『ハルヒ』の時だ。2chで面白い喧嘩があったなぁ。
キョンの芝居、すなわち杉田智和の芝居がなってない!おかしい!という書き込みがあって、それまたどうして?と思って議論(ていうか喧嘩)を見てたら、
「杉田は声優としてまともな養成を受けている!→まともな養成というのはスタニスラフスキーのメソッドに基づいているはず!→しかし今回の杉田はスタニスラフスキーのメソッドを踏襲してない!→教わったことをやってない!クソ!」
・・・なんか「風が吹けば桶屋が儲かる」の論法だなぁ、そう思って見てた。
(ちなみに「風が吹けば桶屋が儲かるからクソ」の論法は、アニメの現場でも良く見かけます。みんな騙されんなよ!)
あの当時は難癖もアカデミックだったなぁ。随分勉強になったけど。
敢えて乱暴にジブリで例えると、宮崎さんがスタニスラフスキー派で、高畑さんがブレヒト派です。
必ずしも対照的な、対立的なものではないのだけれど、ブレヒトがスタニスラフスキーをかなり意識していたというのは、「第四の壁」でも明らかになっている。
スタニスラフスキーを語っている本は上が一番かな(実はこれも積読でまだ読んでない)。
まぁごく簡単に言うと、「極めて自然に、リアルに、役の心情・感情を忠実に演技する」ということだ。
対比するなら、歌舞伎がちょうどいい。現代人は誰も歌舞伎役者のような所作・話し方をしない。感情表現も自然ではない。
かつては海外でもシェイクスピアなど、古典的で大仰な演技がほとんどだったが、それを打ち破ったのだ。
これで観客は役者や芝居への感情移入が格段にしやすくなったと言われる、革命的な手法だった。
その代わり弊害としては、役者が役に没入しすぎて、帰って来れない、精神的に不安定になる、など、役者への負担が計り知れないようだ。
そこで最初の議論に戻るのだが、芝居の現場から言いますと(特に声優)、今はスタニスラフスキーのメソッドは絶対とは言えず、他の伝統的な手法と併用して利用しています。
WUG7人の養成にも何か月か立ち合いましたが、そういう教え方をしていた。
でなければ今の声優の芝居は、実写の役者どころではない、平田オリザのような呟き芝居になってしまったことだろう。
まぁかく言う僕も「泣きの芝居は本当に泣け!」の主義なので、何とも言えませんがね。
その辺はそれぞれ個々の「演出論」になるので。
キョンの芝居、すなわち杉田智和の芝居がなってない!おかしい!という書き込みがあって、それまたどうして?と思って議論(ていうか喧嘩)を見てたら、
「杉田は声優としてまともな養成を受けている!→まともな養成というのはスタニスラフスキーのメソッドに基づいているはず!→しかし今回の杉田はスタニスラフスキーのメソッドを踏襲してない!→教わったことをやってない!クソ!」
・・・なんか「風が吹けば桶屋が儲かる」の論法だなぁ、そう思って見てた。
(ちなみに「風が吹けば桶屋が儲かるからクソ」の論法は、アニメの現場でも良く見かけます。みんな騙されんなよ!)
あの当時は難癖もアカデミックだったなぁ。随分勉強になったけど。
敢えて乱暴にジブリで例えると、宮崎さんがスタニスラフスキー派で、高畑さんがブレヒト派です。
必ずしも対照的な、対立的なものではないのだけれど、ブレヒトがスタニスラフスキーをかなり意識していたというのは、「第四の壁」でも明らかになっている。
スタニスラフスキーを語っている本は上が一番かな(実はこれも積読でまだ読んでない)。
まぁごく簡単に言うと、「極めて自然に、リアルに、役の心情・感情を忠実に演技する」ということだ。
対比するなら、歌舞伎がちょうどいい。現代人は誰も歌舞伎役者のような所作・話し方をしない。感情表現も自然ではない。
かつては海外でもシェイクスピアなど、古典的で大仰な演技がほとんどだったが、それを打ち破ったのだ。
これで観客は役者や芝居への感情移入が格段にしやすくなったと言われる、革命的な手法だった。
その代わり弊害としては、役者が役に没入しすぎて、帰って来れない、精神的に不安定になる、など、役者への負担が計り知れないようだ。
そこで最初の議論に戻るのだが、芝居の現場から言いますと(特に声優)、今はスタニスラフスキーのメソッドは絶対とは言えず、他の伝統的な手法と併用して利用しています。
WUG7人の養成にも何か月か立ち合いましたが、そういう教え方をしていた。
でなければ今の声優の芝居は、実写の役者どころではない、平田オリザのような呟き芝居になってしまったことだろう。
まぁかく言う僕も「泣きの芝居は本当に泣け!」の主義なので、何とも言えませんがね。
その辺はそれぞれ個々の「演出論」になるので。