初に聴いた時、メロディラインで一箇所、違和感を覚えました。
1コーラス目のサビ前、りしゃこが「かもっ。かもっ。」と歌うパッセージで、二回目の「かもっ。」が、ドミナントコードなのに「シ・ド」と歌われるのです。
あれ?これはトニックじゃないの?ドミナントとぶつかってるよ?という疑問を、当時はmixiがSNSの主流だったので、そこで投げかけました。それに瞬時に答えてくれたのが、作曲家の川島素晴先生でした。
川島先生は当時からもう現代作曲家として確固たる地位を築いていたにも関わらず、ハロプロの大ファンで、その楽曲分析(アナリーゼ)をmixiに載せていたのです。
思えば贅沢すぎる会話でした。以下のやりとりを2005年12月31日にしていた(なぜ大晦日?)のをmixiから掘り起こしたので、「ハルヒダンス」の萌芽をここから感じ取れるのは面白いと思い、敢えて掲載します。
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>actionmusic(川島素晴)氏
「か・も」が「の・にゅ」と違いしっかり「シ・ド」の音程を取っているのはビックリしました。とか言いながら私の耳では判別出来ず「あれ?おかしいぞ」で終わっていたのですが(笑)。氏のアナリーゼで眼から鱗です。
しかしご質問なんですが、「か・も」の部分も和声的にはドミナントを鳴らして、ヴォーカルの「シ・ド」をぶつけている格好になっているのではないでしょうか?いや、和声は全くの無学なのでとんちんかんな事を申し上げていたらごめんなさい・・・。
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(川島素晴氏の返答)
そのように考えることもできるのですが、「ぶつけている」ということにはなっていません。
この楽曲は全体にチープなサウンドで仕上がっています。「チープ」というのは、具体的には「背景のハーモニーを充足させないサウンド」ということです。
例えば、本来トニックであるはずの部分でも、ハーモニーではそれを示していない部分があります。(「だわだわ」等。)
また、そもそも「ソド・ソド」あるいは「好き・好き」というのが、ドミナントに相当する箇所に歌われる場合も、トニックに相当する箇所に歌われる場合も、両方存在しますが、そのどちらの場合も、コードは明示されませんので、どちらともつかない感じを受けます。
そのように、コードが明示されない場合には、メロディとして歌われる構造が、事実上、コード進行の根幹を担うことになるわけです。
「かも」の「も」の瞬間、「ド」に落ち着きますので、我々は一瞬、トニックへの解決感を感じます。
そしてご指摘のように、次の瞬間には、低音の「ソソソラシ」という動きによって、ドミナントを感じるわけなんですが、そのうちの「ソソソ」までの間にもしドミナントのコードが鳴っていれば、完全にそのように認識できますが、この部分は単音のみですので、メロディの「ド」と合いの手の「ソ」を続けて聞いても、ドミナントと断定できないわけです。(つまり、「ぶつかって」はいない、というわけです。)
これが「のにゅ」の場合は、2回目の「のにゅ」が、「レソ」に相当する音程に近い状態なのです。ここでの「にゅ」は「ソ」即ち、ドミナントコードに含まれる音を奏でますので、続く合いの手も含めて、この部分全体がドミナントとしての機能を明確に示します。
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うーん、10年経った今も解るような解らないような・・・。
僕のmixi時代の議論の仕方は、今自分でも理解できないほど相当アカデミックで、どんどん知識と教養を吸収している時期でした。
だからSNSって役に立つんだよ。くだらないディスを連ねるだけがSNSの使い方じゃないよ?
しかしこの時のももち、可愛いなぁ・・・。
まぁ何が言いたいかというと、Berryz工房はあらゆる点で先進的で、最高だったということです。
ももちのことは絶対忘れない。