”音楽は美しくなければ・・・”と言う考えは、とうの昔に捨ててしまった。
確かに芸術は美しい。だが、美は最終目的ではない。
それは言わば、<餌>のようなものだ。
美によって、それに惹きつけられ、シラーが述べているように、美の後ろに真実がある事を知るのだ。
真実とは何か?
それは定義しうるものではなく、体験するものだ。 (セルジュ・チェリビダッケ)


この言葉には影響を受けた。


指揮者シリーズ。
この人もクレンペラーほど奇矯じゃなかったが、口が本当に悪く独善的だったため、ベルリン・フィルの首席指揮者まで昇りつめながら、追い出された。
フルトヴェングラーを崇拝し、献身的に活動したのにね。

晩年ミュンヘン・フィルが彼に添い遂げ、理想的な音楽を作り出した。
やっぱり最後にどこに拾われるかが大きいんだね。


プロのオケに1時間チューニングさせるほど、音程にうるさかった人。
それが晩年の遅すぎるテンポと相俟って、壮大な音響世界を築いた。
僕はもう少し自然の息吹のする音楽が好きだが、彼のブルックナーは確かに別次元の響きがする。


ちなみに彼がカラヤンをはじめ(嫉妬もあったのか)いろんな指揮者に対しあまりにクソミソに言うものだから、カルロス・クライバーが「天国のトスカニーニ」という偽名で「もうやめてください」という文章を雑誌に投稿したというのは有名な話。