先月久しぶりに会うクリエイター達と飲んだのだが、そのひとりが、
「山本さんは優しすぎるんだよ!」
と、酔った勢いで言ってきた。
「視聴者に期待しすぎ!みんなそれ程のもんじゃないんだよ!」
そうだね。いつも期待しすぎ。期待しすぎるから、落胆も大きい。
解ってるんだけどね。
僕はスタッフや若手の役者に、絶えず「想いは届く」と言い続けてきた。
作品にも描いてきた。
歌詞にも書いてきた。
「想い」というのが、創作で一番大事なのだと、それは今でも思っている。
しかし今や、ネットによる害だと何度も言い続けているが、視聴者やファンまでが周りの目を気にし、声に怯え、政治的に振舞おうとしている。
愛情は素直に出せない癖に、人を叩くとなったら病的だ。
アニメをやってて一番ショックだったのが、人間がどんどん醜く見えるようになったということだ。
古巣でもブーブー文句を言ってはいたが、今から思えばずっと平和だったのだと思い知る。
まぁ、時代的なものもあったのかもね。その後の顛末を見るに。
ふと思う、『この世界の片隅に』で唯一、不満があるとするならば、人間の醜さに目を背けていはしまいか?と。
これも一種の「現実逃避」になりはしまいか?と。
いや、これこそ自己矛盾だな。
八つ当たりに近い。すいません。
「それでも」人間は美しい。汚いところも合わせ包んで、美しい。
『マクベス』のような問答みたいだが、そんな安易な引用ではなく、僕はまだ、今を信じてる。
それが戦いの合図としても。
なんか上手くまとまらないけれど、まぁ、せめて、「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」とは思うね。
嫌いという感情は、本当に何も生み出さない。